「日本男子論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「日本男子論」(18880113)の書籍化である『日本男子論』を文字に起こしたものです。

本文

本年一月十二日より同二十四日までの時事新報に掲載したる日本男子論は、頗る江湖の注意を引起したることゝ見え、既に或る地方にては有志有力の貴婦人士君子結合して、廣くその地方の男女に該論の旨を實施せしめんとて盡力最中の處もありと云う。就ては過般以來、諸方より特に右の新聞紙を得んとて續々注文あれども、新聞紙は一日限りの用にて殘りもあらざれば、今回その社説だけを集め一册子に製して以て需に應ずるものなり。

明治二十一年二月 手塚源太郎 記

日本男子論

福澤諭吉立 案

手塚源太郎筆 記

明治十八年夏の頃、時事新報に日本婦人論と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家に居て男子のみ獨り快樂を專にし獨り威張るべきにあらず云々の旨を記して數日の社説に掲げ、又十九年五月の時事新報、男女交際論には、男女兩性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、兩性の交際自由自在なるべき道理を陳べたるに、世上に反對論も少なくして鄙見の行われたるは記者の喜ぶ所なれども、右の婦人論なり又交際論なり、何れも婦人の方を本にして論を立てたるものにして、今の婦人の有樣を憐み、何とかして少しにてもその地位の高まる樣にと思う一片の婆心より筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の氣を引立るの勢を催おして、男子の方に筆の鋒の向わざりしは些不都合にして、之を譬えば爰に高きものと低きものと二樣ありて、何れも程好き中を得ざるゆえ、之を矯め直さんとして只管その低きものを助け、如何樣にもして之を高くせんとて唯一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過るものを低くせんとするの手段に力を盡さゞりしものゝ如し。物の低きに過るは固より宜しからずと雖ども、之を高くして高きに過るに至るが如きは寧ろ初めのまゝに捨て置くに若ず。故に他の一方に就て高きものを低くせんとするの工風は隨分難き事なれども、之を行うて失策なかるべきが故に、この一編の文に於ては彼の男子の高き頭を取て押えて低くし、自然に男女兩性の釣合をして程好き中を得せしめんとの腹案を以て筆を立て、日本男子論と題したるものなり。

世に道徳論者ありて日本國に道徳の根本標準を立てんなど喧しく議論して、或は儒道に由らんと云い、或は佛法に從わんと云い、或は耶蘇教を用いんと云うものあれば、又一方には之を悦ばず、儒佛耶蘇、何れにても之に偏するは不便なり、詰り自愛に溺れず博愛に流れず、正にその中道を得たる一種の徳教を作らんと云うものあり。是等の言を聞けば一應は尤至極にして道徳論に相違はなけれども、その目的とする所、動もすれば自身に切ならずして他に關係するものゝ如し、一身の私徳を後にして交際上の公徳を先にするものゝ如し、即ち家に居るの徳義よりも世に處するの徳義を專にするものゝ如し。この一點に於て我輩が見る所を異にすると申すその次第は、敢て論者の道徳論を非難するにはあらざれども、前後緩急の別に就て問う所のものなきを得ざるなり。世界開闢の歴史を見るに、初めは獨化の一人ありて後に男女夫婦を生じたりと云う。我日本に於て國常立尊の如きは獨化の神にして、伊奘諾尊、伊奘册尊は則ち夫婦の神なり。西洋に於ても先ずエデンの園に現われたる人はアダムにして、後にイーブなる女性を生じ、夫婦の道始めて行われたるものなり。扨この獨化獨生の人が獨り天地の間に居るときに當りては、固より道徳の要あるべからず。或は謹んで天に事るなどのこともあらんなれども、是れは神學の言にして、我輩が通俗の意味に用る道徳は、之を修めんとして修むべからず、之を破らんとして破るべからず、徳もなく不徳もなき有樣なれども、後に爰に配偶を生じ、男女二人相伴うて同居するに至り、始めて道徳の要用を見出したり。その相伴うや、相共に親愛し、相共に尊敬し、互に助け、助けられ、二人恰も一身同體にして、その間に少しも私の意を挾むべからず。即ち男女居を同うする爲めの要用にして、之れを夫婦の徳義と云う。若しも然らずして相互に疎んじ相互に怨んでその情を痛ましむるが如きありては、配偶の大倫を全うすること能わずして、之をその人の不徳と名けざるを得ず。我輩竊に案ずるに、彼の伊奘諾尊、伊奘册尊、又はアダム、イーブの如きも、必ずこの夫婦の徳義を修めて幸福圓滿なりしことならんと信ずるのみ。左れば人生の道徳は夫婦の間に始まり、夫婦以前道徳なく、夫婦以後始めてその要を感ずることなれば、之を百徳の根本なりと明言して決して爭うべからざるものなり。既に夫婦を成して爰に子あり、始めて親子兄弟姉妹の關係を生じ、おのおのその關係に就て要用の徳義あり。慈と云い、孝と云い、悌と云い、友と云うが如き即ち是れにして、之を總稱して人生居家の徳義と名くと雖ども、その根本は夫婦の徳に由らざるはなし。如何となれば夫婦既に配偶の大倫を紊りて先ず不徳の家を成すときは、この家に他の徳義を發生すべき道理あらざればなり。近く有形のものに就て確なる證據を示さんに、兩親の身體に病あればその病毒は必ず子孫に遺傳するを常とす。人の普く知る所にして、夫婦の病は家族百病の根本なりと云わざるを得ず。有形の病毒にして斯の如くなれば、無形の徳義に於ても亦斯の如くなるべきは誠に睹易き道理にして、之に疑を容るゝ者はなかるべし。病身なる父母は健康なる兒を生まず、不徳の家には有徳なる子女を見ず。有形無形その道理は一なり。或は夫婦不徳の家に孝行の子女を生じ、兄弟姉妹團欒として睦まじきこともあらば、是れは不思議の間違にして、稀に人間世界にあるも常に然るを冀望すべからざる所のものなり。世間或は強いて之を望む者もあるべしと雖ども、その迂闊なるは病父母をして健康無事の子を産ましめんとするに異ならず、我輩の知らざる所なり。古人の言に孝は百行の本なりと云う。孝行は人生の徳義の中にて至極大切なるものにして、我輩も固より重んずる所のものなりと雖ども、世界開闢生々の順序に於ても、先ず夫婦を成して然る後に親子あることなれば、孝徳は第二に起りたるものにして、之に先だつに夫婦の徳義あるを忘るべからず。故に今假に古人の言に從て孝を百行の本とするも、その孝徳を發生せしむるの根本は夫婦の徳心に胚胎するものと云わざるを得ず。男女の關係は人生に至大至重の事なり。

