「時是れ黄金」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「時是れ黄金」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

時是れ黄金

とは元と西洋の諺にして今は既に日本人の内に膾炙し世上に之を悦ばざる者なし即ち人生は勞働して衣食するものなれば時を空ふするは取りも直さず金を失ふに異ならず一日の骨折を以て卅錢を得べき人力車が半日供待して十五錢を失ふの勘定は世人の普く知る所にして疑ふ者もなかる可し尚ほ以上に上り人人の職業次第にて一日一圓の人もあらん二圓の人もあらん一年に三千六百圓の所得ある人は一日の骨折十圓に當り其半日を空ふするは即ち五圓金を失ふことと知る可し是れは一人一家の私の勘定なれども私の所得は即ち集まりて一國の富と爲り富家は富國の基なりとの道理も明明白白にして是れ亦疑ふ者なかる可し左れば一國の人事は其公私を問はず都て手數を簡易にして勉めて人の勞働を空ふすることなく何事も早く埒を明けて烟草一服の間も無益にせざるは一人一家の利益のみならず天下經濟の大事と申す可きものなり如何とすれば其一服の時間は幾許の黄金にして之を空ふするは家の爲め、國の爲めに財を失ふものなればなり

右の道理にして明白なるときは我輩が常に憂ふる所の今の官邊の繁文は國の爲めに利害如何と尋ねて其答辨に當惑するものなり但し國家の利害など云はずして之に易ふるに損益の二字を以てし全く商賣上の錢勘定より之を云はんに政府の文事はいよいよ進歩すれば隨て其事務の繁多なるも自然の數にして其影響は直に民間に及び凡百の民事都て政府の文に伴ふて進歩せざるを得ず例へば戸籍の事、衛生の事、貸借賣買の事等その調査いよいよ精密なれば人民は之に應ずるに同樣の精密を以てせざる可らず然るに今日の日本を視れば政府こそ特に文明なれども民間十中の八九は依然たる舊世界にして日新の新文明に狼狽するの情を免かれず之が爲めに無益の奔走質問に勞して時を失ふことは如何ばかりなる可きや實に存外至極の事共なり我輩は東京に住居して政府の筋に關係の事は各地方に比して餘ほど簡便なりと稱する者なれども雇人の出入は之を屆け、食客書生も寄留なれば其屆に法あり、少少の普請修繕立足しにても家屋税等の事あれば之を私にす可らず、下水は云云、便所は云云、上水に飮む可きあり飮む可らざるあり、時として外國人など雇入るれば其手數は最も易からず、又時として郡區役所に呼ばれて罷出れば飼馬の有無と其歳と其産地と其毛色とを尋ねられ、屋敷地に樹木の有無と其種類と其大小とを調べられ、子供の種痘は如何と糺され、老母は誰れの弟何女なるやと問はれ又或は府縣會の要用にてもあるか當府内に於て地租五圓以上を納む、一年以上禁獄の刑に處せられたることなし、身代限の處分を受けたることなし、陸海軍人に非ず、府縣會に於て退職者とせられたることなき旨の書面に調印して指出す可しと促がさるる者もあり、旅行すれば旅行の屆、歸京すれば歸京の屆、出産埋葬傳染病の屆は勿論、都て願屆には書面を要して其書に又た式あり既に先般時事新報社の戸外に日除けの爲め柳の木四五本を植ゑたるにも數片の書面と數日の奔走にて官民の勞働は中中容易ならず試に社にて計算したるに柳を植る爲めに數日奔走したる人力車代と社員の骨折と幾枚も認めたる願書の下案、清書の寫字料筆墨紙代とを合計すれば植木屋へ拂ふたる樹木代と手間賃とよりも遙に多き數を得たり以上の事情、時としては中央政府の旨にあらず唯人民が公務に不案内にして官民の間に圖らざる間違を生じ以て雙方に無益の手間を潰すことも多からんと雖も間違なるも間違ならざるも日本國中に潰れたる手間は錢の勘定より見て無益なりと云はざるを得ず畢竟これとても政府の筋の無理にあらざるのみか其公務中甚だ大切なる箇條も多し之を施行して人間萬事を整然たらしめ東京府下四里四方百餘萬人の運動を見ること之を掌に指すが如くならんとするには如何にも必要のことなり即ち文明の佳境に入りたるものならんなれども唯恨らくば市民は未だ文明を知らず、否な知らざるに非ず其生計渡世に忙はしくして之を知るの暇を得ず時時公布の文面さへ之を讀まずして終日終年寸暇を得ず總身に汗して衣食を逐ふの最中忽ち公用の關係に逢ふて狼狽するのみ而して其狼狽の結果如何を尋れば時を空ふして勞働を中止し所謂黄金を失ふて自から苦しむのみならず詰り日本國の損亡を見る可し誠に殘念なる次第なり左れば方今全國の地方政治并に警察事務に就ては我輩敢て之を非難するに非ず文明盛事の一方より見ればいよいよ進歩していよいよ美なりと雖ども錢の一點に眼を着して少少の不體裁は之を忍んでも幾分か事を簡にして國民に時を與ふることを勉め一民をして半日の時を空ふせしめざるは即ち半日丈けの黄金を得せしむものなり即ち國の爲めに夫れ丈けの國財を得たるものなり即ち富國の源に一滴を注ぎ入れたるものなりと勘辨したらば或は更に妙案の生ずることもある可し我輩自から説なきにあらざれども先づ差控へて之を當局者の方寸に任するものなり