「佛國大統領の變更」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「佛國大統領の變更」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

佛國大統領の變更

昨日の電報欄内にも見えたる如く佛國の新大統領はサーヂー カルノー氏其撰に當りたる由にして豫て世人の待設けたるフレシネー フエリー若くはブリソンの諸氏は右撰擧の際に如何なる進退を爲したりしや電報甚だ簡短なれば未だ事の詳細を知るに由なけれ共今回の撰擧は寧ろ世人の豫想外に出でたる者と云はざる可らずカルノー氏は近年フエリー内閣に入て工部卿と爲りブリソン内閣の時工部より轉じて大藏卿に任じブリソン内閣の辭職と與に氏も政府を退き上院の議員に擧られて今日迄は其光りを包み居たる人物なりと云へり然れ共佛國上下兩院の多數の人が獨り氏に望を屬してフレシネー、ブリソンの諸氏を排除し之を大統領に撰擧したるの點より見れば氏が今日迄の地位名望は必ず高く人に擢んで唯單に一兩回内閣の末座に列なりたりと云ふ尋常の政治家に非ざるは理に於て明白なる可し夫は兎も角も今回佛國に於て大統領に變更を來したるの原因は讀者も知る如く其端緒を勳章賣却事件に發して殊に前任大統領グレヴヰー氏の女婿ウヰルソン氏は此事に密接の關係ありとの風聞より遂に其嫌疑を大統領の身上に及ぼし議院は是非にウヰルソン氏を糺彈して其罪を糺さんと主張し大統領は縱令へ私家の嫌あるも女婿ウヰルソン氏をして勳章賣却罪人の列に入れしむるを欲せざる所なりとし、何にか其邊の爭よりして議院全體は遂に大統領に敵意を表し一應辭職まで勸めたれども聽かざりしかば再應議院は多數决を以てグレヴヰー氏に反對し氏も遂に身を潔くするに决心して其職を辭したるは今日迄の電報に照らして粗ぼ趣を知り得たる者なり唯其間に實地如何なる路筋ありて正否曲直孰れを何れと定む可きやは現に我輩の大に迷ひつつある疑問なれども追て通信の到來次第其事の詳細を辨ずるの機會亦遠きに非ざるべし我輩は讀者と與に只管之を待つ者なり

大統領の更迭に就ては今後佛國の政略は和戰孰れに傾く可きや隨て日耳曼との關係の如きも事の成行如何んに因りては由由しき大事に至らんも知る可らず前任大統領は平和主義の政治家にして温良着實最も日耳曼との衝突を避けたるは世人の知れる所なり去る千八百七十年の戰爭に佛國の敗北殆んど亡國の耻辱を蒙むりてより今日まで星霜既に十八年其間佛人敵愾の念暫らくも止む時なく兵を練り力を養ひ將卒髀肉肥て軍馬空く〓に嘶きながらも復讐の戰爭破裂せざりしは他に種種の原因もあることならんと雖も就中前任大統領の平和政策力ある者なりと云はざる可らず然るに今や此人にして偶然の出來事より職を辭し全く閑地に就くとすれば後任大統領カルノー氏は如何なる手段に依頼して佛國の民心を買はんとするか我輩の聞かんと欲する所なれども氏は今日まで他の諸政治家の如く嶄然其の頭角を顯はしたる次第もなければ平生の主義如何んも我輩に於て知るに由なし此等の事は他日カルノー氏が其意見を公けにすると同時に氏の下には如何なる政治家が相率ゐて内閣を組織するやの事相に照らして粗ぼ其趣を知るを得る者ならんなれば我輩も今日に在りては氏の主義和戰孰れの邊に傾くべきやを待設るのみにして他に説を作すこと能はざるものなり

今回の如き事件より大統領其職を辭したるは佛國の共和政體史上に於て未だ先例を見ざるの出來事なる由なれども此れは暫らく論ぜず總じて佛國の政治社會には内閣の變更殆んど際限なく僅僅數年の其間に政府に更迭を重ねたること凡そ十數回、甚しきに至りては政府に立て僅僅一二箇月を經由せざるに早既に失敗して斷然野に去る者さへ少なからず此の如く政變頻繁なる時は國の政治をして其常態を失はしむるは勢ひ免れざるの結果にして佛國人民の不幸これより大なる莫かる可しとは世人の信ずる所なれども我輩に於ては寧ろ其不幸を哀むよりも佛國人民の爲めに却て駕する所なかる可らず或は内閣變更の屡屡なるは實に不都合の至りならんと雖も又一方より考ふるに佛國政治家の徳義心甚だ高く事業功名の爲めとあれば大膽進んで敢て容易に己れの志を枉げざるの勇氣には我輩も感服するなり盖し政治家が政治社會に奔走するの目的には或は功名を主とし或は榮利を重しとするの相違あるは免れざるの事實なれども功名と榮利との境には至大の懸隔ある者にして若しも榮利一偏を事とすれば永く職位を保て富貴安樂に其身を全うするの工風行はれざるにも非ず特に議院政治の國にして多數の向背に政治家が己れの進退を决するの塲合に於ては自身の主義は兎も角も常に多數人心の赴く所に相投じて公然たる政策の裏面より私を濟すの手段極めて容易ならんと雖も佛國政治家の擧動を視るに絶えて此等の痕迹もなきのみならず公明磊落己れを枉ぐる所なく聊かにても自説に抵觸を生ずる時は泰然動かず决然職を辭して榮利の束縛を甘んぜざるはフエリー、フレシネー、ブリソン其他諸内閣の變更毎毎然らざるなし即ち佛國の政治家は最も功名心に富むの證據にして其擧動の時に大〓輕慓に屬する所以は寧ろ榮利の爲めに節操を變ずる能はざる義氣潔白の性質あるに因る者なりと云はざる可らず是れ佛國政治家の義氣にして大に我輩の稱賛する所なり

 昨日の本欄第二段第二十二行中安氣とあるは安危の誤植なり