夫婦家に居て親子兄弟姉妹の關係を生じ、その關係に就て徳義の要用を感じ、家族おのおの之を修めて一家の幸福いよいよ圓滿いよいよ樂し。即ち居家の道徳なれども、人間生々の約束は一家族に止まらず、子々孫々次第に繁殖すれば、その起源は一對の夫婦に出ると雖ども、幾百千年を經るの間には遂に一國一社會を成すに至るべし。既に社會を成すときは、朋友の關係あり、老少の關係あり、又社會の群集を始末するには政府なかるべからざるが故に、政府と人民との關係を生じ、その仕組には君臣の分を定るもあり、或は君臣の名なきもあれども、詰り治むる者と治めらるゝ者との關係にして、其の意味は大同小異のみ。斯く廣き社會の中に居て、一人と一人との間、又一種族と一種族との間に樣々の關係あることなれば、其の關係に就て夫れ夫れ守る所の徳義なかるべからず。即ち朋友に信と云い、長幼に序と云い、君臣または治者被治者の間に義と云うが如く、大切なる箇條あり。之を人生戸外の道徳と云う。即ち家の外の道徳と云う義にして、家族に縁なく廣く社會の人に交るに要用なるものにして、彼の居家の道徳に比すれば其の働くところを異にするが故に、其の重んずる所もまた自から相異ならざるを得ず。例えば私有の權と云うが如きは戸外に於て最も大切なる箇條にして、之れを犯すものは不徳のみならず、冷淡無情なる法律に於ても深く咎る所なれども、一歩を引いて家の内に入れば甚だ寛かにして、夫婦親子の間に私有を爭うものも少なし。家の内には情を重んじて家族相互に優しきを貴ぶのみにして、時として過誤失策もあり又は禮を缺くことあるも之を咎めずと雖ども、戸外に在ては過誤も容易に許されず、況して無禮の如きは他の榮譽を害するの不徳として、世間の譏を免るべからず。之を要するに戸外の徳は道理を主とし、家内の徳は人情を主とするものなりと云て可ならん。即ち公徳私徳の名ある所以にして、その分界明白なれば、之を教るの法に於ても亦前後本末の區別なかるべからざるなり。例えば支那流に道徳の文字を竝べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、禮義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は私徳の誠なるものにして、忠信、禮義、廉潔、正直は公徳の部に屬すべし。蓋し忠信以下の箇條も固より家内に行わるゝと雖ども、恰も親愛、恭敬、孝悌の空氣の中に包羅せられて特に形を現わすを得ず。その行わるゝや不規則なるが如くにして、唯精神を誠の一點に存し以て幸福圓滿缺ることなきを得るのみ。然るに戸外の公徳は動もすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陷らんとするの弊なきに非ず。最も憂うべき所にして、或人の説に十全の正直は十全の親愛と兩立すべからずと云いしも、この邊の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳を歎き、未だ誠に至らずなど言うは、その言不分明にして徳の公私を分たずと雖ども、意の在る所を窺えば、公徳の働に情を含むこと未だ足らずして私徳の圓滿なるが如くならずと云うの意味を見るべし。左れば今公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし誠意誠心を發達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風こそ最第一の肝要なれ。即ち家に居り家族相互に親愛、恭敬して人生の至情を盡し、一言一行、誠の外なくしてその習慣を成し、發して戸外の働に現れて公徳の美を圓滿ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずと云いしも決して偶然に非ず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、その公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。然るに我輩が古今和漢の道徳論者に向て不平なるは、その教の主義として第一に私徳公徳の區別を立てざるに在り。第二には假令え不言の間に自から區別する所ありとするも、その教の方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き又時としては公徳を勸め、孰れか前、孰れか後なるを明にせざるが爲めに、後進の學者をして方向を誤まらしむるに在り。然かのみならずその教の主義たるや、動もすれば政治論に混同して重きを政治に置き、之に關する徳義は固より公徳なるが故に、却て私徳を後にして公徳を先にするものさえなきにあらず。例えば忠義、正直と云うが如き、政治上の美徳にして甚だ大切なるものなれども、人に教るに先ずこの公徳を以てして居家の私徳を等閑にするに於ては、恰も根本の淺き公徳にして、我輩は時にその動搖なきを保證する能わざるものなり。抑も一國の社會を維持して繁榮幸福を求めんとするには、その社會の公衆に公徳なかるべからず。その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私徳の發育に取らざるべからず。即ち國の本は家に在り。良家の集る者は良國にして、國力の由て以て發生する源は、單に家に在て存すること更に疑うべきに非ず。然り而してその家の私徳なるものは、親子兄弟姉妹團欒として相親しみ、父母は慈愛厚くして子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の勞を輕くする等の箇條にして、能くこの私徳を發達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の間に薫ずる親愛、恭敬の美に在らざるはなし。凡そ古今世界に親子不和と云い兄弟姉妹相爭うと云うが如き不祥の沙汰少なからずして、當局者の罪に相違はなけれども、一歩を進めて事の原因を尋れば、その父母たる者が夫婦の關係を等閑にしたるに在り。尚お進んで吟味を遠くすれば、その父母の父母たる祖父母より以上曾祖、玄祖に至るまでも罪を免かるべからず。前節にも云える如く、人の心の不徳は身の病に異ならず、病毒の力能く四、五世に遺傳するものなれば、不徳の力も亦四、五世に傳えて禍せざるを得ず。左れば公徳の根本は一家の私徳に在りて、その私徳の元素は夫婦の間に胚胎すること明々白々、我輩の敢て保證する所のものなれば、男女兩性の關係は立國の大本、禍福の起源として更に爭うべからず。今日吾々日本國民の形體は、伊奘諾、伊奘册二尊の遺體にして、吾々の依て以て社會を維持する私徳公徳も亦、その起源を求れば二尊夫婦の間に行われたる親愛、恭敬の遺徳なりと知るべし。

夫婦、親愛、恭敬の徳は天下萬世、百徳の大本にして更に爭うべからざるの次第は、前既にその大意を記して、讀者に於ても必ず異議はなかるべし。抑も我輩が爰に敬の字を用いたるは偶然にあらず。男女肉體を以て相接するものなれば、假令え如何なる夫婦にても一時の親愛なきを得ず。動物たる人類の情に於て然りと雖ども、人類をして他の動物の上に位して萬物の靈たらしむる所以のものは、この親愛に兼て恭敬の誠あるに由るのみ。之を通俗に云えば夫婦の間、相互に隔なくして可愛がるとまでにては未だ禽獸と區別するに足らず。一歩を進め夫婦互に丁寧にし大事にすると云うて、始めて人の人たる所を見るに足るべし。即ち敬の意なり。然らば即ち敬愛は夫婦の徳にして、この徳義を修めて之を今日の實際に施すの法如何と尋るに、夫婦利害を共にし苦樂喜憂を共にするは勿論、或は一方の心身に苦痛の落來ることもあれば、人力の屆く限りはその苦痛を分擔するの工風を運らさゞるべからず。況んや己れの欲せざる所を他の一方に施こすに於てをや。努努あるまじき事にして、徹頭徹尾、恕の一義を忘れず、形體こそ二個に分れたれどもその實は一身同體と心得て、始めて夫婦の人倫を全うするを得べし。故に夫婦家に居るは人間の幸福快樂なりと云うと雖ども、本來この夫婦は二個の他人の相合うたるものにして、その心は兎も角も身の有樣の同じかるべきにあらず。夫婦おのおのその親戚を異にしその朋友を異にし、是等に關係する喜憂は一方の知らざる所なれども、既に一身同體とあればその喜憂を分たざるを得ず。又平生の衣食住に付てもおのおの好惡する所なきを期すべからずと雖ども、互に忍んでその好惡に從わざるべからず。又或は一方の病氣の如き固より他の一方に痛痒なけれども、恰もその病苦を自分の身に引受るが如くして、力のあらん限りに之を看護せざるべからず。良人五年の中風症、死に至るまで看護怠らずと云い、内君七年のレウマチスに主人は家業の傍に自から藥餌を進め、之が爲めに遂に資産をも傾けたるの例なきにあらず。是等の點より見れば夫婦同室は決して面白きものにあらず、獨身なれば、親戚朋友の附合も唯一方にして餘計の心配なく、衣食住の物とて自分一人の氣に任せて不自由なく、病氣も一身の病氣にして他人の病を憂るに及ばざるに、唯夫婦の約束したるが爲めに恰かも一生の苦勞を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤を勤るの責に當るは不利益なるが如くなれども、凡そ人間世界に於て損益苦樂は常に相伴うの約束にして、俗に所謂丸儲なるものはなき筈なり。故に夫婦家に居て互に苦勞を共にするは、一方に於て二重の苦勞に似たれども、その苦勞の代りには一人の快樂を二人の間に共にして即ち二重の快樂なれば、詰り損亡とてはなくして苦樂相償い平均して猶お餘樂あるものと知るべし。

