「機會空ふす可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「機會空ふす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

近時歐洲諸國に於ては首府都會若くは開港塲等に貿易輸出入品の陳列所又は商品見本博物

館を建立して之に工藝技術一切の物品を聚め以て商賣人製造人は勿論、廣く一般の人に便

uを與ふるの風にして歐洲列國の中其規模の最も整頓したる者は白耳義、和蘭、日耳曼、

佛蘭西の諸國にして其商工業に奬勵の効を奏したるは事實に於て爭ふ可らず英國は古來製

造工業を以て世界に誇り列國孰れも之に及ぶ能はざるの有樣なりしに近年其商品の或は外

國市塲に勢力を失して漸く他に競爭者の現出するに心付き其原因を捜索したるに英品の意

匠製作兩つながら時としては他の國々に及ばざる者あるを悟りて是に於て五六年來頻りに

本國製造の技藝を進ましむるの策を講じ引續き萬國大覽會を開設し其他尚取る所の方便手

段一にして足らざれども近頃又政府の補助を以て國内所々に商業博物館を設く可しとの議

論を生じ昨今專ら其計畫中なりと云へり盖し商業博物館の設けを以て農工商事を奬勵する

其効の大なるは爭ふ可らざる事實にして我日本國に於ても殖産の爲め必ず其設立なかる可

らずとは世論の既に許して疑はざる所なり而して我輩が特に今日に其必要を感じたるは外

ならず抑も是迄も日本人の西洋博覽會に出品したるは兩三度に止まらず又其出品の度毎に

賞與を得、名聲を博したるの例も少なからずと雖も其出品の手續きを顧みるに毎々官の手

を煩はし爾も半年若くは一年以前より其次第を告げられて出品人博覽會開設の報あるを聞

き始めて其意匠を構へ悠然製作に從事して開會の期に迫り漸く整頓するが如き緩慢の調子

なきに非ず文明活劇の世界に在て斯る優良なる出品手段は我輩の大に取らざる所なり例へ

ば今回白耳義の博覽會へ出品を拒絶したる一條にても若し日本に豫て商業博物館、貿易輸

出入品陳列所等の設けあらば紹介次第臨機に其貨物を輸送し追て尚ほ時日もあらば後より

更に新規の品を送るの工風行はれ難きに非ずと雖も如何にせん現在我商工事業は平生の組

織至て散漫なる者にして一旦衆力を併せて業を爲さんとするの際には連絡相通ぜずして其

事の不規律なる恰も烏合の兵を驅るの趣なきにあらず其然る所以は本來連絡の中心たる可

き者なきの致す所ならんなれば今日商業博物館を設置して全國の商工業に其向ふ所を指示

するは誠に目下の急務なる可し就中我輩の希望する所は貿易輸出品の陳列所を東京若くは

横濱の如き便宜の地方に設置し現今海外に賣行の宜きものは勿論或は又將來に望ある品な

れば凡そ何品に限らず一切これを網羅して平生は内外人の參考用に供し又は外國に大博覽

會の催し等ある塲合には右陳列所の物品を直に同會に送致するか或は又同所に於て出品販

賣の委託を引受るの都合とも爲さば平生西洋人の嗜好に適せざる物品を塲所に陳列して轉

た彼れが笑を招くの迂濶も少なく又不意に西洋博覽會の開設に遭ふことあるも出品を誤ま

らず以て我販路を西洋市塲に弘むるの便法たる可し即ち内には自國の殖産を奬勵して外に

は西洋萬國の博覽會に必ず出品を忘れざるの手段なれば日本商工業の進歩を速ならしむる

の一策として我輩は早く其實行を望むものなり

尚ほ筆の序に一言せざる可らざるは來る明治二十二年佛國政府の開設に係る巴里萬國大博

覽會に我日本の會同を承諾したる一事是なり元來此會の目的は佛國共和政治の百年祭を祝

するに在るものなりとは既に前にも記述したる如くにして歐洲の君主國にて概ね出品を拒

絶したるも意味ありげなる話なれば日本に於ては其進退を如何にす可きやと論者中には此

事に掛念したる族もありと聞きたりしが我輩は始めより毫頭心に留めずして獨り謂へらく

歐洲の君主國が佛國と政體の利害を殊にす可きは當然なれども去迚これを以て殖産の目的

たる博覽會の出品にまで其不平の情を移さんとするは心得難き次第なり假に日本をして佛

國と隣國同士ならしむるとするも其博覽會には遠慮なく出品す可し况して東西其地を懸隔

することも亦甚しければ政治上の影響は憚るに足らずと竊に私言せしことなるに然るに我

政府に於ては本月十三日の告示を以て右博覽會に會同の旨を公布し厚く其出品を保護せら

るゝに至りたるは大に我輩の意を得たる者にして此一擧日本は决して政治上の得失より商

工業の進路を變ずる者に非ざるの事實を表明したりと云はざる可らず唯歐洲君主國の人民

が其佛國を悦ばざるの意を挾んで日本人の巴里博覽會に會同したるは面白からぬ仕打なり

と爲すの行違ともならば日本の迷惑實に此上ある可らず依て念の為め我輩は右の論者に寄

語して曰く日本が巴里の博覽會に加盟したるは敢て其共和政治を崇めんがためにも非ず又

好んで歐洲君主國の歡情を傷けんとの野心あるにも非ず一向一念我商工業の進歩を圖らん

とするより外他に顧みる所なき者なりと(完)