「米價論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「米價論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米價論

日本全國の人民は商に工に各職業を殊にして千差萬別の趣なれども常に其盛衰の運を支配して巳まざる者は農民なるが如し全國を計算して一ケ年米の産額は年の豊凶に從ひ一定の割合ならずと雖も凡そ三千萬石と見積らば事實に大差なかる可し一石の相塲を平均五圓として三千萬石の代金即ち一億五千萬圓は年年農家の懷を温む可き資本にして其他尚ほ種種農産物なきに非ざれ共其價格の斯くまでに宏大なるは何物と雖も米の一品に及ぶ可らず左れば農家の經濟に年凶にして三千萬石に一割の收穫を少なくし三百萬石の不作なれば一千五百萬圓の損亡なれども若しも品物の拂底なるが爲めに其價に一割を増して一石五圓のものが五圓五十錢に騰貴するときは農民全體の懷に於ては不作の影響を蒙ることなく恰も三千萬石の米を得たるに異ならず兎に角に米の收穫と米價の高低と此二つの者は日本の經濟社會を支配するの要素にして古來封建鎖國の時の世の中は申すに及ばず國を開て海外貿易に忙はしき今日に於ても相變らず全國の景氣不景氣に關係する主重品を尋れば先づ指を米に屈するが如きは依然たる瑞穗の國の状勢と云ふ可きのみ

全國、米の收穫は兩三年來大同小異なれども先づ概して常作なりと云ふを得べし昨年は春より夏に至るの間氣候甚た順和にして苗の生育極めて宜しく近來に稀れなる大豊作の見込みなりしに夏に入りてより降雨適適順を失ひ秋に及んで別に大風害の起りたるにも非ざれども收穫に至りて平均見込みより一割を減じたるは疑ふ可らず更に其前年前前年に立戻りて當時の豊凶如何んを考ふるに或は風雨水害の爲め或は肥料缺乏の爲め天爲人造兩つながら完からざるより十二分の豊作に達することは能はざりしも一昨年に較べて著しく劣る所ありしに非ず既往三年を平均して常作たるに相違なからんなれども米の相塲より推す時は一昨年よりも昨年又昨年よりも本年と漸次米價の下落するは最も我輩の驚く所なり試に毎年一月七八日頃の東京立相塲三月物の比較を擧ぐるに

 明治十九年一月   三月物平均五圓四十四錢

 明治二十年一月   同    五圓十二錢

 明治二十一年一月  同    四圓九十八錢

明治十八年の一月相塲は三月物にて六圓七八十錢の價格なりしと雖も當時恰も朝鮮事件に引續き將さに遣清大使の派出あらんとして人心恟然の折柄なれば隨て米價の亂高下を致して常年の例を以て論ず可らざる者なるが故に姑らく擱き唯既往三年の平均相塲に付き米の成行を判定するも斯く年年下落して遂に本年に至り五圓〓を〓りたるは何故なりや掛念に堪へず一説に今〓〓〓〓〓〓事業は年を逐ひ次第に隆盛に赴く者なれば追追稻田を潰して全國に著しく其面積を減ずるも遠く數年を出でざる可し現に昨今養蠶流行の甚しき地方に在りては稻田を廢して之に桑を植うる者陸續たり〓〓〓中全國に植附けたる桑苗の數は少くも五千萬本〓〓〓〓は人の許す所なれども既に福嶋縣下の或る一〓〓にも賣出したる〓〓のみにても五百萬本〓〓〓た〓〓〓〓くは昨年中〓〓の業の植附けは一〓の〓に達せ〓〓らんと云ふものさへあり此の如く養蠶事業の進んで已まずとすれば數年の間に稻田は桑田に變ずる者著しくして米の産出を減少せしめ之と同時に米價恢復を致す可きは經濟自然の運行なれば今の下落は憂ふるに足らざるなり云云とて安心する者もあれども抑も稻田を廢して之に桑を植う可しとは平生我輩の持論にして時時紙上にも鄙見を開陳したることもありしが飜て今日實際の有樣を視れば一方に桑田の年年増加するは疑ひもなき事實なれども是れ唯旱田を潰して麥を蒔くの代りに桑を植うるの類ならざれば未開の原野を開拓して新に之を桑田と爲すに過きざるのみ未だ稻田を埋立てて大に桑田を開くの計畫あるを聞かず又偶偶これあるも僅か一地方に止まる可きの話にして全國の農民は今に至るも尚ほ稻田の耕作に向て一種神靈の觀を爲し之を廢するは恰も自家の本業を棄てて罪を犯すが如くに心得、容易に利に趨て桑を植うるの計を爲すを知らざるのみか苟も閑地にして水田に適す可きものあれば發見次第之を開拓して遺す所なく之が爲めに年年米作反別の増加するは實に案外なる成跡にして昨年一昨年の統計は未だ詳ならざれども左る明治十年中の米作反別は糯米を除て一百九十四萬餘町歩なりしに爾後年年其反別は獨り進むの一方あるのみにして遂に十八年に至りては二百三十四萬餘町歩と爲り前後相較べて四十萬町歩を増加したるは日本の稻田决して養蠶の爲めに著しく減ぜざるの證據なりと云はざる可らず之に反して茶の反別の如きは左る十六七年來漸次減少の傾きある由なるは一つには製茶の利益最初の計算に齟齬したると二つには之を較べて養蠶の利益非常なるより人人彼れを捨てて此れに移りたるの結果ならんなれども餘事は兎も角も養蠶事業の未だ大に稻田に影響を及ぼすに至らざるは明白の事實にして且つ今の旱田を桑園に變じ若くは未開の原野にまで悉く桑を植うるには其餘地極めて充分なる者なれば追て稻田の桑田に變ずるには右の餘地概ね盡るまで其間に非常の猶豫ある可き理なり斯て年年米の産出は減せずして其價は却て下落の傾あること前條の如くなりとすれは全國の農民は何れの時を竢て不景氣恢復の恩に浴す可きや米價下落して四民倍倍苦むとは今の日本の謂なれば國の經濟を思ふ者は輕輕此問題を看過するなきを要するなり

                  (未完)