「歐米職工の生活如何」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「歐米職工の生活如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

(昨日の續)

獨逸の職工は三年の兵役に可惜勤勞の歳月を浪費する其上に麥酒を鯨飮するの風、大に職

工の間に行はれ是が爲めに生活の度を低むること少なしとせず千八百七十年の計算に普漏

西一國のみにて料理店十二萬軒、酒店四萬軒ありしが千八百八十年の調査に係る獨逸の戸

籍表に據れば五割五分の增加にして酒店料理店合して二十萬軒の多きに至れり左れば獨逸

人が麥酒を消費する量は婦人子供に至るまで一日平均四罎に相當する割合にして其職工は

一人として麥酒倶樂部の社員となり日々其處に集會して喫烟飮酒の夕をなさゞるはなし人

或は此言を信ぜざるものあれども獨逸人が麥酒を嗜むことは實に甚しく其職工の大半は酒

錢の拂ひ家賃よりも多きは事實疑ふ可らざる所にして彼等は一般に麥酒を流動體の食物と

稱し之を飮用するは侈奢にあらずして日用必需の食品なりと信ぜり左れば同國中の大なる

製造所にては麥酒飮用時間として午前十一時と午後四時との兩度に十分づゝの休暇を職工

に與ふる處さへあり現に南ウルテンボルグ中にて七百人の職工を使役する製造所は其職工

の爲めに一日二千五百罎の麥酒を消費すと云ふ今これを人別に割付ければ一人三ピント半

の割合にして一ピントの價を二仙半とすれば一人の消費金高凡そ九仙なり而して其職工の

賃銀を問へば平均一日四十仙に越ゆる能はずと云ふ尤も獨逸にては生活の費用伊太利より

も廉にして生計甚だ易く製造所に通ふ所の工夫は朝五時に起き珈琲と黒麺包とにて朝餐を

辨じ六時を期して仕事塲に赴き十一時と四時に十分間づゝを飮酒に費やし十二時より一時

まで食事の爲めに休み午後七時に家に歸る製造所に在ること都合十三時間にして仕事に從

事すること十一時四十分間なりとす白耳義にては勞役者の勉強一方ならず女子は勿論年若

き娘に至るまで石炭坑に入りて役を取り石炭を背にして山路を運搬し以て一日三十仙の賃

銀を得るを常とす然れども白耳義の勞役者は斯く勉強するにも拘らず其所得の大半は飮酒

と休日の游樂に費して餘りあることなし盖しこの浪費と人口の過剰とは白耳義國人が常に

窮乏に苦しむの原因たるものなり硝子製造所の職工などには一日三弗を得る者ありて此輩

は自ら一家を成すか若しくは一箇月十二弗乃至十五弗の借家住居をなす事なれども之は國

中の僅々たる數にて同國職工の所得は平均一日六十仙に過ぐること能はざるなり

〓〓の職工に至て滿足の食事をなすこと一日一回に〓まずとの事なるが他國人の固より見

るときは〓すら〓〓のものにはあらずと云へり即ち彼等は毎朝床を出づれば仕事半纏を被

るや否や直に飮食店に飛込み四仙を投じてチヨコレートと麺包を買ひ以て朝飯を濟すを常

とせり

英國の職工は歐洲中にて其所得最も多く隨て生計も亦饒かにして食物家屋ともに大陸職工

の企て及ぶ所にあらずと雖も然れども伊太利及び佛國の職工に比し其愉快幸福の度如何に

至ては未だ容易に判斷すべからざる者あり英國の職工は其所得に安んぜずして更に高賃銀

を要求し常に酒肉に飽ことを望み是れなきときは饑死すべしと思へり幸にして英國にては

生活の費用低廉なる其上に賃銀の割合高くして如何なる職工にても一日一弗の賃銀を得ざ

るものなく器械手は一弗半、蒸汽車運轉手は一弗半より一弗七十五仙を得べし水車器械の

仕事に至ては斯の如き高賃銀を得る能はずと雖も生活の手段容易なるを以て低賃銀も其勞

を償ふえ餘りあり現にヨークシヤー邊にて同業に從事する職工は皆な夫々の家屋に住居し

而も其家は煉瓦造の二階屋にして小さき玄關と内庭とを備へ家賃は一周間八十八仙より一

弗迄の間にて其外瓦斯の價一千立方ヒートにて五十四仙、石炭の價、噸買にて一噸一弗八

十仙、小買にて同三弗六十仙の入費あり而して食料は米國よりも低廉なり又た紡績師及び

織物師は一周七弗二十仙より八弗十八仙の賃銀なれば素より贅澤をなすこと能はざれども

日用必需の物品を調へて尋常相應の生計をなすこと敢て難きにあらざるなり是種の職工の

朝餐は茶、珈琲、麺包、バグ等にて時としては肉類〓卵を食ふことあり晩餐は概して牛豚

肉、麺包、バタ、蕃薯等にして一周の中兩三度は腸詰を供す家に據りては此外に麥酒或は

ジン酒の食卓に上ることあり

以上は歐洲諸國職工生活の有樣なるが米國職工社會の生活に至りては其事情大に異なるも

のあり同國にて製造の盛なる或る都府に男女老若一揃の一家族あり父は石炭坑に入りて勞

を執り母と二人の娘は水車器械塲に行て働き父は一周間七弗、母は五弗、長女は四弗、十

四歳の次女は三弗二十五仙一周間に總計十九弗二十五仙の収額なり一年平均四十八周間と

してこの一家族が一年間の所得は九百二十四弗となる而してその住居の家屋は通例密接し

たる借家の第一層に在りて五間を有し二間は凡そ十四平方英尺の廣さなるが他の三間は窓

の設けもなく何れも立籠めたる小闇き室にして尋常の寢臺すら容るゝに困却する程のもの

なり左れどもこの家は會社より特別の低價にて借受るものにて一箇月六弗の屋賃なり實は

米國にて是種の家を借れば一箇月の借料通例十弗なる可し其他米國の著大なる都府ヒラデ

ルヒヤ、ニユーヨーク、セント ルイス等に於ては職工の賃銀小都府より少しく高きが如

しと雖ども生活の費用多きを以て出入相償はずニユーヨーク府などは家賃も高く食物も高

く日用必需の物品悉く高からざるものなきを以て尋常の職工輩は人間相應の生活すら猶ほ

望み難き程の次第にて例へば家賃の一事に就てもニユーヨーク府中にて一箇月十弗以下の

ものは極めて僅少の數なるが斯る家屋は最下最劣のものにして殆んど人間の住居に堪へざ

る程なりと云ふ以て米國の職工が生活に困難なるの情趣を想見る可し  (完)