「製造品の輸出」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「製造品の輸出」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

製造品の輸出

我日本國の輸出品は生絲製茶を以て第一とするは今更言ふまでもなきことなれども漆器銅

器陶器等其他諸般の手細工雜貨も亦决して等閑に看る可らざるものなり殊に其雜貨類の米

國に入るは非常にして日本商人が其事に當るのみならず支那人も之を輸入し米國人も亦自

から輸入する者多しと云ふ盖し日本製のものは米人の好尚に適したるか凡そ廣き合衆國中、

中以上の家に入れば必ず日本品を見ざるはなし或は直に其現品を見ざれば家具裝飾の器物

の中に其形なり其模樣なり必ず日本の風に模したるものあらざるはなし之を要するに日本

流の風致は既に米國に傳へて其社會に普しと云ふも可なり斯る次第なれば今後我國の手細

工雜貨類を賣捌くに米國こそ屈強の得意塲なれば益々其取引を盛にするは我商人の當さに

勉む可き所なれども爰に路に横たはるの困難は我職人の無状、商人の狂奔是れなり日本の

職人は技倆なきにあらず殊に其手端の働と思想風致の妙巧優美とは迚も西洋人の企て及ぶ

所にあらず實に世界中の絶倫とも稱す可きものにして之に加るに生活の程度は至て低くし

て隨て其の手に成る所の生産品も價甚だ廉なれば之を輸出して外國の好評を博し利する所

大なる可き筈なれども今日までの實際を見るに米國などへ諸般の雜貨を送り首尾能く商賣

の目的を達したる者は僅に二三商人にして他は皆失敗したる者多きは畢竟職人の無状と商

人の狂奔に妨げらるゝものと云はざるを得ず職人の技倆、巧は即ち巧なれども其働や人々

個々の働にして之を統轄支配するものなき其有樣は勇武なる兵卒に指令官なきものゝ如し

故に内外の輸出商人が何か商賣上に見込を立て職人に約條して新奇の品を製せしめ之を海

外に出して漸く彼の好評を博し漸く利を見るの佳境に入らんとすると同時に他の商人は之

を傳聞して其顰に傚ひ職人を求めて同樣の品を作らしめんとすれば職人等は其手間賃の少

しく高きか又は其製造の少しく粗にして苦しからざるを聞き忽ち之に應じて人々勝手次第

に之を造り隨て造れば隨て輸出し漸く外國の市塲を充たして漸く其品代價の低落を催ほし

一低又一落漸く利益の減するに從て内國の製造は次第に粗惡に變じ粗品山を成して内外人

に之を顧る者なきに至りて止む是即ち輸出商人失敗の常法にして多年來皆然らざるはなし

爰に一奇話あり先年或人の發意にて縮緬紙の錦繪を製して盛に輸出せしに爾來その濫製濫

出の爲めに聲價を落して絶えて取扱ふ者なかりしに横濱の外商某は其價の廉なるに乘して

頻りに之を買ひ尚ほ新に注文して曾て其繪の巧拙出來不出來を問はず唯價をば嚴しく談じ

原料の白紙よりも少しく高くするのみにて職人等の持込むがまゝに之を買取り常に本國へ

輸送する其樣子の不審なれば或日其外商の親友なる日本の一士人が事の次第を尋ねたるに

商人は笑ひながら低聲に此錦は繪を弄ぶ爲めにあらず縮緬紙の柔軟なるを利し之を本國に

送りて便所に落し紙に賣捌くものなり實は之を日本の紙屋に談して白紙を買へば更らに妙

なりと雖も扨外商が新に紙屋に約條して此種の紙を買ふと云へば品物の價は忽ち騰貴して

今の此錦繪の價よりも高きに昇る可きや必せり故に余は錦繪の職人を利用して紙屋の紙を

買ふの仲買にするのみ彼等をして殊更らに繪を摺らしむるは無益の殺生に似たれども是れ

も商賣上の計略なれば致し方なし云々の答に士人は唯驚くばかりなりしと云ふ此一話を聞

ても日本の雜貨輸出商賣の慘状は窺見る可し左れば今日此種の輸出商人は外國の市塲に賣

捌の事を心配するより内國諸職人の取纒に注意し人々個々の濫造を防て更に商賣の規模を

大にし外國人より幾萬幾千個の注文を受け又賣渡を約條するも其價を一にし其品物を同ふ

し永日の取引の間に他より狂奔者の來りて之を妨るを得ざらしむるの工風緊要なる可し其

法は資本の力に依るの外なし或は大資本家の一手を以てし或は信す可き會社の仕組を以て

して例へば陶器製造の全山を一手一會社に支配し又は漆器銅器其他の諸職人をも幾千百名

を一處に集めて至當の規約を定る等唯資本の力と管理者の氣力とさへあれば行はれ難き事

柄には非ざる可し一度び此種の組織を成すに於ては資本に對して利益を見るのみならず職

人等も恒の産を得て安く國の經濟上より見るときは今日の禍を傳して福と爲すものなれば

我輩は敢て天下の有志有力者に向て勸告を試る者なり