「米國商話」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米國商話」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國商話

 左の一編は森下岩楠氏が米國の新聞より抄譯し去る十七日横濱商法學校に演述したるものにして其所記往往我商賣社會の後進輩に心得ともなるべきもの尠からざれば更にここに掲載して社説に代ふ

    米國商話

北米合衆國の都府紐育なるウオル街に三大豪商ありジエイ グール、ルオツセル セージ、及びシラス ダブルユー フヰールド と云ふ此三氏は孰れも田舍に生長したる人にして始めて商業に就きたる時は一弗の金さへ懷にすることなかりしも今は既に數百千萬弗の産を成し而して其財産は悉く自己の勤勞を以て造りたるものにして一弗として他人より貰ひ受けたるものにはあらずグール及びセージの兩氏は生れながらにして商賣の才に富み實業に從事してより其才益益發達して頗る理財の〓〓を極めたりフヰールド氏も素より斯の如き若〓なきにはあらざれども其心事自から雅致の存して兩氏の如く俗ならず氏は常に美術を悦び洪大美麗なる文庫を作りて所藏の名畫など甚だ多し且好んで交際を廣くして人を饗應し又人の饗應を受るを以て快樂とせり氏は高尚なる教育を受けたる人にて博く哲學を修め政事學〓及び宗教の事に就ても夫夫自家の説を有し殊に詩歌に熱心して小説を讀むを以て平常消閑の資に供すと云ふグール氏は商賣一偏の人にして其財産は一億弗の以上もあるよしなれども一弗の金を得るが爲めに勞働する其趣は紐育府中尋常一般の人に異なることなし之に反してフヰールド氏は最早グール氏の如く金を得ることに齷齪せず其財産は二千五百萬弗にして從來の生活は甚だ活溌なるものなりしかども今は巳に其増殖に孜々勉勵することを止め寧ろ身を安樂の地位に置て人生の行路を易易閑中に處し得たるものの如し之に引替へセージ氏は米國中比類なき勉強家にして其商賣時間中の勉強の如きは如何なる職工と雖ども遠く及ばざる程なり氏は巳に其頭髮に雪を戴くに至りたるも矍鑠として恰も壯年の血氣に富み其理財に於て一弗の金は如何なる價あるものなるかを玩味識別し能く之を集散して徒費せざるの才幹は何人も氏に及ぶものなかるべし氏は小人なり吝嗇家なりとの惡評をなすものあれども批評は全く無稽の放言にして氏は素より與ふべき價ある人に金を與ふるを吝む者にあらず唯苟もせざるのみ心身屈強にして事に堪ふ可き人を見て徒に己が財嚢を開き恰も富めるに續くが如き惠與は氏の爲さざる所なり氏の財産は悉く一己の努力を以て造出したるものなるを以て能く其眞價を知り大なる理財の事業を執るに當り深切に之を取扱ふ其趣は事を以て最親の朋友と爲すものの如し氏は其内の邸宅を美にして帝王の宮殿に均しき壯觀を裝ひ金を以て購ひ得べきものは悉く之を集めて豪奢を極め、外に向て他人との交際には風采秀麗にして一進一退の節度に適する其趣は禮式の師範の如くにして貴婦人などに接するにも頗る愛嬌ありて其擧動恰も男中の美人とも稱す可きものが處を轉じて商賣の事務所に事を執るに當ては手足の活溌にして〓〓の〓〓なること脱兎の如くにして毫も休憩することを〓らず唯たまたま閑を得れば人と緩話するを以て〓となすのみ或る人が氏に面會したる時は恰も其國に〓じて談話の〓次、今の壯年輩が如何して商賣世界に身を立て功を成し得べきやの問答を開きしに

