「東京米商會所」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京米商會所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米の限月賣買を目して博奕同樣の事と認め全國幾個所の米商會所に眼を着け唯其弊害のみ

を摘發して其利を〓はず漠然として厭惡の情を懷くは盖し古學者流の殘夢尚未だ醒めざる

ものとして共に文明世界の經濟論を論ずるに足らざるものなれば特に辨明を費さずしてし

て之を擱き扨今日の米商會所は如何なる有樣に在るやと尋るに東京の會所の如きは殆んど

斷絶に埀んとするものの如し此有樣を見て世人は何樣の感を爲すや我輩は其營業の振はざ

るを以て營業人の不幸を悲しむに非ず天下に不繁昌の營業は甚だ多し獨り米商會所のみを

吊す可きの理なしと雖も唯その不繁昌の影響する所洪大にして由て以て天下の不利を致さ

んことを恐るゝのみ今その次第の大略を陳べんに

第一東京は日本商賣の根本にして取引の最も盛なる地なるが故に米商會所も東京を以て恰

も全國の本部とするものなり

第二米は日本國中第一の物産にして其賣買の洪大なる他に比類を見ず全國の収穫を三千萬

石として一石の價金四圓なれば共計一億二千萬圓にして五圓なれば一億五千萬圓、迚も他

の物産の及ぶ可き限りにあらず政府に納る地租とても專ら米を賣りたる代價にして四千何

百萬圓は必ず賣買を免かれざるものなり

第三今の全國の經濟の爲めに謀り此洪大なる物産の賣買は如何なる有樣にして最も利なる

やと尋るに其價をして成るべく全國に平均せしむること緊要なりとす如何となれば米作は

國中何れの地方に於ても大抵皆同樣の勞働を以て同樣の高を収穫するものなるが故に其價

を平均するは農家に幸不幸なからしめんが爲めなればなり又この價をして成るべく貴から

しむること緊要なりとす如何となれば近年は農家の衰頽甚だしきが故に些少たりとも米價

に騰貴を致すは自から救濟の一端なればなり

以上三箇條の所記事實に於て又理由に於て相違なきものとするときは今日東京米商會所の

振はずして殆んど斷絶にも及ばんとするの有樣は全國經濟の爲めに不利の甚だしきものと

云はざるを得ず國中の各地に米價の異なるは運輸の便不便、需要供給の變化に從て免かる

可らざるものなれども其相異なるや必ず本部の價を標準に立て其標準より上下するの例に

して例へば關西は大坂の相塲に據り關東は東京を本と爲し大坂と東京と相對して東京の賣

買盛なれば大坂も亦東京の相塲に從ふが如き前日の事例なりしに東京の相塲の微々たるが

爲めに今の日本國中の相塲は恰も其標準を失ふて勝手次第に自動を逞ふするが故にますま

す不平均ならざるを得ず米の賣者たる農民の不幸と云ふ可し然かのみならず東京の米商は

今の會所の事態を厭ひ盡して出入する者甚だ少く隨て其賣買の高も見るに足らざれば偶ま

二三の商人が會所に行て幾萬の米を賣買するときは忽ち所の相塲を上下すること難からず

而して會所の實こそ微々たれども其名は則ち日本國米相塲の本部なるが故に昨今東京の相

塲は云々とて之を全國に傳へて各地の相塲に多少の影響を及ぼすの事情なきにあらず斯の

如きは則ち日本國中最第一の物産たる米の相塲は東京二三商人の爲めに玩弄せらるゝもの

と云ふも可ならん商賣社會の異常これより甚だしきはなし又從前の事例に照らすに米なり

銀貨なり又公債證書諸株式にても之を相塲所に持出し其賣買盛なれば價は下落するよりも

寧ろ騰貴するを常とす故に今日の米價も米商會所にて從前の如く取引の盛なるものあらば

必ず幾分かの景氣を生ず可き筈なれども其寥々たるが爲めに今の價格に止まり無數の農民

をして米價の低きに泣かしむるとは是れ亦甚だ堪へ難き次第なり

左れば東京米商會所の寥々たるは啻に會所の不幸のみならず全國經濟の點より觀察を下だ

して不利の大なるものたるや明に見る可し然るに其會所の振はざるは何事に原因するやと

尋れば多辨を俟たず唯その税率の非常に重きが故なりと答へて明白なる可し抑も米商會所

に限りて然る由縁は前年一時の財政略に出たる事情もあらんと雖も今日に至りては最早そ

の賣買を抑制するの要なきのみならず正しく反對の不利を見て爭ふ可らざるの事實あるか

らには政府に於ても斷然舊政略を改め株式取引所も米商會所も同一樣のものとして大に減

税の處分を施し其賣買をして舊時の有樣に復らしむるは財政の急務なる可きのみ