「僧侶は蠶業の奬勵者たるべし」
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時事新報に掲載された「僧侶は蠶業の奬勵者たるべし」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
僧侶は蠶業の奬勵者たるべし
佛法は迷を轉じて悟を開き即身成佛を目的とするものにして涅槃と云ひ寂滅と云ふ深く其奧義を窺ふときは遂に萬法是空に歸して瞑目不言の中に獨り自ら別乾坤を形造るに至るものの由なれば其超然として高尚なるは固より夫の紅塵紫陌の間に營利に奔走するの類にあらず迷ふと悟るとは佛と凡夫の別るる所にして全く相反對のものなりと雖も佛法も亦是れ人間世界にありて存するものの一種なれば結局此等の凡夫を濟度して次第に斯道に誘導するの外ある可らず是れ即ち布教の大義にして僧侶の最も力を盡すべき所のものならん然り而して其法を弘むる亦自ら法あり後生を頼む爺嫗に向ては西方極樂の説至極妙ならんと雖も滿天下の凡夫は未だ後生を頼むに遑なくして寧ろ世間の人事に忙はしく其人事とは營利の外殆んど他なしと云ふべき程のものなれば此輩をして佛道に歸依せしめんとするには漠然たる經文題目を唱ふるのみにても不可なり高尚なる心理を説くも亦不可なり其誘引の捷徑は先づ人の最も好む所に隨ひ實利の功徳を與へて以て坐ろに信仰の念を起さしめて漸次に佛縁を結ぶの方便に若くものなかる可し然りと雖も或は之を方便の又方便なりとて竊に悦ばざる者もあらんかなれども事元より法の爲めなるは勿論、本來凡夫の迷を救ふと共に兼て天下の爲めに害を除き利を興すは佛家に所謂慈悲の趣旨にして此趣旨を等閑に看過する者こそ佛意に戻る者なれば民利國益を興すは佛法の眞面目と云ふべし是れ獨り我輩の私言に非ず古の高僧が始めて教を弘布したる其形跡を察するに大抵皆人民に生業を教へ日用直接の功徳を施して其有り難きを感悟せしめ生業の俗縁を重ねて〓く佛〓を〓〓たるものの如し傳へ聞く今日民間必需の事物〓〓の僧侶の開始したるものにして先づ第一に〓〓と云へば元興寺の開山道昭和尚が京都に宇治橋を架したるを以て起原となし茶は建仁寺の榮西和尚が始めて支那より茶種を齎らし之を京都栂尾の明惠上人に贈りて宇治の銘茶となり爾來延ひて民間に及びたるものなりと陶器は天平年間行基大僧正の新工風にして後ち永平寺の開山道元禪師が尾州瀬戸の人加藤四郎左衛門に傳習せしめ今猶ほ藤四郎燒の名あり衛生病院は四天王寺こそ其始めにして即ち施藥院、療病院、悲田院、敬田院これを併稱して四天王寺と云ひ聖徳太子の旨に出でたるものなり此太子の起業は種種數多にして建築、教育、製瓦等其最も著るしきものならん其他弘法大師が諸國を巡錫して水利土功無量の功徳を施し親鸞上人が未開不毛の地を開きたる等は今猶人口に膾炙する所を以ても知るに足るべく一一枚擧に遑あらずと雖も當時これに由りて民心を誘ひ後世其澤に浴して永く信仰の念を繋ぎたる所以のものは皆是れ實利の功徳に非ざるはなし顧みて今の僧侶は如何と尋ぬるに寧ろ民間の實業に遠ざかるの趣ありて之れを其昔の人に比すれば相距る甚だ遠しと云はれて答辨なかる可し我輩の竊に惜む所のみならず全國十萬の僧侶が空しく檀家の資給に衣食して民間の利益に一向關係せずとありては誠に相濟まざる次第なりとて僧侶間にも夙に議論のある由なれば我輩は是に於て敢て一案を呈出せんに僧侶に托すべき事業種種ある中にも蠶業を奬勵するの任に當らんことは特に希望に堪へざる所の者なり毎度申す如く我國は養蠶製絲の國柄にして行末ともに由て以て國の昌盛を維持する者は主として蠶業に在ることなれば其愈盛大なるに隨て民間の利益は愈増殖し當業者の數次第に加はるに隨て海外需要の道は次第に弘まり實に我國無盡無量の財産なれば今日に於て廣く之を奬勵するは人民生業上の功徳にして一國百年の利益なる可し近來各地方に於て繭絲共進會抔の續續勃興するに至りたるは吾人の共に相祝する所なりと雖も此等共進會品評會の類は唯或る都會の地に止まり區域甚だ廣からずして其効未だ寒村僻邑の間に及ばず養蠶の實業上より視れば田舍の片山里こそ至極究竟の土地なるべきに如何にせん文明の雨露洽からずして村民の朴直なる蠶業の鴻益あるを解せず又之を知る者あるも殺生の罪深きを懼れて斷念する者さへ多しと云ふ堪へ難き事共なり左れば今この妄念を排除せんとするには種種の手段もあるべしと雖も僧侶が自から其地に到りて説法と共に之を説諭誘導するの優れるに若くものなかる可し殺生は佛法の禁戒なりと云ふも其法の區域甚だ廣くして信者の漁獵尚且之を咎めず法界の餘地綽綽然として天下の大利の爲めにするときは破戒にして破戒に非ずと云へり養蠶を勸むるに於て何の憚かる所あらんや山河を渉り雨雪を犯し行脚到る處に民利を興すときは人皆其實利の功徳の高きを仰ぐと同時に佛縁を結ぶの容易なるを得るに至るべし啻に天下の公益のみならず佛家の私に於ても傳道弘法の爲めに利する所大なる可し