「太平洋海底電線工事」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「太平洋海底電線工事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

太平洋海底電線工事

日本米國の間は一水相隔てたるのみにして汽船交通の今日には其距離極めて短き者なり特に兩國貿易の上より云ふ時は其關係緻密にして未來の商運只管繁昌の勢なれども獨り太平洋に海底電線なきは遺憾の沙汰なり我日本人は今後米國と倍倍和親を結ばんが爲めには太平洋電線架設の議を贊成する者にして若し米國の與論も同意ならば雙方の委員を會堂せしめ恊議する所ありたしとまで嘗て鄙見を開陳したることありしが(昨十九年五月五六兩日の社説)近時聞く所に據れば米國に於ては早くも既に其説盛んにして政府は測量の事業をも終はり今は專ら架設者の顯はるるを待ち居る者の如しと云へり即ち此程米國郵船の齎らし來りたる桑港デーリー エキザミネルに其事の成立と實測の圖面とを添へ昨今米國に於て有力者が之に對するの意見如何んを記載したる者あり幸ひ日本に於ても其私議あるの折柄なれば爰に要領を左に記して聊か與論に訴へんと欲するなり

偖桑港デーリー エキザミネル新聞は十一月十三日の紙上に論じて曰く合衆國と支那、日本、濠太剌利及び布哇群嶋との間に海底電線を沈架するの利益は多年來世論の許す所にして二十年以降絶えず計畫ありたれども今日まで其業の着手に至らざりしは電信の營業果して資本家に充分の收益を與ふるの見込ある可きや否やの一事確定せざるが爲め資本家も逡巡して資財を投ぜざりしに由る者なり其間人民より諸州の政府に建白して官の保護を仰がんとしたる向きも少からず旁旁太平洋海底電線の議論到る處に熾んにして去る千八百七十三年(今を距る十四年前)合衆國國會議院は電線沈架の目的を以て米國日本間太平洋の海底を測量せしむるが爲め其費目を議定したり是に於てコモドール ベルクナツブ氏に其事を任じタスカローラ號を以て測量船に充て米國海岸と日本横濱との間に精密なる測量を遂げたるは別項の記事に於て詳なるが如し其後ちコモドール 〓ルツー氏は更に又布哇群嶋より濠洲ブリスベーンまでの間を測量し一は日本支那に達する者と一は〓〓〓〓に達する者と二〓の〓〓を測定したり而して日本〓〓〓〓〓〓事は〓〓如何にと云ふに日本近海の〓〓〓〓〓〓〓〓ふるの〓〓〓〓〓る激くして水〓〓も〓〓れば多少困難あらんと雖ども之を外にしては〓〓の工事に難あるを覺えず當時合衆國政府に於ては彌よ彌よ電線を沈架するの意見かと思はれたりしも何故か中途に其議を廢したるの有樣にして爾來人民より國會に其事を申出でたるは屡屡なりしも國會は之に對して捗捗しき注意を向けず以て今日に至りしなれども是れより先き布哇國の人民は最も此事に熱心して米國布哇の間には是非電線なかる可らずと人民中より委員を擧げシーラス フヰールド氏に事を任して合衆國國會議員に其希望を陳述し其他種種の手段を盡して必ず目的を達するの都合に聞きしがフヰールド氏が熱心盡力せし甲斐なく其議も殆んど立消えの姿と爲りたるは遺憾と云ふ可し然るに今日右の議論再發して時機漸く熟せんとするに至りたれば我輩(エキザミネル記者)は普く有力の紳士實業家に意見を叩きたるに孰れも其必要を認めざる者なし云云

次に同新聞は測量主任コモドール ベルクナツプ 氏の談話を載て曰く太平洋測量公用船ダスカローラ號が桑港に於て砲門彈藥より一切測量の器械を用意したるは千八百七十三年六月中の事にして鉛線其他の材料を積込むまでに尚ほ數週日を費したり測量の線路は米國フラツテリー 岬(華聖頓領レウユス郡の海岸より突出したる海角なり)を起點となしアリユーシヤン群嶋に沿ふて日本横濱までを實測するに在りたれども彼れ是れせし間に時日を費し漸く同年の九月十七日フラツテリー岬を出發し副提督ジエーウエル氏を助手として海軍大尉ノリス氏も一方の仕事を負擔し直に測量を始めたれども今回の線路は其緯度北方に偏すれば寒氣の來るも早かるべく所詮其年中に功を竣はるの見込なきは初めより期せし所にしてフラツテリー海岸を離れ次第に二十五回の鉛線を下したるに最深の水底一萬五千英尺を得、岬北西を踰えて二百英里の處に隆岡あり之を過くれば水底一英里に六英尺の下りを以て漸次に探し此際諸般の測量は良結果を得たれども季節追追冬に迫まりて事業の困難なる可きを察し來年の夏まで北線の實測を見合はすことに决し一先ず桑港に歸航したれ共間もなく命を受てサンヂーゴー(サンフランシスコの東南四百五十英里の處に在り)に赴き同所より布哇嶋を經て日本小笠原嶋より横濱までの測量に着手したりサンヂーゴーより布哇國ホノルル港の間に六十二回の鉛線を投じたるに深さ四百二十六英尺より一萬八千三百二十四英尺の間を得、續てホノルルより小笠原嶋までの測量は二十九日の間に五十九回の鉛線を試みたるに最低の深さは小笠原嶋の近海に於て一萬九千七百二十英尺の者是なりしも其他尚ほ概して水底深く十八回の鉛線悉く一萬八千英尺以上に達したり小笠原嶋横濱の間には十二回の測量を爲し最低の深さ一萬四千六百十英尺を得て中央北太平洋の電線測量事業一先ず完結し漸く横濱に入港したり         (未完)