「東京市中の防火組織」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京市中の防火組織」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京市中の防火組織

本年既に押詰まり人人奔走に忙はしき折柄なれば百事の注意自から周到ならざる所もあるか此十日以來府下各所に於て失火したる者少からず就中去る十八日の夜の如き一は淺草區馬道町に發火して見る間に四百餘戸を灰燼と爲し又忽ちにして日本橋區蛎殼町にも火を失し一千六百有餘戸を烏有に歸せしめたるは近來の大火なりと云ふ可し左なきだに貧民は此歳晩に迫り如何にして新年を迎へんかと窮苦の聲を絶たざるの其處へ天更に兇火を下して無辜の民に災ひしたるは實に哀む可き事にして縱令へ富裕なる人と雖も此節季に類燒の災難は思ひ遣られて氣の毒なり人事社會の厄運は疾病兇〓二三にして足らずと雖も貧富與に其災を蒙むりて人に艱難を齎らすの多き者は祝融氏の害に若く可らず罹災者の不幸何時ながら察せざるに非ざれども特に此節季に際しては我輩爲めに一層の感觸を起さざるを得ざりしなり

之に附けて我輩の取敢へず想ひ起したるは東京府下の防火法なり從來都下の消防組織は舊幕の時よりして伊呂波四十七組の者と幕府諸藩邸の鳶人足等にて其人數極めて多かりしにも拘らず一夜市街に失火すれば餘■(「勹+臼」+右側に「炎」)延で方里に及ぶの有樣なりしは全く其法不完全の致す所に歸せざる可らず近頃に至り政府の筋にて頻りに防火の事に盡力し市中各所に防火線路を設け又屋上制限の法をも嚴にして先般來市街の家屋には杉皮■(きへん+「沛」の右側)の家根あるを見ざるが如き其手段の往屆きたる者なきに非ず又往日に在りては一般に疎末なる龍吐水を使用したりしに器械喞筒の流行よりして防火の効驗著しく顯はれたるは世人の知れる所なれども器械喞筒も人手を以て運轉する者なれば失火警報の急に應ずるまでには緩慢遲延空しく時間を費して獨り祝融氏に其毒を逞うせしむることあるのみならず實地に臨みても其水力甚だ微弱にしで未だ利器の名を下だすに足らず是に於てか一歩を進めて蒸汽喞筒所望の念を起すも亦自然の道理にして東京府廳は先に之を外國より取寄せ現時數箇所の消防署に一臺宛を備附け毎毎失火の際に蒸汽の力を利用して其功著しく近時都下に大火少なきも其原因は專ら此蒸汽器に在りと云て違ふことなかる可し然れども昨今蒸汽喞筒の臺數甚だ乏しくして東京全市中には其配布未だ普からざる所もあれば消防署近傍の失火ならば兎も角も距離やや遠き塲所には未だ喞筒の來らざるに先て火■(「勹+臼」+右側に「炎」)既に四方へ飛漫するの患なきに非ず又例へば去る十八日の出火の如く一夜の中に二箇所三箇所の火災あるに當りては東西に喞筒を引廻はしつつ在るの其際に空しく火毒を逞うせしむるの危險なかる可きや孰れにしても蒸汽喞筒の數甚だ乏しく全市街其配置不充分なるは世人の許して疑はざる所なれば府下消防の組織を全うせんには速に蒸氣喞筒の數を増加するの手段大切ならんと信ずるなり

右は正面よりの議論なれども飜て反面より今の東京市街を見渡すに表町は豪賈紳商の家又は會社銀行の所〓地なりと云ふと雖も其裏町は軒を并べ戸を列らねて〓〓〓〓〓ならざるなし〓て其家屋の如き今は屋上〓〓の〓〓〓が爲め屋根丈けは〓〓〓るに似たれども全〓〓〓〓〓〓疎末なる〓〓〓〓〓枯燥して火氣を誘ふ〓〓〓〓容易なれば東京の全市到る處恰も四面に家を建てて中に束薪を列べたるの趣なきに非ず即ち何れか一箇所に發火すれば火■(「勹+臼」+右側に「炎」)忽ち此束薪に投じて四方に延燒するは從來の火事毎に人の親しく目撃する所なり特に去る十八日の出火の如き両所共に斯く延燒して其火毒を散らしたるは何故なるやと云ふに例の如く貧人巣窟の家屋其勢を助けたるに疑あるべからず東京の中央市區とも云はる可き繁華雜鬧の市街にして此の如く貧富雜居するの其間は如何に蒸汽喞筒の數を増すとも其働の充分なる可らざるは視易きの道理にして正面の消防手段も反面の貧富雜居法あるが爲めに常に其効驗を奪はるるは大に我輩の遺憾とする所なり盖し貧人火を失して其害富人に及び、富人罹災して其毒直接に貧人に及ぶは雙方共潰れの難儀にして帝都の繁榮を害する是れより甚たしきものはなかる可し抑も貧人の居を中央市街の外に移す可しとは我輩平生の議論にして東京市區の改正は申すに及ばず其他衛生法給水法諸般文明の事業を起すに當りても今の儘に貧人を市府の中心に置くは不便不都合の次第なれども特に消防組織の完全を祈るに就ては我輩最も其要用を訴へざるを得ず或は貧人を中央市街の外に移すべしと言ふに就き世人は此言を以て貧人の不幸を顧みざるの論なりと爲す者もあらんかなれども鄙見を以てすれば决して然らず地價の高き中央に居住して衣食住の不足に苦まんより市街の外に居を轉じて日日市街中に出稼するの風と爲さば生計快樂兩つながら今に較べて滿足なるの望みもあらん之に關して我輩尚ほ所見なきにも非ざれば他日別に論ずる所ある可し