或人問 セージ君には已に數百萬弗の財産を造りたり今日米國にある數千の壯年は孰れも君の教訓を受けんことを望み居れば請ふ一言を惜む勿れ

答 (此時セージ氏は椅子に憑りて)余は素より莊年輩の知らざる事柄を教ふる能はず

問 されば腦膸と勇氣とより外に資本のなき壯年が商賣世界に出でて功を成さんとするに其機會あるべき歟

答 腦膸及び勇氣を有する壯年が商賣世界に出るは甚だ宜しきことなれども此の外に正直、頓智、忍耐の性質を兼有するに於ては一層成功の機會多かるべし腦膸と勇氣とを有するものは貨殖の頂上に達し得べきなれども他の性質を兼有するにあらざれば其地位を確實ならしむ可からず

問 壯年輩が學問藝術にて身を立ると商賣にて功を成すと其機會の多少如何

答 然り余の思ふ所にては最大の富者は商賣社會にありて學問藝術の社會にあらず且商賣にて富を致す者の割合は學問藝術にて名を博し富を造りたる者の一人に對して五人若くは十人位に當るならん

問 壯年にして朋友なく又助力者なき者は如何なる法に由り商賣に就くを良しとなす歟

答 第一地位を得べく第二多言を謹み口を閉つべし第三能く事物を觀察すべし第四信實なるべし第五己が事ふる所の主人をして自身の必要を感ぜしむべし第六世辭を宜しくすべし以上は壯年が既に地位を得たる後に執るべき良法にして能く之を服膺するに於ては焉ぞ朋友なきを患へんや實に朋友の要用はなかるべし

問 商賣の方法に就き緊要の知識を得るには如何なる學問又は書を讀むを宜しとする歟

答 朝夕に發行する新聞紙を讀み殊に世界の市塲の景况を記載せる部分に注目すべし尚ほ實地の學問も肝要にして之を修め得べきは唯或る大家の商店に入るに在るのみ

問 君が莊年輩に讀むべしと教ふる書釋の名を示すべし

答 The Bible,Dickens,Thackeray,Scott,Charles Kingsley,Irving,Hawthorne,Byron,Shakspeare,Balzac,Lew Wallace,Bret Harte,Longfellow,Emerson,Lowell,Bancroft,Prescott,Parkman,Fielding,Smollet,Tennyson,Gibbon,Macaulay and Ruskin. の書なり

問 壯年が商賣世界に出でて功を成さんとするには中學校の教育を受ること必要にして便益ある歟

答 决して然らず中學校の教育を受るは壯年をして却て商賣世界に出るを不適當になすべし

問 君は豪商又は大銀行者となるには常に如何なる性質を備へざる可からずと莊年輩に忠告するならん歟

答 常に事物を在の儘に示し信實を失ふことなく决して約束を破る可からず之を要するに人の面前にては直言に憚りある言を其人の在らざる處に於て言ふ可からず他人に會すれば其人の惡人たる證を得る迄は總て善人と思ひ惡人たるの證を得たる後惡人たるの取扱をなすべし

問 君の經驗にては商賣人に取り如何なる性質が最も價格の高貴なるものとなす歟

答 扨て人は正直なれば愚鈍にして怜悧なれば不正直のもの多ければ此問に答ふることは甚だ困難なり左れども先づ余の考にては正直を以て價格の最も高貴なるものとなす

問 商賣人は學士技術家法律家醫師等の如く數多の朋友を得て交際を廣くし以て衆人の尊敬を受るに至るべき歟

答 商賣人は學士等の如く數多の親友を得べきものとは思はれず商賣人の得るものは金にして金さへあれば朋友は之に隨伴し來るものなり

或る人は又右と同樣の問を以てジユー グール 氏に質したるに其時氏は甚だ繁忙なりしを以て充分に談話の暇なき旨を述べ單に左の答をなしたり

答 君は腦膸の外に資本なく勇氣の外に勢力なく確乎たる志の外に朋友なき壯年が商賣世界に出でて功を成すべき機會の有無を質問することなれども今の紐育府は四十年の昔とは時勢を殊にして斯る機會は遙に減じたり

