「時事新報に謝す」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「時事新報に謝す」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

時事新報に謝す

 左の一文は神田生の寄書にして其時事新報を評する溢美敢て當らずと雖ども人事活動の趣を論する頗る時勢に中るものあるが如し依て其儘記して本日の社説に代ふ          時事新報記者誌

   時事新報に謝す

在昔或る藩中の士に茶道を好む者あり江戸勤番に東海道を通行しながら毎夕旅宿に着けば持參の釜を荷物の中より取出して座を拂ひ、花をいけ、軸物を掛けなどして茶の湯ざんまいに忙はしくするにぞ同伴の人は終日草臥はてたる處に之を見るも五月蠅く時としては附合に茶の相手をさせられるに困りて如何に好きの茶の湯なりとて道中丈けは見合せて然る可しと忠告しければ茶人は笑て道中も人間一生涯の中の日なり之が爲めに我樂しむ道を廢するは死したるに異ならず君等は可惜人生を空ふする人なりとの答に同伴人も返へす言葉なかりしと云ふ之に就て思出したるは今年一月一日の時事新報に其發行三百六十五日打通しに年首歳末祝日日曜の休刊を廢したるは他の諸新聞紙に比して一年凡そ五六十日の事を多くして即ち夫れ丈けの壽命を長くしたるに異ならずとあるは如何にも近來の新説にして吾吾讀者の身となりては等閑に附す可らざるものなり世の人事次第に繁多に赴くに從て其錯雜も亦甚だしく三年見ずして面目を改る抔はむかしむかしの談にして今の世相は三日の中に變化し一日を油斷して自家の利害に大影響を及ぼすの事例は毎に珍らしからず日曜日とて起居眠食せざる可らず、起居眠食常の如くなれば一切の人事も亦休息するに非ず左れば日曜も亦是れ人間一生涯の中の一日なれば其日を空ふして耳目を閉し聞見の道を塞ぐは取りも直さず六日の生に一日の死を添ふるものにして文明の活世界にあるまじき事なり一日新聞紙を見ざるが爲めに商賣の機を誤まりて失ふ可らざるを失ひ、利す可きを利せざるものあり、故郷の家の類燒したるを知らず田園に天災ありしを知らざるものあり、汽船汽車に乘後るるものあり 郵便の時刻を誤るものあり、殊に政治上の出來事にして其機變の迅速なる舊臘二十六日保安條例の發布引續いて退去人の處分の如き其時に當りて今日は日曜なり昨今は歳末なり又年首なりとて新聞紙を見ざる者もあらば縱令へ政治家ならざる尋常一樣の商人にても兼て得意の旦那は昨日既に三〓外に去りたり、否な遠く故郷に歸りたりと聞いて始めて驚くの奇談もある可し吾吾は兼て時事新報の讀者なれども舊臘より本年の始めに掛けて特に其無休刊の効能を感ずること淺からず竊に案するに活世界の活動は决して今回に限らず農工商事に又政治上に今後いよいよ繁多にして其發するや所謂疾雷耳を掩ふに暇あらざるの變動なきを期す可らず此時に當りて吾吾の耳目を托する所のものは唯新聞紙あるのみにして殊に其聞見の利を利して一日の間斷なきものは日本國中唯一の時事新報のみ、吾吾は由て以て茶客の笑を免かれんとする者なれば敢て一言を呈して記者の勞を謝するものなり

              東 京  神 田 生

    時事新報記者足下