「米價論」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「米價論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前節にも記したる通り我國の米作反別は既往八九ケ年の間に四十餘萬町歩を揄チしたる次

第なれば假に一反の収穫高を平均一石二斗と看積るも大數五百萬石の米は右の新田より全

く餘分に湧きたる者と云はざる可らず日本餘國の米の産額は一次年凡そ三千萬石内外にし

て恰も其平準を得るの處に更に新規の五百萬石を臨時に揄チしたらば米の相塲に〓して變

動なかる可きや八九〓〓〓〓の人口攝Bして隨て一方に米の需要を促し〓〓の傾もあらん

なれども之と同時に麥其他食用に供する諸種の農産物に又著しき揄チもあれば新人口の需

要悉く米の五百萬石を消費する者なりとは云ふ可らず以上數年の間に米を除て他の食用産

物の揄チ比例を見るに

明治十一年    石    同十七年    石    揄チ     石

麥    九、四一一、四六〇   一三、一〇五、八四一   三、六九四、三八一

大豆   一、六四二、一八五    二、三二三、四三五     六八一、二五〇

小豆    調べなし

粟    一、四三七、四六五    一、五七五、三〇七     一三七、八四二

蜀黍      八一、五〇一      一〇六、七七五      二五、二七四

黍      一六四、〇八五      二四〇、四九二      七六、四〇七

稗      八七七、三二六    一、〇八三、八三八     二〇六、五一二

蕎麥     五七五、〇五四      六七三、二四一      九八、一八七

甘藷 二二三、四一七、三八八貫 三六二、〇八六、八二八貫 一三八、九六九、四四〇

馬鈴薯  八、六三三、五八九貫  一〇、七一五、九〇二貫   二、〇八二、三一三

以上雜穀の産出高は明治十八年以降の調べ未だ出來せざるを以て暫らく十七年度の調査に

基き明治十一年以後其間に産〓揄チの割合を計算したるものにして麥以下蕎麦の七種に於

て四百九十一萬九千餘石、甘藷馬鈴薯の二種に於て一億四千七十五萬餘貫は全く米以外の

食品の餘剰に生じたる者なり今此餘分の差額を以て新人口二百三十餘萬の攝Bに比較する

に食物の揄チは决して人口の揄チに後れざりし者にして更に之を助くるに新規、米の産出

五百萬石を以てするの次第なれば此等の食品は何れの處にか消費の口を看出さゞる可らず

若しも充分の〓路あらずとすれば〓て米の相塲に影響ある可きは經濟自然の法則にして特

に又食料外の消費の點より其趣を推測するに例へば造酒用の米許りにても明治十一二年の

際には一箇年に大數五百萬石〓〓〓〓〓〓たりしに〓日に至りては其の〓〓〓〓〓〓〓〓

〓〓に過ぎざる〓〓〓〓〓〓〓昨年〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓なり〓〓〓〓〓〓〓〓れど

も十〓〓〓の〓〓〓〓れ〓〓酒元〓〓〓〓〓〓九十萬〓〓餘〓〓〓〓〓の〓退は實に〓し

き者にして即ち既往八九〓間の有樣を評すれば造酒用の米は恰も其需要を半減以上にした

るに新田を開發して獲たる所の新米は却て更に五百萬石を揄チしたるの姿なるが故に此れ

に造酒用の消費に減じたる三百萬石を合計すれば大數八百萬石は經濟學に謂ふ所のオーヴ

アプロダクションと爲り、供給過ぎて需要之に應ぜざるの趣はなかる可きや右の外尚ほ米

を消費するの道は獨酒燒酎或は酢、餅菓子の類にして其數枚擧に遑なけれども其額を清酒

釀造の用に較べては盖し僅少なる者にして既往數年の間に其消費額別に著しく揄チしたら

んとも思はれざれば暫らく之を論ぜず唯前條造酒用米の消費と新田米の産出とを比較して

考ふるも縱令へ生産の過溢直に米價を下落せしむるの影響はなかりしにもせよ斯く年々の

豐作にては其價の騰貴して農民利澤に潤ふの見込なきこと明白なりと云はざる可らず農家

の前途思遣るに堪へざるなり

次に米と他の作物と反別揄チの割合を比較するに米作の進歩亦遲々たる者に非ず蓋し桑園

反別の揄チ著しきは世人の許す所にして今爰に兩三年來の調査を缺くと雖も去る明治十四

年各府縣の報告統計に據るに其反別無慮十一萬一百餘町歩にして同年全國の繭の産額は大

數七八百萬石なりしと云へり而して昨年一昨年の繭の産出額は未だ今日に詳ならざれども

大數一千萬石と看て事實に大差なかる可しとの説もあれば暫らくこれに從ひ以て之に對す

る桑園反別の數を概算するに多くも十五萬町歩を超ゆ可しとは思はれず即ち五六年間に凡

そ四萬町歩を進めたるの割合なれば桑園其物より云へば實に著しき進歩たるに相違なけれ

共之を七八年間に四十萬町歩の新稻田を揄チしたる割合に比較すれば縱令へ年月に三四年

の相違あるにもせよ桑園の進歩亦世人の喋々する如く獨り迅速意外なりとは云ふ可らず且

つ新地の開發は獨り米作に止まるに非ずして其他雜穀に至るも概ね然らざるなし即ち前に

掲げたる雜穀産額の揄チは恰も其事實を表する者にして例へば麥作反別に就て之を言ふも

去る十一年と十八年とを比較するに前の百三十六萬餘町歩に對して後は十七萬町歩を揄チ

し大豆作の反別も十一年には四十一萬餘町歩なりしに十七年には進て四十四萬餘町歩に達

したる等斯く未開地の年々歳々開け往くは悦ぶ可きの次第なれども之に伴ふて農家全體の

命脈を繋ぐ可き米の價格は獨り昇らざるのみならず却て逆行して下落の傾あらんとは我輩

の聞て不問に附す能はざる所なり

全國の人民中實地農業に從事する者は幾何なりや或る者は案外に多しと云ひ又或る者は案

外に少からんとして所説紛々たりしなれども未だ調査の完備せざるを以て今日に在りても

充分の統計を知る能はず唯内閣統計局に於て近年刊行の統計書ある三府二十六縣に就き農

作の戸數人員を摘録し以て世人が全國農作者の比例を知るの便に供すとて新刊第六統計年

鑑に之を載せたれば今其表を見るに總人員百に付ての農作人員は六十人三分一厘、此中專

業者と兼業者との比較を擧ぐるに農作人員百に付て專業者八十二人兼業者十八人の割合な

れば之に例して三千八百萬の人口中農作者の數を推す時は其十分の〓〓〓二千二百餘萬人

は全く耕作に從事して〓食〓るの種族なるを知る可し〓に其中より專業者兼業者〓〓〓す

るも三千八百萬の半數以上は直接に〓〓〓〓〓米〓作に依〓して生計を維持する者なるに

爾かも其米價にして〓〓せざるのみならず却て下落の傾あるに於ては農民は疲弊せざらん

と欲すと雖も勢ひこれを免る可らず然らば則ち如何にして農家の富裕を助けて其生計の度

を高うするを得せしむ可きやと云ふに即ち我輩の毎度申し陳ずる如く養蠶を盛んにして生

絲業を擴張するより他に銘策なきことなれども一時の方便としては種々其邊の工夫なきに

も非ず就中今日に米穀の輸出と奬勵し外に其販路を弘めて内に米價の維持を圖るの一策は

多少効驗あらんかと思はる、之に關して我輩更に鄙見もあれば次に記して識者の敎を乞は

んとするなり(未完)