「地方官諮問會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「地方官諮問會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

地方官諮問會

各府縣の長官は追々東京に集りて諮問會を開きたり今回の會議は專ら地方自治の制度に關

する事のよし如何なる制度改革にや未だ知る可らずと雖も必ず地方人民の便利を謀ること

ならん又この會議に拘はらず各長官は出京の序に任せて中央政府に出入し又貴要の人に面

接し公に私に地方の状况を陳べて問ふこともあらん問はるゝこともあらんなれば其際に當

り我輩の願ふ所は中央政府も地方長官も共に注意して官民の繁文を除き官吏の數を沙汰し

地方の費を省き以て斯民を休養するの要を忘れざるの一點に在るのみ抑も現行の法律諸規

則に就ては世上に其得失の評論喧しく我輩の常に耳にする所にして變換を祈るもの少なか

らずと雖も我輩の云ふ繁文を除くとは必ずしも其法律の根底より俄に改革せんとの所望に

非ず又その諸規則を一時に取除かんとの注文にも非ず假令へ今日のまゝの法律規則にても

之を實際に施行するに當り勉めて簡易を主とすると態と煩雑に亘るとの相違は實に容易な

らずして其民間に影響する所の利害は天淵の差を見る可きことなれば唯その繁を去て簡に

就かんことを願ふのみ例へば税を催促する二名吏人が同一の税法に從て徴収するに甲は納

税の犯則者を摘發すること非常の數にして乙は全く然らざるが如きは各府縣共に實驗する

所の事例なる可し等しく一地方の人民にして其貧富も其智徳も大抵似寄の者なるに其一部

分に犯則多くして他の一部分に然らざるの道理はなけれども唯吏人の心得次第にて罪人を

得るころも易く又罪人を見ざることも易し簡を主とすると繁を悦ぶの差は正に此邊に事跡

の現るゝを見る可し我輩が毎度論説する如く人民が嚢底を拂ふて税に供するは固より難澁

なりと雖も時としては其納る所の税の金よりも官邊の公式に不案内にして心配する其徒勞

徒費の方、却て難澁なるの事情あるは世人の常に語りて爭ふ可らざる所なり又納税の一事

のみならず警察とても稍や之に類することなきに非ず政治上の警察に水も洩らさぬ其仕組

よりして時としては餘り丁寧嚴密に過ぎて存じの外の行違ひを生じ官民共に財と時とを費

して雙方共に失望するが如きは餘儀なき次第として扨又民事の警察に醉漢が路傍に醉倒す

るを巡査が見咎め其方は何故に斯る處に倒れたるや病氣にはあらずやと深切に注意するを

聞醉漢は前後を辨へず此方が勝手に此處に熟睡するを何者なれば來て人の睡を驚かすな

どゝ醉夢中の漫語放言に巡査も少しく立腹し兎に角に屯所まで參れとて之を引立て篤と吟

味すれば全く酩酊に相違もなし然らば放免以後を謹めよと申渡されて其中に醉も醒め家に

歸りし頃は最早曉に近く一夜火の氣もなき屯所に留められたるが爲めに風邪に感じたりと

云ふ是れとても最初巡査が醉漢を咎めたるは其病氣なるやを案じ又病氣ならざるも路傍に

臥しては攝生に宜しからず感冐の恐れありなど云ふ誠に優しき注意なれども其際に思寄ら

ざる間違ひを起して果ては本人の風邪と爲り風邪を注意して却て風邪を生じたるものと云

ふ可し本來下等社會の者共が酒に醉ふて路傍に倒るゝが如きは田舎に珍らしからぬことな

れば少々の不體裁は之を大目に見て見遁しにするこそ太平の世の吉祥なれど我輩は獨り警

察の簡易寛大を祈るものなり

一家の世帯に下女下男の數を多くすれば掃除などは能く行屆いて客來の取次應接等に至る

までも都合好しと雖も又一方より考えれば其數の不相應に多きが爲めに却て家事を煩はし

くするのみならず女部屋男部屋も要用にして給金は勿論飲食火鉢ランプの數も殖えて思は

ざる所に失費を増すものなり然かのみならず其下女下男も既に給金を取りて家事を勤る約

束なれば閑散は固より得意なれども餘り無事なるも外見の不體裁かたがた何か用事を求め

て家の内外に周旋奔走し入らざる事に手を着けて夏の差入りに障子を張替へ冬の將さに來

らんとするに簾を持出す等樣々の新工風を運らして却て家事を繁にして冗費を増すが如き

奇談なきにあらず或は主人の留主に机の邊を奇麗に掃除して筆硯文書の置位を轉覆し主人

が起草の紙を反故に混じて取棄てたるなどは毎度人の話にも聞き我輩が自分に實驗したる

こともあり畢竟下女下男が其働振を示さんとするの情に出たることにして功名の出來損じ

と云ふも可ならん左れば今日地方の施政は一家の家事に異なり法律章程の正しきものあり

て事務整然たる可しと雖も其事務の或る部分には官員の數不足するよりも寧ろ餘りありて

之が爲めに却て事を繁にするが如き弊はなきやと我輩の竊に掛念する所なり一部分の樣子

を聞けば地方官の繁忙は非常にして早朝より官廳に出頭し退廳夜に入るなど語る者あれど

も又一方には隨分不急の仕事の起ることも多しと云ふ我輩曾て其實際を見ざれば敢て妄評

を下すには非ざれども家を治むるの實驗に於て然るが故に若しも似寄りの事情もあらんか

と思ひ實際に叶ふ丈けは官吏の數を減して地方費を省かんことを祈るのみ地方官と云ひ警

察と云ひ何れも人民に直接するものなるが故に人望を重んずる政府に於ては特に注意を加

へざる可らず盖し我輩が現行の法律規則の是非得失を問はず其まゝにても繁を去り簡に就

かんと勸告するも其微意は此邊に在るものなり(以下次號)