「米價論」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「米價論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

前號に記したる如く現今日本米の輸出市塲は歐洲に於て英、獨、佛の三國を其主なる者と

して英國は既に一箇年に一百四十萬圓の日本米を消費し獨佛の二國は之に較べて遙に及ば

ざれども尚ほ一は四十萬一は十五萬内外の需要なれば我國の好花客なりと稱して可ならん

其外墺地利、和蘭、白耳義等の列國への賣捌は今日に於てこそ見るに足るものなけれども

今後若し販賣の途を盛んにしたらば前途の望少しと云ふ可らず又前記英獨佛三國の米の消

費も既往の經驗を以て將來を慮れば次第に其額の進む可きは我輩の信ずる所にして例へば

數年以前には倫敦の米の相塲は唯一に印度米あるのみなりしに今日は日本米も稍々頭角を

顯はすの機會を得て日々其立相塲を聞くに至りたれば今後一層日本米貿易の規模を宏大に

して併て聲價を落すことを避くるの策は大に輸出を揄チするの方便ならんと云へり次に亞

細亞向きの米は支那朝鮮を除くの外露領亞細亞の需要と雖も未だ十萬圓に上らざるは微々

不振の勢ひなれども數年來浦〓斯コ港の貿易は大に繁昌を來して殊に露國政府に於てサイ

ベリヤ地方殖民の功を急にするより移住の人々近時著しく攝iして隨て食料の需め足らざ

るより頻に日本に米の供給を仰ふがんとするの色あるは事實に於て爭ふ可らず朝鮮は元來

米に乏しき國なれば日本米の價格の廉なる者は年を逐て需要を促すの姿なきに非ず支那は

世人も知るが如く其全帝國に水田極て多けれ共昨年の秋黄河潰决したるが爲め沿岸數千里

の地は悉く水に浸され人畜死する者數を知らざるの有樣なりしなれば昨年は申すに及ばず

本年の収獲も著しき減少あるに相違なからん支那國民の爲めには甚だ以て氣の毒の次第な

れども虚心にして經濟法則の運行を考ふれば本年中支那市塲に出る所の日本米は昨年一昨

年に較て揩キあるも減ずるなきは我輩の期して疑はざる所なり最後に濠洲諸嶋に於ける日

本米の需要を如何にと云ふに此れも年々揄チの傾向ある者にして其諸殖民地に米耕作の起

らざる間は之を日本に仰ふぐこと便利の一點に於ても廢止す可らず然り而して諸殖民地の

繁昌隆盛は今日恰も旭日の昇るが如き勢ひなれば日本米の輸出こそ之に應じて大に見込あ

ることなる可し獨り我輩の遺憾とする所は我國の貿易市塲として平生第一なる北米合衆國

に之を輸送する能はざるの一事にして此れは米國に米の需要なきには非ず南方温暖の地、

米耕作に適するの地方には其産出も頗る盛んにして例へばカロライナ米の如きは〓〓〓も

高く日本米の容易に之に競爭するを許されざるは致し方なけれども米國を外にしては方今

日本の通商與國中に概ね日本米の需要あらざる所なきのみならず若し能く輸出の道を奬勵

するに於ては將來の望みも少からざる者の如し外に輸出を盛んにして内に米價の低落を防

ぐの手段行はれ難きに非ざる可し

海外に於ける日本米の消費に二樣の別あり即ち一は一般の食料に供する者と一は製造用、

糊の原料に充つる者との相違なれども食料としては日本米は印度米に及ばざる者ならんと

云へり其次第を尋るに米は必ずしも熱帶地方特有の産物なりと云ふに非ざれども其稻の成

長には夫れ夫れ一定高度の温熱を要するの法則なれば温帶地方に於ても氣候稍寒なるの處

に産じたる米穀は時に高度の熱を吸収するの暇なくして其質不良なるを免れず例へば日本

米の中に在りても越後米若くは仙臺米の肥後米或は武州米に及ばざるは多少人事改良の未

だ屆かざるに因るの次第もあらんかなれども主なる原因は全く肥後武州等の産地に於ては

稻苗何れも定量の熱を受け得るに反對して越後仙台は天惠上抑も抑も既に此利uを奪はれ

たるに因る者なりと云へり此説にして違ふことなくんば日本米と印度米との競爭に於ても

食品として日本米の品質印度米に及ばずとの評は天然爭ふ可らざるの事實にして我輩敢て

疑はざれども製造用糊の原料として使用するには日本米の粘力甚だ強く、印度米も之に若

かざるの利uある由なり佛蘭西或は獨逸等の諸國に於て絹織物若くは羅紗製造等に消費す

る糊の原料は頗る莫大の額にして近時日本米の歐洲大陸に入る者は重に右の所用に供する

が爲めなりと然れども又日本米は食料として必ずしも敗を取らざるの證據には英國邊の米

の需要は之を以てライスカレーを製するか或は然らざるも下等人民若くは監獄等の處に在

りては之を炊て粥やうの者を作り以て常食に充つるの向もあり、今日歐洲の市塲に入る日

本米は食用と糊料と兩つながら與に其需要は多しと聞けり次に價格の競爭に至りては印度

は歐洲市塲を距ること日本よりも殆んど半に過ぎず、距離既に半なれば運賃も亦半なるは

自然の道理にして事の表面より見れば日本より遙々印度を超えて與に歐洲の市塲に競爭せ

んことは理不盡の話なるに似たれども實際は則ち然らず凡そ倫敦の相塲に於てラングン米

は一ブツシエル(凡二斗)の價凡七志(一志は金貨廿五錢)内外にして同時之に對する日

本米の價格は六志六片より下て六志を度とする者なれば品位に於ては日本米の印度米に及

ばざること萬々なれ共更に高價の運賃を支拂ひながら尚ほ歐洲市塲に競爭の餘地あること

は年々日本米輸出額の揄チに照らしても明なる可し其外亞細亞向き濠洲向きに至りては歐

洲に反して距離の關係印度よりも極めて短ければ販路の廣まるに從ひ日本米は多々倍々供

給を促されて市塲專賣の特權を有するに至るも難からざる可し要するに日本今日の米價を

以て海外諸國に廣く輸出を試むるは利uなきの事業にあらずして同時に内地の米の價格を

して低落を免れしむるの望みも無稽なりと云ふ可らず其輸出の方法如何んに關しえは我輩

窃に鄙見なきに非ざれども爰には唯米の輸出の必要と併て其事に望あるの理由とを記した

るのみ他は時を相て重て大方の敎を乞はんと欲するなり(完)