左れば夫婦家に居るは必ずしも常に快樂のみに浴すべきものにあらず、苦樂相平均して幸に餘樂を樂しむものなれども、榮枯無常の人間世界に居れば、不幸にして唯苦勞にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覺悟を定めて、扨一夫多妻、一婦多男は果して天理に叶うか、果して人事の要用臨時の便利にして害なきものかと尋るに、我輩は斷じて否と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同數にして、この人類は元と一對の夫婦より繁殖したるものなれば、生々の起原に訴るも今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用臨時の便利に於て如何と云うに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、恰も今日の世界を擧げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、又時としては病氣災難等の事も少なからず。是等の時に當ては夫婦一對に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交るも、木石ならざる人情の要用にして臨時非常の便利なるべしと雖ども、是れは人生に苦樂相伴うの情態を知らずして、快樂の一方に着眼し、所謂丸儲を取らんとする自利の偏見にして、今の社會を害するのみならず、又後世の爲めに謀りて許すべからざる所のものなり。男女にして一度び之を犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに斷絶せざるを得ず。假令え或は種々樣々の事情に由りて外面の美を裝うことなきに非ずと雖も、一點の瑕瑾以て全璧の光を害して家内の明を失い、禍根一度び生じて發しては親子の不和と爲り變じては兄弟姉妹の爭と爲り、尚お天下後世を謀れば一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社會公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云く、多妻多男の法は今世を擧げて今人の玩弄物に供するの覺悟なれば可なりと雖も、天下を萬々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易ること能わざる者なり。

男女兩性の關係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは之を人の大倫と稱し、社會百福の基、又百不幸の源たるの理由は前に陳べたる所を以て既に明白なりとして、扨古今世界の實際に於て、兩性の孰れかこの關係を等閑にして大倫を破るもの多きやと尋れば、常に男性に在りと答えざるを得ず。西洋文明の諸國に於ても皆然らざるはなきその中に就ても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古來の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事實を見ても大概を窺い見るべし。西洋文明國の男女は果して潔清なりやと云うに、決して然らず、極端に就て見れば不潔の甚だしきもの多しと雖ども、その不潔を不潔として之を惡み賤しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論の嚴重なることは迚も日本國の比に非ず。故に彼の國々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、恰も輿論に敵して竊に之を犯すことなれば、その事は都て人間の大祕密に屬して、言う者もなく聞く者もなく、事實の有無に拘わらず外面の美風丈けは之を維持して尚お未だ破壞に至らずと雖ども、不幸なるは我日本國の舊習俗にして、事の起源は今日得て詳にするに由なしと雖ども、古來家の血統を重んずるの國風にして、嗣子なく家名の斷絶する法律さえ行われたる程の次第にて、頻りに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、是に於てか妾を畜うの風を成したるものゝ如し。天理の議論などは兎も角も家名を重んずるの習俗に制せられて、止むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、亦是れ一國の一主義として恕すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は實に筆紙にも盡し難きものあり。左なきだに人類の情慾は自から禁じ難きものなるに、爰に幸にも子孫相續云々の一主義あることなれば、この義を擴めて如何なる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾、隨時隨意に之を取替え引替うるも亦可なり。人事の變遷長き歳月を經る間には、子孫相續の主義は啻に口實として用いらるゝのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは恰も男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、國民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社會交際の公徳を害し、立國の大本動搖せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修らざる者は單に自家子孫の罪人のみに非ず、社會中の一人として、今の天下に對し又後世に對してその罪免かるべからざるものなり。

主人の内行修らざるが爲めに一家内に樣々の風波を起して家人の情を痛ましめ、以てその私徳の發達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免かるべからざるの結果にして怪しむに足らざる所なれども、爰に最も憐むべきは、家に男尊女卑の惡習を釀して子孫に壓制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣と爲りて人の怪しむ者なしと云うと雖ども、人類天性の本心に於て、自から犯すその不品行を人間の美事として誇る者はあるべからず。否な百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧じざるものなし。内心に之を愧じて外面に傲慢なる色を裝い、磊落なるが如く無頓着なるが如くにして強いて自から慰むるのみなれども、俗に所謂疵持つ身にして常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して團欒たる最中にも、時として禁句に觸れらるゝことあればその時の不愉快は譬えんに物なし。無心の小兒が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾家に一父二、三母あるは如何などと不審を起して詰問に及ぶときは、流石鐵面皮の乃父も答うるに辭なく、唯默して冷笑するか顧みて他を言うの外なし。即ちその身の弱點にして、小兒の一言、寸鐵腸を斷つものなり。既にこの弱點あれば常に之を防禦するの工風なかるべからず。その策如何と云うに、朝夕主人の言行を嚴重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾兒孫をして己れに事うること奴隸の主君に於けるが如くならしめ、恰も一家の至尊には近づくべからず、その忌諱には觸るべからず、俗に云えば殿樣旦那樣の御機嫌は損ずべからずとして上下尊卑の分を明にし、例の内行禁句の一事に至ては言の端にも之を云わずして、家内目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも稱すべきものなり。凡そ人事に必要なるものは特に求めずして成るの常にして、彼の内行不始末の防禦策の如きも、誰が家の主人が何れの時に之れを發明して實行の先例を示したりなど云うべき跡はなけれども、今日の實際に就て見れば、主人の内行修らざる者はその家風の外面は必ず嚴重にして、家族骨肉の間、自然に他人の交際の如く、何か互に隱くして打解けざるものあるが如し。或は又家道紊れて取締なく、親子妻妾相互に無遠慮狼藉なるが如きものにても、その主人は必ず特に短氣無法にして家人に恐れられざるはなし。即ち事の要用に出でたるものにして、苟も家風に嚴格を失うか、若しくは主人に短氣無法の威力なきに於ては、彼の不品行の弱點を襲わるゝの恐あればなり。世間の噂にその家の主人は内行に頓着せずして家事を輕んじ、或は妻妾一處に居て甚だ不都合なれども、内君は貞實にして主公は公平、妾も亦至極柔順なる者にして、曾て家に風波を生じたることなしなど云う者あれども、是れは唯外見外聞の噂のみ。即ちその風波の生ぜざるは唯家法の嚴にして主公の威張るが爲めにして、之を形容して云えば壓制政府の下に騷亂なきものに異ならず。唯表に破裂せざるのみ、その内實は風波の動搖を互の胸中に含むものと云うべし。左れば男尊女卑、主公壓制、家人卑屈の組織は、不品行の家に缺くべからざるの要用にして、日々夜々後進の子女をこの組織の中に養育することなれば、その子女後年の事も亦想見るべし。我輩の特に憐む所のものなり。天下廣し家族多しと雖ども、一家の夫婦、親子、兄弟、姉妹、相互に親愛、恭敬して至情を盡し、陰にも陽にも隱す所なくして互にその幸福を祈り、無禮の間に敬意を表し、爭うが如くにして相讓り、家の貧富に論なく萬年の和氣悠々として春の如くなるものは、不品行の家に求むべからざるの幸福なりと知るべし。

