「歐洲列國の形勢タイムス及エコノミストの議論」
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本文
歐洲列國の形勢タイムス及エコノミストの議論
近時歐洲列國の形勢を如何にと云ふに戰爭破裂の機目前に差迫りたる者にして毎々ルート
ル電報の所報に據るも今度こそ必ず交戰ならんなれど人をして全歐亂離の念を壞かしめた
る幾回なるを知らず甚だ不容易の事情なれども飜て他の一方より顧みるに列國とても漫然
戰を〓て自ら禍するを悦ぶ者に非されば其間出來得る丈けは平和穩便の手段に依頼し以て
今の時局を結ばんとするの本心なること明白の事實なるが故に偖爰に至り列國の形勢は和
戰孰れの一方に傾く可き者なるやと云ふに吾々局外の地に在りては彌よ彌よ判斷に苦まざ
るを得ざれども此程の便にて到來したる倫敦タイムス及びエコノミストに歐洲和戰の成行
如何んを預言したる論文ありて兩社ともに其所見を同うしたる者の如し我輩之に依て聊か
列國の形勢を解得したる所もあれば左に其要略を意譯して諸君參考の一助に供せんと欲す
るなり
歐洲今日の形勢は極めて危急なるに相違なし彼のソールズベリー侯が倫敦府知事の宴席に
於て列國の平和は望みありと演説し或は又ビスマルク公が或る列國の大使に向ひ予は飽く
まで全歐の平和に盡力す可しと口外する類の如きは少しも恃み甲斐ある言語にあらず總じ
て斯る要衝に立つの人は縦令へ内心に如何なる想案を描くにもせよ表面に之を公示する能
はざるは無論にして或は窃に交戰の覺悟を爲しながら尚ほ悠然泰平の色を裝ふは抑も抑も
地位の之をして然らしむる者なれば世人の徒に二三有名なる政治家の顰を窺ひ其語氣に平
和の兆候あるを以て歐洲に干戈の恐なしとするは太早計の議論なる可し又表面の事實に於
ては列國の間容易に破裂なからんと思はるゝ其裏面に交戰の機は既に熟して突然干戈を動
すに至る者珍しからず例へば去る千八百七十年普佛戰爭の際の如き英の宰相グランヴヰル
侯は「歐洲の空氣に一點の陰雲なし列國の機密を知らざるなきの人にして明に其次第を己
れに告げたるなれば平和疑もある可らず」と爾かも自ら信用して議院にまで其旨を報告し
たるに何ぞ料らん戰爭は忽ち破裂して全歐の局勢一變したり是れ即ち和戰の决は當路の政
治家と雖も豫め測る能はざるの證據にして今の列國の形勢も或は斯る有樣なきを保す可ら
ず且つ一歩を進めて論ずるに墺地利匈牙利は頻にガリシヤの邊疆に兵を送り維也納に於て
は屡々軍畧會議を催し其他國會の議决を待たずして〓軍の費目に供し得可き金額二千五百
乃至二千八百フロリンを直に軍用に支辨せんとするの計畫もあり又ガリシヤ地方に兵士二
十萬人を容るべきの軍營家屬を建築し更に義勇兵を點檢(手偏)して後備軍にも不時出兵
の準備を爲さしむる手筈なりなど云ふ諸般の風説孰れも戰爭破裂の兆候を爲す者ならざる
なし然り而して之に對する露國政府の擧動を見るに窃にポーランド邊疆の守兵を増して攻
守の用意を巖にするは申すに及はず河川を渡る爲めの軍用橋梁を設けて進撃の手筈を急に
せんとするの企てもあり兎に角に露墺兩國の關係は一歩毎に危險に近くの色ある者にて唯
單に此一點より列國の形勢を推測すれば彌よ戰亂の發するも旦に夕を保たざるの趣なりと
云ふ可し
現今列國の間に大問題たるは例のバルガリヤ國王フエルヂナンド公存廢の論なり露國は始
めよりフエルヂナンド公の即位に不同意にして飽くまでも之を廢せんとするの决心なるに
引替へ他の列國は其在位を厭ふ者にも非ず去迚露國を敵にしても是非バルガリヤの王位を
フエルヂナンド公に與へんとの覺悟も見えず甚だ曖昧なる處に生路を殘して孰れとも方向
の决せざるは抑も理由あるが故なり即ち列國が同盟連合を爲す以上は今のフエルヂナンド
公を廢するは誠に無造作なれども偖此公を廢して何人を後の候補者と爲す可きの段に至り
列國の利益にも妨害なく又露國の希望をも損ねずして中立不偏なる人物をバルガリヤの君
主に擧ぐるは永劫未來覺束なきことと云はざる可らず斯る候補者の顯はれざる其間はフエ
ルヂナンド公の廢位少しも今の時局を救ふに足らざるのみか之が爲めに一條僅に縷々とし
て絶えざる和平の線路を破壞し全歐をして亂離の世界たらしむるの恐なきに非ず列國は此
危險の大なるを察して容易に露國の要求に應ぜざるに露國は又強て列國に迫りてフエルヂ
ナンド公の廢位を主張するは雙方共に所詮折合の就く可らざる事柄を無理に談判するの類
にて其結局喧嘩口論に至らざれば已むときなからんのみ畢竟フエルヂナンド公を廢するは
容易なりとするも更に其後嗣を撰むに當り露國の歡心を買はんとすれば墺國の不承知なる
は萬々にして墺國の存意を貫かんとすれば露國忽ち憤怒して開戰恐嚇の手段に及ぶ可し其
の状恰も氷炭相容れざるものに殊ならず其始めには雙方互に自重して漫に交戰もなからん
なれども早晩一度耐忍の緒を斷て一大破裂ある可きこと數に於て明白なりとす
是に由て之を觀れば昨今列國の形勢は實に累々然たる者にして何時其破裂あらんも知る可
らざるに似たれども爰に確かなる一事と云ふは外ならず即ち國際交戰の始まりは恰も國際
談判の終りと其時を同うして一大戰爭破裂の以前には必ず一大外交談判の起るを常とする
者なるが故に今回歐洲に戰亂の虞ありとするも之に先ち一旦は世の耳目を驚かす可き談判
ある可き筈なるに昨今軍事上の形勢は日に危急なるにも拘はらず外交上の局勢未だ至急開
戰を促すその熱度に迫りし者とも思はれず隨て今月今日を期し戰爭の起る氣遣ひはなから
んなれども同時に列國の葛藤は到底平和に其局を結ぶ者に非ざるの理亦推して知る可きな
り