「機會空ふす可らず」
このページについて
時事新報に掲載された「機會空ふす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
機會空ふす可らず
西洋諸國が近時頻に工藝技術の競爭に熱心して優劣相鬪ふの趣は甚だ盛んなる者と云ふ可し其例證は二三にして足らざれども就中方今博覽會を開くもの多くして歐米到る處殆んど其設あらざるなきの一事最も其的例ならん和蘭の工藝萬國博覽會、英國の水産萬國博覽會、米國の綿花萬國博覽會、露國の園藝萬國博覽會等孰れも此三四年の間に開設したる者にして其都度日本よりも出品し毎會多少の襃賞を得て我藝術の聲價を弘めたるの効益は莫大なるべきなり又向ふ一兩年の其間に新規開設すべき者は我輩の聞知したる所に於ても其數少なからず來廿一年の四月一日より西班牙國バルスロース府に開會する萬國博覽會の如きは實は本年の秋季中既に開塲ある可き筈なりしも西班牙政府の都合に因り半箇年の延期を爲したりしがため當時一旦送品の手續まで執行したる日本人中にも迷惑を受け損害を被むりたるの次第もあり我輩に於ても西班牙政府は何故に先きに輕忽に博覽會の開設期限を公告して世界の出品を促しながら突然其期日を延ばしたりやと心中聊か不審なきこと能はざりしに彌彌二十一年の四月一日開塲と决し同八日式典擧行の筈に付曩に既に出品を爲さんとしたる其貨物は去る十日までに同會出品委托引受人に於て一切之を取纏め西班牙國に廻送するの都合なりしなれば今頃は右の貨物も悉く荷積みの運びに至りしならんか又第二の博覽會は同く二十一年の四月中旬より向ふ六箇月半を期し白耳義國の首府ブルツセル府に於て開設する者にして其會を二類に分ち第一を萬國工藝品の共進會と爲し實用と學理とを兼備したる有益完全の物品を奬勵するを其目的とす又第二は輸出入品萬國博覽會なる者にして廣く商工農園藝の物産を聚むるを期し出品人は共進會に博覽會に各專ら其一に出品するも或は同時兩會に出品するも差支えなき者なりと云へり且つ此會は有志者の私設に係る者なれども同國政府及びブルツセル府廳に於て厚く之を保護し特に其會塲を共進會博覽會の二つに區別したるは一方に於ては專ら工藝技術の優劣を競爭せしむるを主眼として又他の一方には廣く貿易貨物の見本を聚め以て輸出入の道を促さんとするの手段なる由、勉めたりと云ふ可きなり右の外尚ほ歐洲に於て來年中に開設す可き博覽會は丁抹の首府コツペンヘーゲンに於て同國皇帝の保護に依り農工業及び美術品を奬勵せんが爲め五月十八日より同九月卅日まで開設する者にして初め同會の目的は專ら瑞典諸威及び丁抹三國の製産品を限り出品せしむるの目的なりしも斯く其規模を小にしては他の列國の美術工藝當時如何なる程度にまで進みたるやを詳にする能はざるを不便なりとし同會の理事員は同博覽會に萬國美術工藝品の陳列塲を附設することを議决し既に列國に向て其出品を促したる由に聞けり丁抹政府より我國へ紹介ありしや否は未だ我輩の聞かざる所なれども今日迄丁抹瑞典諸威の諸國とは日本貿易の關係至て少なきのみならず彼を知り我を知らしむるの手段亦甚だ乏しきの間なれば日本國が今回の博覽會を利用し以て兩國の交〓を密にす可きの點に於ては出品無用なりと云ふ可〓〓又來る二十二年〓も〓〓八十九年中の博覽會にして〓も日本に關係ありと思はるる者は同年の二三月〓〓〓〓〓〓か若くはリヴアプールに於て開設する農〓〓〓〓〓〓〓なり〓より先き英國に於て〓工業及び〓〓〓〓大博覽會を開き日本よりも之に出品して相應の聲價を得たるの事實は將來英國の博覽會には是非日本より出品せざる可らざるの誘引を與へたる者にして就中日本英國の間柄は交互貿易の利益に於て常に一致恊同を要するの縁もあれば來る八十九年の英國農産萬國博覽會には日本の出品をして大に名聲を高からしめ前兩會出品の際よりも更に幾等か出色の譽れを求むるの工風今日に於て豫め其覺悟なかる可らず又英國の次に歐洲列國の中に在りて日本の商賣に至大の關係ある者は佛國の外にある可らず同國は我國産たる絹絲賣捌の得意塲にして取引の大切なるのみならず佛蘭西製の織物雜貨等は能く我國人の好嗜に應して輸入も亦少なからず何れにしても日佛兩國間に通商の關係は等閑に附す可らざるものなり然るに同國政府は其國共和政治の一百年期を祝せんが爲め來る八十九年に國都巴里に於て萬國大博覽會を開くの議を决し歐洲諸列國に孰れも招状を送りたり共獨逸の如きは主として之に反對し其事政治上の目的に發して特に共和政治の萬歳を祝せんとするの精神は君主國に於て抑も抑も既に許さざる所なりとして一も二もなく斷然出品を拒絶したるに英露の諸國も同時の其手段に出でて歐洲中の君主國は遂に一國も同意を表する者なきに至れり且つ此等の國の新聞紙は獨り本國の出品に反對したるのみならず併せて他の國々の人心を動かして君主國の人民が共和國の祭に祝意を表するは忠節の所行に非ずなど議論し現に倫敦支那エキスプレスの紙上に於ては東洋の二帝國たる日本支那は右の博覽會に出品して獨り他の諸君主國と其方向を殊にせんと欲するの覺悟なりや甚だ取らざる次第なりとて暗に日支兩國に其出品の不可を諷するが如くなるは讀者の知れる所ならん其議論の當否は兎も角も爾く近年西洋の諸國に於て博覽會共進會の催しあるは日本の物産を將來西洋の市塲に廣く販賣するに最良の機會を爲す者なれば歐洲の政治社外にある日本に於ては成るべくの手段を盡し以て其機の利用を空ふせざらんこと偏に我輩の希望なり (未完)