君子の世に處するには自から信じ自から重んずる所のものなかるべからず。即ち自身の他に擢んでゝ他人の得て我れに及ばざる所のものを恃みにするの謂にして、或は才學の拔群なるあり、或は資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資たるべきものなれ共、就中私徳の盛んにして所謂屋漏に恥じざるの一義は最も恃むべきものにして、能くその徳義を脩めて家内に恥ることなく戸外に憚る所なき者は、貧富、才不才に論なくその身の重きを知て自から信ぜざるはなし。之を君子の身の位と云う。洋語に云うヂグニチーなるもの是れなり。抑も人の私徳を脩むる者は何故に自信自重の氣象を生じて自から天下の高處に居るやと尋るに、能く難きを忍んで他人の能くせざる所を能くするが故なり。例えば讀書生が徹夜勉強すれば、その學藝の進歩如何に拘わらず、唯その勉強の一事のみを以て自から信じ自から重んずるに足るべし。寺の僧侶が毎朝早起、經を誦し粗衣粗食して寒暑の苦しみをも憚からざれば、その事は直に世の利害に關係せざるも、本人の精神は唯その艱苦に當るのみを以て凡俗を目下に見下すの氣位を生ずべし。天下の人皆財を貪るその中に居て獨り寡慾なるが如き、詐僞の行わるゝ社會に獨り正直なるが如き、輕薄無情の浮世に獨り深切なるが如き、何れも皆拔群の嗜にして自信自重の元素たらざるはなし。如何となれば書生の勉強、僧侶の眠食は身體の苦痛にして、寡慾、正直、深切の如きは精神の忍耐、即ち一方より云えばその苦痛なればなり。左れば私徳を大切にするその中に就ても、兩性の交際を嚴にして徹頭徹尾潔清の節を守り俯仰天地に愧ることなからんとするには、人生甚だ長くしてその間に千種萬樣の事情あるにも拘わらず、自から血氣を抑えて時としては人の顏色をも犯し、世を擧て皆醉うの最中、獨り自から醒め、獨行勇進して左右を顧みざることなれば、隨分容易なる脩業にあらず。即ち木石ならざる人生の難業とも云うべきものにして、既にこの業を脩めて顧みて凡俗世界を見れば、腐敗の空氣充滿して醜に堪えず。無知無徳の下等社會は兎も角も、上流の富貴又は學者と稱する部分に於ても、言うに忍びざるもの多し。人間の大事、社會の體面の爲めと思えばこそ敢て之を明言する者なけれども、その實は萬物の靈たるを忘れて單に獸慾の奴隸たる者さえなきに非ず。苟も潔清無垢の位に居りこの腐敗したる醜世界を臨見て、自から自身を區別するの心を生ぜざるものあらんや。僅に資産の厚薄、才學の深淺を以て尚且他と伍を爲すを潔とせず。況んや人倫の大本、百徳の源たる男女の關係に付き、潔不潔を殊にするに於てをや。他の醜物を眼下に視ることなからんと欲するも得べからず。即ち我精神を自信自重の高處に進めたるものにして、精神一度び定まるときはその働は唯人倫の區域のみに止まらず、發しては社會交際の運動と爲り言語應對の風采と爲り、浩然の氣、外に溢れて身外の萬物恐るゝに足るものなし。談笑洒落、進退自由にして縱横憚る所なきが如くなれども、その間に一點の汚痕を留めず、餘裕綽々然として人の情を痛ましむることなし。蓋し潔清無垢の極は却て無量の寛大と爲り、浮世の百汚穢を容れて妨げなきものならんのみ。之を彼の世間の醜行男子が社會の陰處に獨り醜を恣にするに非ざれば、同類一場の交際を開き豪遊と名け愉快と稱し、沈湎冒色、勝手次第に飛揚して得々たるも、不幸にして君子の耳目に觸るゝときは、疵持つ身の忽ち萎縮して顏色を失い、人の後に瞠若として卑屈慚愧の状を呈すること、日光に當てられたる土鼠の如くなるものに比すれば、又同日の論に非ざるなり。近來世間に所謂文明開化の進歩と共に學術技藝も亦進歩して、後進の社會に人物を出し、又故老の部分に於ても隨分開明説を悦んでその主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締も亦同時に進歩し、この輩が不文野蠻と稱して常に愍笑する所の封建時代に在ても決して許されざりし不品行を今日に犯し、恬として愧るを知らざるものなきにあらず。文明進歩して罪を野蠻人に得る者と云うべし。學術技藝果して何の效あるべきや。我輩は我社會を維持して國を立てんとするに、寧ろ無學無術の人と事を共にするも、有智の妖怪と共にするを欲せざる者なり。抑も我日本國の獨立して既に數千年の社會を維持し又今後萬々歳に傳えんとするは、自からその然る所以の元素あるが故なり。即ち社會の公徳にして、その公徳の本は家の私徳にあり。何者の輕薄兒か敢て文明を口に藉て立國の大本を害せんとするや。我道徳は數千年に由來してその根本固し。豈汝等をして容易に之を動搖せしめんや。天下廣し、我輩徳友に乏しからず。常に汝等の擧動に注目して一毫も假さず、鼓を鳴らしてその罪を責めんと欲する者なり。

人間處世の權理に公私の區別ありて、先ず私權を全うして然る後、公權の談に及ぶべしとの次第は、曾て時事新報の紙上にも記したることなるが、抑もこの私權の思想の發生する事情は種々樣々あれども、最第一の原因は本人の自から信じ自から重んずるの心に在て存するものと知るべし。即ち我徳義を圓滿無缺の位に定め、一身の尊きこと玉璧も啻ならず、之れを犯さるゝは恰も夜光の璧に瑕瑾を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠ることなく穎敏に自から衞りて、始めて私權を全うするの場合に至るべし。左れば今私權を保護するは全く法律上の事にして徳義には縁なきものゝ如くに見ゆれども、元と之を保護せんとするの思想は圓滿無缺なる我身に疵つくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、苟も内に自から省みて疚しきものあるに於てはその思想の發達決して十分なるを得べからず。如何となれば本人は元來疵持つ身にして、その氣既に餒えたるが故に、大節に臨んで屈することなきを得ず。即ち人心の働の定則として、一方に本心を枉げて他の一方に之を伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清の位に置くと、私權を張て節を屈せざると、二者その趣を殊にするが如くなれども、根本の元素は同一にして、私徳私權相關し、徳は權の質なりと云うべし。試に之を歴史に徴するに、義氣凜然として威武も屈する能わず富貴も誘う能わず、自から私權を保護して鐵石の如くなる士人は、その家に居るや必ず優しくして情に厚き人物ならざるはなし。即ち戸外の義士は家内の好主人たるの實を見るべし。如何なる場合にも放蕩無情、家を知らざるの輕薄兒が、能く私權の爲めに節を守りて義を全うしたるの例は、我輩の未だ聞かざる所なり。

