「大坂の商業を進むるは舊物破壞の手段に在り」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「大坂の商業を進むるは舊物破壞の手段に在り」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大坂の商業を進むるは舊物破壞の手段に在り

 左の一篇は渡邊治氏が過般關西地方漫遊中大坂の客舎に起草して本社に送りたる者なり

王政維新の前に在りては大坂は日本第一商賣の中心なりしこと爭ふ可らず關以西の咽喉を

扼して四通八達の勢ひなれば中國九州到る處の商人は皆大坂を中心にして其業を營まざる

なく或は市中の商人が舊諸藩大名の財政經濟に關係して隱然理財の權を握りたる事の如き

は姑らく論せず更に北陸北海の商賣に至るまでも當時の江戸は實際これを支配せずして大

坂の商人をして權を專にせしめたるの有樣なれば凡そ三十年以前までは日本國の商權一に

大坂に聚まり居たる者と稱して不可なかりしに開國維新と與に共に西洋の文明我國に渡來

して社會凡百の事物を擧げ其舊態を變更せしめたるより大坂の商權漸くにして他の地方に

移り之に加ふるに其商人は數百年來の遊惰因循に侵蝕せられ果敢進取の氣象を失ひたれば

唯倍々退縮して守るより外方案を看出す能はずして遂に今日に至りては大に土地の不繁昌

を來し獨り殘餘の商勢を支持するに苦むのみならず如何にせば今後零落の傾きを恢復し得

可きやと恰も其途方に暮れて茫然自失の状態なきに非ず氣の毒なりと言はざる可らず

然れども一方より論ずれば大坂の商權實に地に墜ちたりと云ふと雖も其商人は祖先傳來の

財産饒かにして殊に今日まで幾百年間經驗上に積み來りたる商賣の技倆も少からず各商取

引の手段順序整正して簡易能く盡すの趣は既に現時に在りても東京商人などの及ぶ所なら

ざるは明白の事實にして若しも雙方輸贏を較するの塲合もあらば東京人は遙可か大坂人の

背後に瞠若たるの恐れなかる可きや我輩如何とも之を保證する能はざるなり又其の地勢よ

り論ずる時は前にも申す通り水陸の便兩つながら完うして之に據て四方を制すれば商賣の

方域殆んど日本國の半を占むるに足る可く土地殊に平坦にして市街縦横これを延ばせば幾

百萬の人口を容るゝことも容易ならん大坂の商人は斯る形勝の土地を領して祖先傳來の資

産信用更に其勢を助くるあるにも拘はらず今は殆んど無氣力の極に達し少しも天與人惠の

利を利する能はざる其理由を偖倩々推測するに歸する所は文明日進百事快活の世の中に時

勢を知らず文字を解せず優長泰然自得して以て處世の要を得たりと爲す者豈に其主因に非

ざるなきを得んや日本現今の商賣取引は西洋諸國に較べて甚だ緩慢の誹あるは疑ふ可きに

非ざれども尚ほ開國後三十年の今と昔と相駢べて人事活動の有樣を考へたらば如何許り相

違のあることか盖し喩ふるに物なかる可し電信鐵道汽船の便を利し以て商機の運轉を盛ん

にするとせざるとの一事にても新舊商人の間に著しき成敗優劣のあるは自然の勢なれば今

の大坂が次第に商權を失ふの原因も全く文明の時勢に投じて事を計らざるの罪なりと云ふ

の外ある可らず我輩窃に案ずるに大坂の商賣今日の如くに衰退したるは即ち恰も徃日其隆

盛を極めたる時の反働を表したる次第にして新舊事物交代の際に在りては舊式に依て事を

爲す者頓に新式に會して容易に之に遷る能はざるより遂に時勢に後るゝは珍しき話ならず

大坂の商人もこれに均しく日本風舊商賣の盛んなりし以前には非常の熟練經驗もありしな

れども西洋風の新式に法て百事改進を旨とするの今日には多年の積習深く其腦裏に染めた

る者一朝に除くこと能はずして文明塲裏に奔馳の力なく、今に殆んど零落に歸せんとする

は他なし時勢不案内の致す所なりと云ふ可きのみ

大坂の商人等が今日尚ほ舊習を株守して容易に文明の風に遷らざるの趣を知らんとならば

其川口の商賣を見るに若かずと云へり即ち大坂は水陸の便兩つながら備はる中にも特に鐵

道は神戸西京南北に相通じ陸運の利此上もなきが故に旅客は徃來一として鐵道に依らざる

なきの有樣なれども貨物の出入に至りては概ね皆水路にして川口に聚まらざるもの甚だ稀

れなり而して其水の運搬に至りても恰も陸に汽車ある如く汽船徃來の便を利して商賣を營

むの次第なるやと尋ぬるに大坂川口の内木津川に入る者は悉く純然たる日本船にて大坂市

中に出入する貨物の大半は皆此川筋に依らざるなく獨り汽船の入るものは安治川口なりと

雖も貨物の割合甚だ少ければ木津川口の繁昌とは比較して論ず可らず偖此兩川口を經て大

坂市中に出入する貨物の量は幾何なりや暫らく精細の調べを缺くと雖も總數中十分の七は

和船に積んで木津川に入る者にて其汽船を利し安治川に入るの貨物は僅に殘餘の三分と見

て左まで事實に違ひなからんとの事なり即ち之を商賣の新舊兩式に依て區別するに和船積

みの商賣は申さば其商人は今に尚ほ結髪の素町人にて帳面は依然たる舊樣の大福帳なり取

引懸合ひの手段の如きも茶屋貸席に安閑數日の流雲を累ねて後ち始て事の要談に渉るが如

く一切の事物式樣悉く舊ならざるなきに引替へ汽船積みの取引商人は自から任ずる重うし

て决して素町人の卑きに居らず商店にも西式の記簿法を用ひて日常の取引には電信鐵道の

利器を利し務て其事を文明改進の風に摸するは我輩の偏に賛成する所なれども其數至て少

ければ其勢力も甚だ弱く隨て依然たる商賣の大勢は彼の舊式多數の商人に支配せられて文

明の商風未だ大坂の市塲を靡かす能はざるは識者の所憾なりと云へり再言すれば七分多數

の舊式商人が今の商賣の風を一變せざる其限りは大坂の商業は唯衰微の一方あるのみにて

早く文明の時勢に後れざるを期せんとならば今に及んで一大覺悟ある可き事なり(未完)