「西洋の風を模するには取捨する所あるを要す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「西洋の風を模するには取捨する所あるを要す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

在英國 高橋達

〓〓〓日本人の西洋に遊ぶ者年一年に揄チして大小官吏〓〓〓〓〓〓り立替り來往の其趣

は殆んど頻繁を極めたりと稱するも可なり此の如く日本人が西洋に來裕して文明開化の至

境」を探り〓〓國の土産に〓〓〓る物を携ふるやと窃に其有樣を推測するに一に皆西洋の

文を移して日本の不文を化せしめんとするの手段に外ならざる可しと雖も其取捨判斷を誤

るの點に於ては間々我輩も遺憾なき能はず凡そ人事は何事に論なくて總て表裏のある者な

れば西洋今日の文明を取捨するにも是れは正面彼れは反面と能く實地を檢定して仔細に討

究する〓なかる可らず日本に在りて洋航歸りの人々が頻りに西洋の華美贅澤に心醉し日本

は封建殺伐の餘風を受けて不文質僕殆んど野蠻の境に位するものなり、昔しならば兎も角

も方今文明の世界に處して舊態を株守せんと欲するは時勢不通の議論にして取るに足らず

云々と冐頭より早既に奢侈を以て恰も文明の本色なりと爲し隨て衣服は木綿にては面白か

らず食品も米穀菜魚は淡泊にして滋養の資なし畳、障子の日本家屋は起居窮屈にして寧ろ

衛生にも害ある可し其他曰く何曰く何と凡そ社會改良の手段として提出する所の議論は皆

奢侈贅澤を漫然たる江湖の人に勸むるの種子たらざるなし我輩の敬服せざる所なり、斯く

言はゞ我輩は特さらに西洋の文明に敵意を表し心中日本の改進を悦ばざるやの〓しあらん

かなれども元來我輩の精神は根底より大に國の富強を扶養して日本を眞成の文明に致さん

とするの點に在る者なれば唯徒らに外面より西洋の開化に心酔し虚文虚飾を其質の實なる

者と誤解して無責任に社會の〓裏を〓んとするの手段は寧ろ取らざる所なり

日本に於ては近來頻に社會改良の論行はれ衣食住生計の法の改革は更なり或は演劇改良或

は男女交際等孰れも西洋の風に模倣したる者の由にて我輩とても决して之を咎むるに非ず

と雖も成るならば此等の事は暫らく後日に讓り、差當り先づ官民一致して務て節儉を行ひ

一文にても貯蓄して資本を作るの覺悟大切ならんと信ずるなり聞く所に據れば日本の民力

は數年引續ての不景氣に昨今倍々疲弊を極め近時公賣處分を受けたる者の人員三十萬に及

びたりと隨分聞くも氣の毒なる話しにして今の策を運すに唯節儉以て無用の財を有用に轉

ずるより外ある可らず特に官邊の事業に於ては其擧否の善惡は姑らく擱き費用に自から悠

緩なる所もあるは文明諸國の政府と雖も免れ難き次第にして眞實國民の利害より論ずる時

は政府は成るべく無用の財を節して民力に餘裕あらしむるの策最も要用なるが如し駑馬は

素より駿足に倣はず其歩甚だ緩慢ならんと雖も進んで〓む所を知らずんば千里を行くも難

きに非ず日本如き小國の計を爲すには何は偖置き節儉の一事最も早手廻はしの策なる可し

舞臺夜會の事の如き隨て我輩の意見なきに非ずと雖も暫らく言はず唯日本に於て近年各地

とも洋風に習ひ避暑地公園地等を各所に設け休暇日には人民をして之に出入遊樂せしむる

の旨趣なる由結構なれども偖人民平生の勞役は從前に倍〓して果して公園地の必要を感ず

るの度に進みたりやと尋ぬるに獨り然らざるのみならず其勞役は別に加はる所なくして唯

公園遊觀の塲所あるを以て偶然これに遊んで不時の散財を促さるゝの奇談は莫かる可きや

英國の如きは各地の都府到る處熱閙ならざるなく煤烟天を蔽ふて晝尚闇く、空氣亦殆んど

窒塞して人の呼吸に堪へざるの有樣なれば一週一度公園地に逍遥して新鮮の大氣に浴する

の快樂推して知る可し然るに其公園地は東京にて申せば麹町番町とか本郷高臺とか云ふの

邊に較べて更に劣等なる者なれ共人民は尚ほ斯る所に徘徊して無上の愉快を感ずる所以は

實に平生勞働勉強の非常なるに外なる可らず日本人の勞役を英人に較べては實に甚だ少小

なる者にして其居住地の空氣の新鮮なること亦同日の論に非ざれば公園地の設けの如きは

之を他日に讓りても不都合はなからん唯今日に必要なるは日本の人に節儉の風を勵ますと

與に共に一層勉強耐忍の精~を振起せしむるの一策なるべし兎角日本人は懶惰にして安逸

温柔を事とすれども英國人の活溌にして少しも外物を畏れざるの勇氣に至りては我輩只管

感服に堪へざるなり倫敦の市中に於ては冬間如何なる寒氣たりとも一切襟巻を用ひざるは

日本人の知る所ならんと雖も此風習は獨り英國南方の地にのみ限るに非ず蘇格闌の山中な

どは爾かも此國の北端にして北緯六十度の邊に在れば氣候の巖なること勿論なれども兒童

は一般に脚を暴して寒風に立ち、兵隊の如きも膝切りのヅボンにて志氣凛烈、操練に從事

するの其趣は觀る者をして思はず其勇に感服せしむ、抑も健康は運動に在りと云ふの格言

は英人の平生に守る所の法則にして勞逸両つながら體の運動を忽にせざるは即ち其勉強の

風を致したるの由縁にして我輩は斯る事例を見るに附け聞くに附け日本の文明は决して文

弱に流れしむべからずとの胸感一日も消ゆる所を覺えざるなり(未完)