竊に世情を視るに、近來は政治の議論漸く喧しくして、社會の公權即ち政權の受授に付き、之を守らんとする者も又取らんとする者も、頻りに熱心して相爭うが如くなるは至極當然の次第にして、文明の國民たる者は國政に關すべき權利あるが故に之を爭うも可なりと雖ども、前に云える如く、この公共の政權を守り又これを得んとするには、先ず一身の私權を固くすること肝要にして、その私權を固くせんとするには私徳を脩めざるべからざるの道理も既に明白なりとして、扨今日の實際に於て我日本國の政治家は如何なる種族の人にしてその私徳の位は如何と尋るに、外面より見て人品は何れも皆中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみに非ず。その智識聞見は或は西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人心匠巧にして、自家の便利の爲めには時に文林儒流の磊落を學び、輕躁浮薄、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着するの口實に用いんとする者なきにあらず。蓋し支那流に云う磊落とは如何なる意味か、その吟味は姑く擱き、今日の處にては磊落と不品行と字を異にして義を同うし、磊々落々は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壯これに傚い、遂に政治社會一般の風を成し、不品行は人の體面を汚すに足らざるのみならず、最も磊落最も不品行にして始めて能く他を壓倒するに足るものゝ如し。抑も内行の不取締は法律上に於ける破廉恥などゝは趣を異にして、直に咎むべき性質のものにあらず。又人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、動もすれば不知不識の際にその習俗を成し易く、一世を過ぎ二世を經るのその間には、習俗遂に恰もその時代の人の性と爲り復た挽回すべからざるに至るべし。往古我王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣その内行を愼まずして私徳を輕んじ、内に之れを輕んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私權、戸外の公權をも併せて失い盡したるものならんのみ。左れば今日の政治家が政事に熱心するも、單に自身一時の富貴の爲めに非ず、天下後世の爲めに國民の私權を張り公權を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば、後の世の政治社會に宜しからざる先例を遺すは必ず不本意なることならん。若しもその本心に問うて慊からざることあらば、假令え法律上に問うものなきも何ぞ自から省みて之を今日に愼しまざるや。金玉も啻ならざる貴重の身にして自から之を汚し、一點の汚穢は終身の弱點となり、最早や諸々の私徳に注意するの穎敏を失い、恰も精神の痳痺を催おして復た私權を衞るの氣力もなく、漫然世と推移りて、道理上より云えば人事の末とも名くべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本を知らずして末に走るの人と評せざるを得ざるなり。然かのみならず國の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏となり、天下後世の談にあらずして、苟も不品行者とあれば今日の社會に許されざるを常とす。試に見るべし、有名なる英國の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艷罪の説く所に據れば全く無根の冤なりとも云う)を以て政治社會を擯けられたり。我輩は素より氏に私の縁あらざれば、その人の幸不幸に付ても深く喜憂するにあらざれども、唯この一事を見て英國政治社會一般の徳風を窺い知るのみ。即ち彼の政治社會は潔清無垢にして一點の汚痕を留めざるものと云うべし。斯くありてこそ一國の政治社會とも名くべけれ。その士氣の凜然として、私に屈せず公に枉げず、私徳私權、公徳公權、内に脩まりて外に發し、内國の秩序、齊然巍然としてその餘光を四方にかすも決して偶然に非ず。我輩は我政治社會の徳義をして先ず英國の如くならしめ、然る後に實際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。

外國と交際を開て獨立國の體面を張らんとするには、虚實兩樣の盡力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富國の資を大にし、學問教育の道を盛にして人文の光を明にし、海陸軍の力を足して護國の備を厚うするが如き、實際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外國人が我日本國の事情を詳にせんとするは容易なることに非ざるが故に、彼等をして我が眞面目を知らしめんとするには、事の細大に論なく、假令え無用に屬する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我れを知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我國衣食住の有樣は云々にして習俗宗教は斯の如しなどゝ、之を示し之を語りて、時としては故さらにその外面を裝うて體裁を張るが如き是れなり。例えば今日の實際に於て吾人の家に外國人の來るあれば、先ず之を珍客として樣々に待遇の備を設け、兎に角に見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。又之を大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては實用の外に外見を飾るものなきにあらず。或は近來東京などにて交際のいよいよ盛にして遂に豪奢分外の譏を得るまでに至りしも、幾分か外國人に對して體裁云々の意味を含むことならん。一概に之を評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我眞實を知らしむるは甚だ易からざるが故に、先ず虚より導きて實に入らしむるの方便なりと云えば、強ち咎むべきにもあらず。その虚實、要不要の論は姑く擱き、我日本國人が外國交際を重んじて之を等閑に附せず、我力のあらん限りを盡して以て自國の體面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛國の衷情、實際の事跡に現われたるものと云うべし。然るに我輩が年來の所見を以て如何ように判斷せんとするも説を得ざるその次第は、我國人が斯くまでに力を盡して外交を重んじ、啻に事實に國の富強文明を謀るのみならず、外面の體裁虚飾に至るまでも專ら西洋流の文明開化に倣わんとして怠ることなく、之を欣慕して二念なき精神にてありながら、獨りその内行の問題に至りては全く開明の主義を度外に放棄して純然たる亞細亞洲の舊慣に從い、居然自得して眼中復た西洋なきが如くなるの一事なり。元來西洋の人は我日本の事情に暗くして動もすれば不都合千萬なる謬見を抱く者少なからず。就中彼等は耶蘇教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れば、千百の吟味詮索は差置き、一概に之を外教人と稱して何となく嫌惡の情を含み、之が爲めに雙方の交情を妨ること多きは誠に殘念なる次第にして、我輩は常にその瓣明に怠らず、日本國民既に耶蘇教に入りたる者あり尚お未だ入らざる者ありと雖ども、その入ると入らざるとは唯宗教上の儀式にして、日本帝國決して不徳の國にあらず、耶蘇教國獨り徳國にあらず、苟も數千年の國を成して人事の秩序を明にし、以て東海に獨立したるものにして、立國根本の道徳なくして叶うべきや、耶蘇の教義果して美にして立國に要用なりとならば、我日本國には耶蘇の名の外に無名の耶蘇教民あることならんなどゝ、百方に言葉を盡して辨論すれば、亦自からその意を解して釋然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女關係の事に及び、日本の男子は多妻を許されて之を咎るものなく、啻に法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社會の上流良家の主人と稱する者にても、公然この醜行を犯して愧るを知らず、即ち人生居家の大倫を紊りたるものにして、隨て生ずる所の惡事は枚擧に遑あらず、その餘波引いて婚姻の不取締と爲り、容易に結婚して容易に離婚するの原因と爲り、親子の不和と爲り、兄弟の喧嘩と爲り、之を要するに日本國には未だ眞實の家族なきものと云うも可なり、家族あらざれば國も亦あるべからず、日本は未だ國を成さゞるものなりなど、口を極て攻撃せらるゝときは、我輩も心の内には外國人の謬見妄漫を知らざるに非ず、我徳風斯くまでに壞れたるに非ず、我家族悉皆然るに非ず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明國人をして却て赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社會を維持するその事情は云々、その證據は云々と語らんとすれども、何分にも彼等が今日の實證を擧げて正面より攻撃するその論鋒に向ては、殘念ながら一着を讓らざるを得ず。遂に西洋人に假すに我れを輕侮するの資を以てして、彼等をして我れに對して同等の觀を爲さしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮に忘るべからざる所のものなり。然り而して日本國中その責に任ずる者は誰ぞや、内行を愼まざる輕薄男子あるのみ。この一點より考れば、外國人の見る目如何などゝてその來訪のときに家内の體裁を取繕い、或は外にして都鄙の外觀を飾り、又は交際の法に華美を裝うが如き、誠に無益の沙汰にして、輕侮を來たす所以の大本をば擱き、徒に末に走りて勞するものと云うべきのみ。之を喩えば大厦高樓の盛宴に山海の珍味を列ね、酒池肉林の豪、絲竹管絃の興、善盡し美盡して客を饗應するその中に、主人は獨り袒裼裸體なるが如し。客たる者は禮の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗禮は鄭重にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ氣の毒なる有樣なれば、賓主の禮儀に於て陽に發言せざるも、陰に冷笑して輕侮の念を生ずることならん。勞して功なく費して益なきものと云うべし。左れば今我日本國が文明の諸外國に對してその交際の公私に論なく、動もすれば意の如くならざるは原因の在る所一にして足らずと雖ども、我男子が徳義上に輕侮を蒙るの一事はその原因中の大箇條なるが故に、苟も之に心付きたる者は片時も猶豫せずしてその過を改めざるべからず。今世界に居て人生誰れか自國を愛せざる者あらんや。國の爲めとあれば荊に坐し膽を嘗るも憚らざるは人情の常なり。内行を愼しむが如き非常の辛苦にあらず。在昔は之を戒るの趣意單にその人の一身にありしことなれども、今は則ち一國の榮辱に關して更に重大の事とは爲りたり。身を思い國を思う者は深く自から省る所なかるべからざるなり。

