「西洋の風を模するには取捨する所あるを要す」
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時事新報に掲載された「西洋の風を模するには取捨する所あるを要す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
西洋の風を模するには取捨する所あるを要す
左の一編は以前慶應義塾に在りて今は英國に滯留中なる高橋達氏が福澤先生の許に送りたる書簡の中より其要略を拔萃したる者なり爰に掲げて數日間の社説と爲す
西洋の風を模するには取捨する所あるを要す
前略小生の渡英以來見聞の事物枚擧に遑あらずと雖も特に欣〓に堪へざる者は當國富有の度の極めて高尚なる一事なり何故に此國の盛大富強今日此の如くなりしやと其原因を尋ぬるに官吏の力に依りしにも非ず又貴族上流の人の庇蔭に出でたるにも非ずして全くは工商の業と交通の便とに依頼し世界各國の富を一所に引附けたるの結果なる事既に世人の熟知する所ならんと雖も就中勉強節儉にして寧ろ頑固不動の精神に富むの性質は其原因の重なる者と云はざる可らず世人動もすれば云ふ英國の富は多少人爲の力なきにしも非ざる可けれども道化無限の賜物たる鐵と石炭なかりせば今日の隆運を致す能はざるは明白の次第にして英國の富は即ち鐵炭二物の變形に過ぐ可らず天何故に英國に私して斯る富源を授けたりや其意を得ざる所なりなど放言する者あり然れども是れ徒らに成迹より事を論ずるの空談にして若しも數百年前、富源未だ開けず民力未だ豊かならざるの其當時に論者をして之を評せしめなば必ずや言はん曰く英國は天惠の乏しき國なるかな、其地面は平坦なりと雖も地質甚だ疎鬆にして大木茂らず、地下〓寸にして〓〓岩石甚しければ耕すに堪へず、斯る不毛の原野に在りては辛くも芻草に依頼し以て牛羊を飼育するの其外に盛んなる農事を起し或は又工商の道を開かんこと所詮覺束なき次第ならんと、我輩今日に於て英國一般の地味地質を見渡すに尚ほ斯る胸感の生ずるを免れざれば數百年以前の當時、未開不毛の實状を目撃したる人が今日の隆盛を豫言する能はざるも亦怪むに足る可らず古今前後相較べて同じ英國に斯くまでの相違變革を來したるは一に國民の刻苦勉勵に基きたる者にして謂ゆる炭鐵二物の天惠は偶然其進歩を促したるの副因ならんのみ盖し英國人の腦髓には「何物も人に克つこと能はず」と云ふの格言最も深く浸染したる者にして平生互に相助け相結び、如何なる事業を起すにも先づ〓固なる組合組織を設けて利害得失を討究し他人の起業なりと雖も其事有益なりと信ずる時は快く之を援けて嫉妬相斃すの猜心なく、自から勉むるに厚くして最も人の信用の深からんことを望み、利に當ては一切〓人に讓る所あらずして其進取に勇なる如き孰れ〓英人の美徳にして我輩の〓〓〓かざる所なり
英人が〓〓〓〓を旨として聊かも華奢贅澤を事とせざるの〓〓〓〓〓にして足らずと雖も就中〓〓宴席に〓〓の〓〓を〓めず諸事淡泊の間に其交情至て濃密なるは殆んど東洋人の想像に浮ばざる所なり日本などにて假りにも御馳走と名の附く可き宴會なれば美酒佳肴は申すも更なり藝者踊子俳優幇間不倫の徒のみ席上に周旋して來賓士君子の面前に、■(ごんべん+「滔」の右側)諛の術至らざる所なく一夕千金の豪遊主人公の散財は莫大ならんと雖も客の歡情は左のみに濃かならず形體の奢り倍倍盛んにして精神の快樂轉た冷凉を感ずるは孰れの宴會も皆然らざるなし斯る外歡虚飾の饗宴は實に英國人等の想像に存せざる所にして先づ當國にて中人以上の宴會と申せば酒食の用意は勿論のことなれども其體裁至て淡泊にして固より酒池肉林の豪を張るに非ず例へば毎週一日とか又は毎月兩三度とか都合次第にて其日を定れば豫て知己朋友に案内し庭園には投球塲、屋内には玉突臺を設らふる等其邊の準備到らざる所なきに似たれども投球塲は有合せの邸園を其儘に使用したる者にして玉突臺も一度之れを据る時は其用永遠に渉りて客に快樂を添ふるの良具なれば東洋一夜千金を擲つの贅澤とは同日にして論ず可らず我輩斯く英國交友の風の美なるを稱讃したらば人或は難して曰はん西洋の交際は婦人を憚るの道甚だ究屈なる者にして例へば煙草を斷ち酒を禁じ放語を愼み笑聲を戒むる等恰も婦人の鼻息を窺ふに均しく六尺大男兒の所業には不甲斐千萬の次第なれども之に反し東洋流の交遊には談笑自在にして己れの天眞を全ふせざる所なし西洋の禮は假面を裝て婦人の前を修飾するに過ぎざる者なりと、然り論者の言の如く西洋の禮に於ては婦人を尊敬するは勿論なりと雖も其究屈殺風景は决して論者の説くが如き者に非ず正堂會食の時こそ男子が故さらに婦人を尊敬して飮酒喫烟を愼むに相違なけれ共此れは一偏正面の儀式にして宴既に終るの後は男子は玉突室に行て且つ喫烟し且つ鬪球し或は談話室に到りても男子は放意高談して少しも憚る所なきに婦人は其烟臭をも意とせずして快く來て其座間に周旋し或は酒までも持參し來りて男子の興を助くるの其趣は恰も先に男子より受けたる其尊敬の返報として今は只管男子の快樂を助くるに遑あらざるを恐るる者の如し即ち西洋男女交際の眞味は實に此邊に在りと稱す可く夜會踏舞男女相擁して踊るの類は抑も其樂みの末なりと云はざる可らず此の如く西洋の交遊には非常に快樂多しと雖も其割合に金錢を浪費するは甚だ少く我輩は所所宴會の費額を聞く毎に諸品高直なる英國にて如何なれば斯くは其價の廉なるやと寧ろ不可思議の思を爲すなり素より金滿家などの夜會に於ては其贅澤限りなく華美人目を眩ぜしむる者も少なからずと雖是は西洋富豪家の獨り爲す可き所にして東洋貴國の人の學び得べき事にも非ず故に暫らく例外の話しとして前條我輩の記載したる所は一般中等社會の人の催しに係る宴會にして之を日本人中等の宴會即ち料理茶屋の御馳走なるものに比較して大に其價の廉なるを感ずる所以は全く之を英人節儉の徳に歸せざる可らず當地近在の者の休日等に倫敦に來りて、上等芝居を見物する其有樣を見るに大抵の人は廉價別汽車に乘り晝飯なども全く空腹を凌ぐだけの用意に止めて極粗の辨當を持參するは毎毎なり日本にては如何なる下等の人と雖も〓〓の芝居見物に遙遙田舍より腰辨當持參にて出京する者は未だ我輩の聞かざる所にして此一事亦以て英人節儉の風を知るべきなり (未完)