問 其理由は如何

答 今は昔よりも敵多く競爭烈くして奢侈放蕩に誘引するもの多きを以てなり

問 其れは又如何なる故歟

答 第一今日は四十年の昔よりも紐育府中に才能を有する人物増加したれば何れの商賣にも敵なきはなくして自から互に競爭せざるを得ず其次に今日は金を消費するの時機増加したるのみならず知らず識らず奢侈放蕩に流るるの弊多きを加へたり

問 左れども壯年の志堅固にして所謂愉快なるものを斷念し奢侈放蕩を避けて一心一向に商賣に身を委ね其餘暇あれば才能を改良發達することに從事する者あれば如何

答 君は今日斯る壯年の何處に在ると思ふか、假令へあればとて非常に稀なるべし

問 素より實際の有無を知らず單にあるものと假定して質問するなり

答 余の考にては斯る壯年は遂に功を成すに至るべし

問 斯る壯年は如何なる種類の商賣に從事するを良とする歟

答 壯年の想像して好む所に任すべし左れども壯年は第一に其職業を愛せざる可からず其次に之に身を委ねて他事を顧ざるのみならず總て愉快なるものを斷念し目的を確實にして一身の用を節するは勿論萬事儉約を旨とせざる可からず

問 君は莊年輩に吝嗇なるべしと忠告するならん歟

答 余の經驗に由れば貯蓄金の始めて一千弗に達する迄の困難は頗る堪へ難きものなり然るに彼の莊年輩は此金を守るを知らずして動もすれば不取締に流れ、避けて避く可き無用の事に貯蓄を空ふして自から稱して之を快樂と云ふ、成るほど一千弗は誠に大金ならざれ共始めて商賣の門に入りたる壯年の見に取りては中中の大金にして之を消費するは奢侈快樂なる可しと雖ども其實は唯憐むべきのみ若しも此一段を忍耐して相應の家産を成すに至れば後悔の患なくして快樂を買ふの時に逢ふ可し左れば成功を望む壯年は其初途に於て幾分か一身の不愉快を忍び總て費用の多き交際を避けて成功の途次に横はる妨害物を取除くを以て〓〓となさざる可からず

問 然らば紐育府にても斯る壯年の功を成すべき機會あるや否

答 然り然れども斯る壯年は百萬人中恐らくは一人なるべし左れば資本もなく勢力もなくして單に勇氣と腦膸とを有する壯年の爲めには紐育府よりも敵の寡くして競爭の烈しからざる塲所を撰むべし尤も斯く云へばとて勤勉にして勇氣ある壯年の志を挫かんとするにあらず唯紐育に於ては成功の路に困難と危險の多きを示すのみ

問 君は壯年に商賣を學ぶべしと忠告する歟

答 力の及ぶ限り之を勸む可し何人にても商賣の熟練は必要なるものなり

問 學問の法は如何

答 壯年をして毎日に新聞を殘る所なく讀ましむべし何人にても新聞を讀めば日日の出來事を知るの外に良き教育を受るに至るべし又書物なれば善良にして文章も好く害なきものを讀ましむべし余の爲めには讀みたる書物よりも記臆せるものの方効能多かりしを以て如何なるものにても手に觸れたるものを讀みて之を記臆すべし且惡しき朋友を避けて一己の意思に由り進退を决すべし斯の如き法を服膺する壯年は將來身を立るに至るべし

シイラス ダブルユー フヰールド氏の方は他人の一時間に爲す所の事務を十五分時間に處理するものにして其持論に都て事は簡短なるべし、時は甚だ高價のものなり、守時、正直、簡短は商賣人の格言なりとの言を常に唱へ居るよしなるが或る人が氏に面會したるときにも氏の言に長文の書簡を認む可からず商賣人は長文の書簡を讀むの暇なかるべし又談話も成る丈け簡短にすべし如何程錯雜したる事柄にても一枚の紙に短く認め得べからざるものなし云云と話したりと