日本男子論の一編、その言既に長く、眞正面より男子の品行を責めて一毫も假さず水も洩さぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無數疵持つ身の男子は恰も弱點を襲れて遁るゝに路なく、唯その心中に謂らく、内行の不取締、醜と云わるれば醜なれども、詐僞破廉恥にはあらず、又我一身の有樣は自から人に語るべからざる都合もあることなるに、斯くまでに酷言せずともなどゝ聊か不平もありながら、左りとて何と答辨の辭もなくして甚だ苦しきことなるべし。我輩これを知らざるに非ずと雖ども、凡そ今の日本國人として現在の愉快、後世子孫の幸福は何を以て最とするやと尋ねたらば、獨立の體面を維持して日本國の榮名を不朽に傳うるの外なかるべし。而してこの體面を榮名とを張るに聊かにても益すべきものは之を採り、害すべきものは之を除かんとするも亦、日本國民の身に於て當さに然るべき至情なるべし。左れば絶對の理論に於ては、人間世界の善惡邪正を如何なるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、況して男女の内行に關し、一夫一婦法と多妻多男法と何れか正、何れか邪なる、固より明斷し難しと雖ども、開闢以來の實驗に據り又今日の文明説に從うときは、一家の私の爲め一國の公の爲めに、多妻多男法は一夫一婦法の善きに若かず。且今日の世界は西洋文明の風に吹かれて之に抵抗すべからざるの時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌して、そのこれを嫌忌するの成跡は甚だ美にして、今日の人の家を成し國を立るに最も適當し、之に反するものは必ず害を被りて免かるべからざること既に明なれば、理論上の正邪は兎も角も、一國人民として自國自家の爲めに決して輕んずべからざるの大義にして、即ち我輩が如何なる事情に逢うも斷乎として一毫をも假さゞる由縁なり。又或は説を作り、西洋文明の人と稱する者にても、その男女の内行決して潔清なるに非ず、表面は兎も角も裏面に廻わりて内部を視察すれば醜に堪えざるもの多し、何ぞ必ずしも獨り日本人を咎るに足らんなど云う者なきにあらず。是れは我國の上流、殊に西洋家と稱する一類の中に行わるゝ言なれども、全く無力の遁辭口實たるに過ぎず。抑も人生の氣力を平均すれば至て弱き者にして、動もすれば艱難に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰慚る所なからんとするは、氣力乏しき人に取りて隨分一難事とも稱すべきものなるが故に、西洋の男女獨り木石に非ず又獨り強者に非ず、俗に云う穴探しの筆法を以てその社會の陰處を摘發するに於ては、千百の醜行醜聞、枚擧に遑あらず。我輩は親しくその國人の言に聞きたることもあり、又その著書新聞紙上に見たることもありて、誠に珍らしからずと雖ども、然りと雖ども日本男子はこの西洋社會の醜行醜聞を見聞して如何の感を爲すや。之を醜なりとするか、將た美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は唯その醜美の判斷如何の一點に在るのみ。日本男子鐵面皮なるも、その眼に映して醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判斷を得たり、然らば則ち何ぞその醜を去て美に就かざるや。本來醜美は自身の内に存するものにして、毫末も他に關係あるべからず。苟も我一身の内に美ならんか、身外滿目の醜美は以て我美を輕重するに足らず。或は之に反して我身に一點の醜を包藏せんか、滿天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我醜を淨むるに足らず、又恕するに足らず。左れば文明なる西洋諸國の社會にも尚お醜行の盛なるを見聞したらば、幸に取て以て自省の材料にこそ供すべけれ、如何に自儘なる説を作るも、他の惡事を見て自家の惡事を恕するの口實に用いんとするが如きは、我輩の斷して許さゞる所なり。近く比喩を以て之を示さんに、不品行に由て徳を害するも虎列剌毒に觸れて身を害するもその害は同樣なるべし。然るに今虎列剌の流行に際して我保身の法を如何するや。天下の人皆病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸國亦然りとのことなれば、最早我身も自から顧みるに遑あらず、共にその毒に傳染して廣く世界の人と病苦死生を與にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛なるに從て自から戒しむるの法もいよいよ綿密にして、謹愼に謹愼を加うるは世界古今人情の常なり。人生の身體とその精神と孰れをも輕しとし又重しとすべからざるは云うまでもなきことにして、今内行の不取締は人倫の大本を破りて先ず精神を腐敗せしむるものなり。身體を犯すの病毒は之を恐るゝこと非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きが爲めにとて自から之を犯して罪を免かれんとす。無稽も亦甚しと云うべし。故に彼の西洋家流が歐米の著書新聞紙など讀みてその陰所の醜を探り、動もすれば之を公言して以て冥々の間に自家の醜を瞞着せんとするが如き工風を運らすも、到底我輩の筆鋒を遁るゝに路なきものと知るべし。

