「蠶業に對する豪農小民進退」
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時事新報に掲載された「蠶業に對する豪農小民進退」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
(昨日の續き)
前號の紙上にも説きたる如く地方の豪農小民各自養蠶業に對するの趣は今日恰も其方向を
相違にする者にして一は資本に富めども其資本を利用して米耕作を蠶業に轉ずるの先見少
く一は又之に反して漫然養蠶の熱に浮かされ數歩の田園悉く之に桑を植えながら差向き米
麥菜蔬を仰ふぐの土地なくして究するの奇談なきに非ず孰れも極端に馳せたるの次第にし
て中には資産知識の二つを備へ自から奮て地方に率先するの有志者ありと雖も其數至て僅
少なれば蠶業進歩實際の有樣は今日正に一種奇樣の地位に在る者と云はざる可らず抑も米
耕作と養蠶との利益を比較して其相違の大なるは數に於て明白なれども米耕作には數千年
來の口碑習慣傳存して犯す可らざるの勢力あるが故に一朝頓に之を改むるは容易ならず即
ち地方の豪農者は今尚ほ舊業に戀々して離るゝ能はざるの情實に居ながら顧みて世間を見
渡せば蠶業の進歩思ひの外なる盛運にして眼前小前の農民が一反歩の地面を潰ぶし桑を植
えて之より一石の繭を得るとすれば市塲の價三十圓これに對して同じ我一反歩に米を作れ
ば収穫平均二石にて所得尚ほ十圓外に上る能はず從令へ實際には此の如き相違あらずとす
るも養蠶は米耕作に比して兎に角に利益の大なること明白なり果して然らば我も亦其顰に
倣ひ敢て祖先傳來の家法を犯して斷然養蠶に從事せんか否な否な蠶業は投機者の仕事なる
可し利益の大なるは取りも直さず又其危險の大なるを示すの理なれば徒に世間の流行を逐
ふが爲めに我々素封家の家宝を紊すは拙策なり兎やせん角と今正に思案の最中その進退に
迷ふの趣なきに非ずと云へり新舊事物交代の機に迫りて其局に當るの人々其判斷に苦しむ
は毎々有勝ちの話にして特に最も保守精神に富む所の豪農社會に至りては米耕作と蠶業と
孰れに方向を定む可きやと昨今其取捨に當惑するも亦怪むに足らざるなり
右の如く地方の豪農が前途の産業を彼れ是れ思案して今日其方針に迷ふの有樣なるは唯本
人識見の足ると足らざるとの二つに在る者なれば我輩が傍より云々するの理由なきことな
れども國の經濟より論ずる時は今の豪農社會の人の斷然機を相て養蠶事業を經營せざるは
獨り其私に作富の道を失ふが爲めに惜むのみならず之を公けにしては全國の大計を誤るの
恐れありとして聊か掛念なきを得ず即ち今日の時勢は是れまで保守因循と呼ばれたる一般
地方の豪農が初て多年の夢を醒まし漸く力を蠶業に盡さんとするの有樣に遷り着實なる資
本と其業に卸さんと欲して又忽ち逡巡を催ほし暫く世の成行を卜ふの姿なれば此際に當り
能く此流の資本家を奬勵して斷然新業に從事せしむるの手段を爲すと否とに於ては國の將
來に大關係なきこと能はざる可し實に千歳の一時にして日本農民の前途をして幸不幸なら
しむるの機、間髪を容れざるの今日に於て爰に又我輩が默して已む能はざるの一事と云ふ
は外ならず兩三年來日本米の海外輸出盛んにして既に一昨年は三百五十萬圓の巨額に上り
昨年中は實業家の所説に石數一百萬以上、全額五百萬圓にも達せしならんと云へり隨て地
方の農民に將來米の海外輸出は非常に望みある者なりとの迷ひを懷かしめ一方には近時各
府縣に行はるゝ米質改良の議論なるもの偶然にも之に投合して米耕作を奬勵するの勢ひな
きに非ず而して其影響の及ぶ所を如何にと云ふに彼の保守因循なる豪農者は直に之を迎へ
て他の一方に彌よ彌よ養蠶を投機業視するの風を促し今日までは都合に依らば蠶業に着手
せんかと心構へさへ爲したる者が俄に差控へて却て米耕作に後戻りするの趣あるに似たり
既に某縣に於ては今日にても養蠶地方の一つとしては左まで他縣に劣らず就中三四年來の
進歩最も著しくして後來全國中屈指の蠶業地と爲る可き見込み充分なれども其縣下の豪農
地主は依然米耕作に執着して頑然動かざるより有志者は交々これに利害を説き且つ公益の
爲めもあればとて強て養蠶を促したるに本人も亦時勢を察し悟りたる所もあるか昨年中試
に所持の田畑幾町歩に桑を植え大に蠶業を盛んにするの計畫まで整頓したるに適々米輸出
の望みある其次第と米質を改良して其價を高むるの利益なる理由とを耳にし偖はとて又々
迷ひを生し俄に養蠶の計畫を廢棄し一意專念以前より尚ほ執着に米耕作を株守するに至り
たるより他の豪農地主までも勇氣を復して養蠶を擯斥し之が爲め資本は蠶業に移るの途を
妨げられて有志者の失望少からずとの奇談あり右は全く一縣下の事例なれども地方の豪農
は今日蠶業に從事するを危ぶんで到る處尚未だ米耕作に戀々する折柄偶然にも近時米輸出
の途の開けたると米質改良論の行はるゝとの二つを以て更に保守の勢ひを助け以て全國蠶
業進歩の氣運を妨げんとするは蔽ふ可らざる事實なるが如し
前條の事實果して是ならば資本金力に富む所の豪農は彌よ彌よ保守に流れて新規の業を執
ることを忌嫌し隨て小民は目前の利を逐ふに忙はしく永遠に資力の助けを失ひ雙方互に離
隔して大に蠶業の發達を害するの憂慮なかる可きや經世家の掛念に堪へざる問題なれば我
輩も不敏ながら後時鄙見を開陳して大方の教を乞はんとする者あるなり(完)