「太平洋海底電線工事」
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時事新報に掲載された「太平洋海底電線工事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
太平洋海底測量公用船クスカローラ號は斯て横濱に留まる二箇月にて出發し今回は日本海
岸よりアリユシヤン群嶋の線路を測量し嚮にフラツヲリー岬より中途まで檢定を試みたる
北線の連絡を完うせしむるの計畫に着手したり然るに日本海岸を距る僅か一百英里にして
鉛線の深さ一萬九千五百六十英尺に達し更に三十英里以内の處に於て二萬五百六十英尺を
得たるは是れまでに無き深さなりしに他の一回の測量に又々二萬七千八百六十英尺の鉛線
を投じたるには我輩も一驚したり(測量主任ベルクナツプ氏自から言ふ者と知るべし)是
の所は日本人が黒潮と稱する暗流にして當時測量に充分の注意熟練を盡したれども一行尚
ほ其困難を感ずるを免れざりし此の如くして日本近海の測量を了はり漸く北海道を發した
りしは千八百七十四年六月下旬の事にして夫れより千島線路を測り北緯四十八度に至りて
路を南西に轉じアリユシヤン群嶋の邊に所々鉛線を投じ此れに昨年の九月中フラツテリー
岬よりアリユシヤン嶋までの測量事業を併せ北線の位置粗ぼ明白なるを得たれば予は直に
桑港に歸航し使命を終へてタスカローラ號をコンマンダル ヘンリーエルベン氏に引渡し
たり尋でエルベン氏も亦桑港より布哇までの線路を測量したれども其結果は昨年予がサン
デーゴーと布哇との間に爲したる者に較べて著しき異同を見ざりし既にしてコンマンダル
ミルラー氏は更に又該船に搭じフヰジー群嶋を經て濠洲ブリスベーンまでを仔細に測量し
是に於て太平洋二大海底電線の豫定線路始めて决したる者なり
タスカローラ號の航海は初より線路測定の一事に外ならざりしと雖も兎に角に滿一箇年を
費し太平洋の海底を測量したることなれば學問社會に新奇未聞の事實を與へたるの利uも
少からず就中水學地質學或は地理學上世人の未だ知らざる知識を齎らし歸りたるは全く意
外偶然の獲物にして例へば今日まで世界の高山亞細亞に在りとは何人も知る所なれども之
と同時に世界最底の地層亦亞細亞海に屬するの事實は今回の航海に於て確め得たる者と云
ふ可し其他太平洋の海底は如何なる地層より成るやの疑問も從前は諸説紛々たりしにタス
カローラ號の測量は恰も之に斷案を下し以て其爭ひを中止せしめたるの趣なきに非ざれど
も此等は姑く擱き唯電線線路に關して大略を話さんに第一はフラツテリー岬より横濱の線
路第二はサンヂーゴーより横濱の線路第三は桑港よりブリスベーンの線路にして其距離各
左の如し(圖に照し見るべし)
第一フラツヲリー横濱間 四千百六十英里
第二サンヂーゴー横濱間 五千五百十英里
第三桑港ブリスベーン間 六千二百四十五英里
現時太平洋に海底電線なきが爲め米國人の東洋に商賣する者は尤も其不便を蒙むるを免れ
ず例へば紐育より香港まで何か事ありて急に打合せを要するの塲合にも一たび太西洋を踰
え歐洲を迂回して印度海より漸く東洋に達するの有樣なれば中途電信の繼立を爲す可き箇
所少くも二十餘に及ぶと云へり然るに若し之に反して太平洋海岸より日本を經て直に香港
に通ずるの線路ありとすれば中間電信接續を爲すの地も僅か二三箇所に過ぐ可らず今の大
西洋を迂曲する電線の仕組に於ては所々手を經るの多きに從ひ電信代價の嵩む可きは自然
の道理なれども此事は言はずして唯單に迅速一偏の熱より見るも太平洋に電線なきは米人
の不便實に此上あらざるなり(未完)