日本男子の内行不取締はその實に於て既に厭うべきもの少なからざる尚おその上に、古來習俗の久しき醜を醜とせずして愧るを知らざるのみならず、甚だしきに至りてその狼藉無状の擧動を目して磊落と稱し、赤面の中に自から得意の意味を含んで、世間の人も之を許して問わず、上流社會にてはその人を風流才子と名けて、人物に一段の趣を添えたるが如くに見え、下等の民間に於ても色は男の働など云う通語を生じて曾て憚る所なきは、その由來蓋し一朝一夕のことに非ず。我王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世に在ては戸外兵馬の事に忙わしくして内を修るに遑なく、下て徳川の治世に儒教大に興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は深く咎めざるのみならず、文化・文政の頃に至りては治世の極度、儒も亦浮文に流れて洒落放膽を事とし、殊に三都の如きはその最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵即ち不品行家の巣窟とも名くべき惡風を成し、遂に徳川を終りて明治の新世界に變じたれども、所謂洒落放膽の氣風は今尚お存して止まず、彼の洋學者流の如き、その學ぶ所の事柄は全く儒林の外にして、假令え西洋の宗教道徳門に入らざるも、その國人に接しその言を聽き、その書を讀みその風俗を視察するときは、事の内實は兎も角も、その表面のみにても之を日本の事態に比して大に異なる所あるを發明し、大に悟りて自から新にし、儒流洒落の不品行を脱却して紳士の正に歸すべき筈なるに、言行一切西洋流なるにも拘わらず、内行の一點に至りては純然たる舊日本人の本色を失わざるもの多し。蓋し社會一般の習俗に制せられて、醜を醜とするの明を失うたるものにして、或は之を評し有心故造の罪に非ず、無心に惡を犯すの愚と云うも可ならん。この點より見れば惡むべきに非ず、寧ろ憐むべきのみ。前年外國より或る貴賓の來遊したるとき、東京の紳士と稱する連中が頻りに周旋奔走して禮遇至らざる所なきその饗應の一として、府下の藝妓を集め大に歌舞を催して一覽に供し、來賓も興に入りて滿足したりとの事なりしが、實を云えばその藝妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の藝を演ずるの傍ら往々言うべからざる醜行に身を汚し、殆んど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面すべき身分に非ず。西洋諸國の上流社會にてこの種の女子を賤しむは勿論、我日本國に於ても假に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き藝妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴ることならん。左れば彼の貴賓もその藝妓の何ものたるを知らざりしこそ幸なれ、若しも内實の事情を聞くこともありしならんには、饗應の滿足に引替えて失敬無状を憤りしことなるべし。是れとても曩きの紳士連中は無禮と知りて行うたるに非ず、その平生に於て男女品行上のことをば至て手輕に心得、唯藝妓の容姿を悦び、美なること花の如しなどゝて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も潔清上品なる良家の令孃も大同小異の觀を爲して、扨は右の如き大間違いに陷りたるものならんのみ。我輩は直にその人を咎めずして我習俗の不取締にして人心の穎敏ならざるを歎息する者なり。之を要するに今の紳士も學者も不學者も、全體の言行の高尚なるに拘わらず、品行の一點に於ては不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば御座に出されぬ下郎と稱して可なるが如し。花柳の間に奔々して青樓の酒に醉い、別莊妾宅の會宴に出入の藝妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飮み妓に戲るゝの傍らに非ざれば、談者相互の歡心を結ぶに由なしと云う。醜極まりて奇と稱すべし。

數百年來の習俗なれば之を酷に咎るは無益の談に似たれども、今の日本は是れ日本國中の日本に非ずして、世界萬國に對する文明世界中の日本なれば、苟も日本の榮譽を重んずる士人に於ては、少しく心する所のものなかるべからず。試に一例を擧げて士人に問わん。君等が所謂盛會に例の如く妓を聘し酒を飮み得々談笑するときは勿論、時としては親戚朋友、男女團欒たる内宴の席に於ても、一座少しく興に入るとき盃盤を狼藉ならしむる者は君等に非ずして誰ぞや。その狼藉は尚お可なり、酒席の一興却て面白しとして恕すべしと雖ども、座中動もすれば三々五々の群を成して、その談、花街柳巷の事に及ぶが如きは聞くに堪えず。抑もその花柳の談を喋々喃々するは、何を談じ何を笑い何を問い何を答るや。別品と云い色男と云い、愉快と云い失策と云うが如き、樣々の怪語醜言を交え用いて、如何なる談話を成すや。醉狂喧嘩の殺風景なる固より厭うべしと雖も、花柳談の陰醜なるは醉狂の比に非ざるなり。若しも外國人の中に日本語に通ずること最も巧にして、談話の意味は勿論その語氣の微妙なる部分までも穎敏に解し得る者あるか、又は日本人にして外國語を能くし、如何なる日本語にてもその眞面目を外國語に寫して毫も誤らざる者ありて、君等の談話を一より十に至るまで遺る所なく通辨し又飜譯して、西洋文明國の中人以上、紳士貴女をして之を聽かしめ又その譯文を讀ましめたらば、彼の士女は果して如何の評を下だすべきや。一切の事情をば問わずして唯喫驚の餘りに、日本の紳士は下郎なりと放言し去ることならん。君等は斯る評論を被りて果して愧る所なきか。西洋諸國の上流紳士學者の集會に談笑自在なるも、果して君等の如き醜語を放て憚らざるものあるか、我輩の未だ知らざる所なり。蓋し文明の社會には曾て聞かざる所の醜語にてありながら、君等が常に之を語りて憚る所なきは、日本の事は外人の知らざる所なりとして強いて自から安んずることならんなれども、前節に云える如く今日の日本は世界に對するの日本なり、苟も國を國として榮辱の所在を知るものは、君等の言行に就て不平なきを得ざるなり。又些細の事なれども手近く一例を示さんに、時事新報紙上に折々英語を記して譯文を添えたる西洋の落語又滑稽談の如きものは讀者の知る所ならん。この文は西洋の新聞紙等より拔きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を擇ぶにあらざれば、時々法外千萬なる漫語放言もあれども、人生の内行に關するの醜談、即ち俗に云う下掛りのことゝては曾て一言も之を見ず。その然る所以は譯者が心を用いて特に避けたるに非ずして、原書中を求めて斯る醜談に見當らざればなり。今假に西洋の原書を離れて之に易るに日本流の落語滑稽を以てせんとして、その種類を集めたらば如何なるものを得べきや。談柄必ず肉體の區域に入りて、見苦しく聞苦しきものは十中の七、八なるべし。畢竟我人文の尚未だ鄙陋を免かれざるの證として見るべきものなり。然り而してこの日本流の落語なり又滑稽談なり、特に下等の民間に行わるゝ鄙陋なれば尚お恕すべしと雖も、堂々たる上流の士君子と稱する輩が、自から鄙陋を犯して又鄙陋を語り、醜臭を世界に放つが如きは、國民の標準たる士君子の徳義上に於て遁るべからざるの罪と云うべし。

本編の趣旨は初段の冒頭にも云える如く、日本男子の品行を正しその高きに過る頭を取て押え、男女兩性の地位に平均を得せしめんとするの目的を以て論緒を開き、人間道徳の根本は夫婦の間に在り、世間の道徳論者が自愛博愛などゝてその得失を論ずる者あれども、本來私徳公徳の區別を知らざるものなれば、脩徳に前後緩急を誤ること多し、私徳は公徳の母にして、その私徳の根本は夫婦家に居るの大倫に在り、然り而して古來世の中の實際に於て、常にこの大倫を破る者は男子にして、我日本國の如きはその最も甚だしきものなれば、多妻法斷じて許すべからず、斯る醜行を犯す者は一家の不幸を釀して禍を後世子孫に遺すのみならず、内行不取締は醜聞を世界萬國に放つものにして、自國の名聲を害するの罪人なり云々とて、筆鋒の向う所は專ら男子にして、婦人の地位如何に論及したることなし。抑も我國の婦人を男子に比較するときは全く地位を殊にし、居家内實の權力は兎も角も、戸外交際の事に至りては都て男子の爲めに專らにせられて、婦人は有れども無きに異ならず。特に男子が多妻の醜行を犯して婦人の情を痛ましむるが如き、啻に自愛に偏するのみならず私曲私慾の最も甚だしきものにして、更に一言の辨論あるべからず。我輩は常に世の道徳論者の言を聞き、論者が特にこの大切なる一點をば輕々看過して恰も不問に附する者多きを見て竊に怪しむのみか、その無識を冷笑する程の次第なれば、大に婦人の地位を推して之を高處に進め、以て男子に拮抗せしめんとするの考案なきに非ず。徹頭徹尾、今の婦人と今の男子とを相對照して今の關係に在らしむるは、我輩の飽くまでも悦ばざる所なれども、眼を轉じて一方より考れば、本來物の高低、強弱、大小等は相對の關係にして絶對の義に非ず。高きものあればこそ低きものもあり、強大あればこそ小弱もあり。故に今婦人の地位を低しと云うも、男子の地位を引下げて併行するに至らしむれば、男女の權力平等なりと云うべし。或は婦人は今のまゝにして、男子の地位をして一層の下に就かしむれば、女權特に高しと云うべし。是即ち我輩が獨り男子を目的にして論鋒を差向けたる所以なり。然るに爰に支那學の古流に從て女子の爲めに特に定めたる教義あり。その義は諸書に記して多き中に就て、我國普通の書を女大學と稱し、女教の大要を陳べたるものなるが、書中往々不都合にして解すべからざるものなきに非ず。例えば女子の天性を男子よりも劣るものと認め、女は陰性なり、陰は暗しなど、漠然たる精神論を根本にして説を立るが如きは妄漫無稽と稱すべきなれども、その他は大抵皆女子を戒しめたる言の濃厚なるものに過ぎず。我輩が曾て戲に古人の教を評し、町家の賣物に懸直あるが如しと云いしもこの邊の意味にして、女大學の濃厚苛刻なる文面を正面より受取り、その極端を行わんとするは迚も實際に叶わざることなれども、左りとて教の言として見れば道理に差支あるべからず、唯獨り女子のみを責ることなく、男子をもこの教の範圍内に入れて愼しむ所あらしむれば、その主義甚だ美なるもの多し。例えばその文の大意に嫉妬の心あるべからずと云うも、片落に婦人のみを責ればこそ不都合なれども、男女雙方の心得としては爭うべからざるの格言なるべし。又姦ましく多言する勿れ、漫に外出する勿れと云うも、男女共にその程度を過るは譽むべきことにあらず。又巫覡に迷うべからず、衣服分限に從うべし、年少きとき男子と猥れ猥れしくすべからず云々は最も可なり。又夫を主人として敬うべしと云うは、女子より言を立てゝ一方に偏するが故に不都合なるのみ。蓋し主人とするとは敬禮の極度を表したるものなれば、男子の方より婦人に對し、夫婦の間は必ず敬禮を盡し、啻にその内君を親愛するのみならず、時としては君に事うるの禮を以て之を接すべしと云えば、夫を主人とするの語も又差支なかるべし。左れば我輩、婦人の地位を高くするの議論は滿腹溢るゝが如くにして、自からその方便もなきに非ずと雖ども、之は他日に讓り、今日の目的は今の婦人の地位をばそのまゝに差置き、女大學をも大抵の處までは之を潰さずして、却て男子をしてこの女大學の主義に從わしめ、以て男子の品行を糺して雙方を併行の點に維持せんとするに在るものなり。今その然る所以の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは男子に對して低きことなれば、之を引上げて高き處に置かんとするに當り、第一着に心頭に浮ぶものは、兎に角に今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然り而してその男子の如くなるや、知識氣力の深淺強弱如何の邊に止まり、專ら精神を練るの教を主として、當局の婦人に於てもその範圍を脱せざれば甚だ佳しと雖ども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育に就てもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を裝い、交際を開いて文明の盛事を學び、只管外國婦人の所業に傚うて活溌を氣取り、外面の虚飾を張て却て裏面の實を忘れ、活溌は漸く不作法に變じ、虚飾は遂に家計を寒からしめ、未だ西洋文明の精神を得ずして早く既に自家遺傳の美徳美風を失うことなきを期すべからず。此等の弊害は事物の新舊交代の際に多少免かるべからざるものとして之を忍ぶも、爰に忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の擧動に傚わんとして、今の日本男子の品行を學ぶが如きあらば之を如何すべきや。日本國人の品行美ならずと雖ども、尚お今日までに之を維持してその醜を蔽い、時として潔清義烈の光を放て我社會の榮譽を地に落ることなからしめたるものは何ぞや。唯良家の婦人女子あるのみ。現に今日に在ても私徳品行の一點に至り、我日本の婦人と西洋諸國の婦人と相對するときは、我れに愧る所なきのみならず、往々上乘に位して、彼の婦人の能くせざる所を能くし、その堪えざる所に堪え、彼れをして慚死せしむるものさえ少なからず。内外人の共に許す所にして、即ち我大日本の國光として誇るべきものなり。若しも年來日本男子をしてその醜行を恣にせしめて、一方に良家婦徳の凜然たるものなからしめなば、我社會は殆んど暗黒世界たるべき筈なるに、幸にしてその然らざるは之を良婦人の賜と云わざるを得ず。然るに今日に於て未だ男子の奔逸を縛するの繩は得ずして、先ずこの良家の婦女子を誘うて有形の文明に入らしめんとす、果して危險なかるべきや。居は志を移すと云う。婦女子の精神未だ堅固ならざる者を率いて有形の文明に導くは、その居を變ずるものなり。その居既に變じてその志は如何に移るべきや。近く喩を取り、今日の婦人女子をしてその良人父兄の品行を學ぶことあらしめたらば之を如何せん。試に男子の胸裡にその次第の圖畫を畫き、我妻女が正しく我れに傚い、我花柳に耽ると同時に彼等は緑陰に戲れ、昨夜自分は深更家に歸りて面目なかりしが、今夜は妻女何處に行きしやその場所さえ分明ならずなどの奇談もあるべしと想像したらば、流石に磊落なる男子も慚愧に堪えざるのみならず、是れは世教の爲めに大變なりとて、自から悚然たることならん。然るに婦女子の志は有形無心の文明に誘われて漸く活溌に移るの最中、或はこの想像畫をして實ならしむるなきを期すべからず。恐るべきに非ずや。男子の不品行は既に日本國の禍源たり、之に加うるに女子の不品行を以てす、國の爲めに不幸を二重にするものと云うべし。男子社會の不品行にして忌憚するなきその有樣は、火の方に燃るが如し。徳教の急務は百事を抛ち先ずこの火を消すに在るのみ。婦人の地位を高尚にするの新案は、恰も我國未曾有の家屋を新築するものにして、我輩固より意見を同うするのみならず、敢て發起者中の一部分を以て自から居る者なれども、滿目滿目たる大火の消防に忙わしくして、尚未だ新築に遑あらず。故に今後は我輩の筆力のあらん限り、讀者と共にこの消防法に從事して、先ず婦人の居を安からしめ、漸くその改良に着手せんと欲するものなり。

日本男子論終