「地方制度の改正」
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本文
地方制度の改正
近來世上の風説に據れば我政府にては愈々地方の自治を實行する事に决し兼て編纂中なり
し市町村の制度は此程、脱稿を告げ既に元老院の議を經過して今回召集したる地方官會議
にも諮問濟となりたれば多少修正の上、日ならずして發布あるべしとの事なり固より世上
に傳ふる所のみにては其細目の如何も詳かならず好又多少聞得たる處ありとするも之を今
日に公けにするは我輩の敢てせざる所なれども兎に角に從來中央干渉の政略を改め市町村
内の事に至ては專ら其自治に任ぜんとするの大趣意なるが如しと云へり抑も維新以來地方
政治の變革一ならざりしと雖も其始めに當りては重もに封建の舊習を破り民心をして新に
向はしむるの主義なりしが故に其勢の向ふ所、數十百年來人民が其便益に頼りたる流風遺
俗も一切まれを破棄して遠慮せず或は曲を矯めて直に過ぎたるやの觀なきにもあらざりし
と雖も之も大變革の際には止むべからざる處置にして敢て尤むべからざるのみならず實際
に於ては其効も少なからざりし事ならん然るに其後地方の事は逐々其緒に就き制度も次第
に整頓して府縣會の開設もあり近來は益々其面目を一新したる處に來る二十三年には愈々
國會も開くの運びなれば地方の事は之を其人民の自治に任して先づ政權の本たる私權を鞏
固になし兼て中央政府が干渉の手數と費用とを省くの意ならん、事の順序に於ては斯くあ
るべき筈にして法の精神は我輩の賛成して措く能はざる所のものなりと雖も凡そ世の成法
の稱して完美と云ふものは法の自身に完美の體を備ふるにあらずしてその能く時勢民情に
適應し實際に行はれて不都合なく名實ともに並び擧るものを云ふなり實際に於て時勢民情
に適せずんば法の表面は如何に立派なりとも之を稱して完美なるものと云ふべからず維新
以來政治上の進歩は非常に著るしく國會さへも〓三年中に〓行く始末なれば今の内より人
民に自治を許して先づ其政權の鞏固を謀るは事の順序にして我輩固より異議する所なし而
も實際に行はれて其結果、〓る可きものあらば國の爲め民の爲め此上もなき美事なりと雖
も爰に熟ら熟ら事の實際を案じて不安心に堪へざるな成程二十年來日本の進歩は實に驚く
べしと雖もその所謂進歩なるものは重もに政治交際等の事にし〓〓〓を受くる者は中等社
會以上に止ま〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓など云ふ〓の〓〓〓政治〓事〓〓〓〓〓〓士〓〓の
人々が唯〓〓〓〓の〓ち〓〓したる〓〓〓〓し〓〓〓〓〓〓寒村〓〓〓〓に〓れば桃〓〓
水〓〓〓〓仙〓〓民にして〓〓の〓發に驚き繁文の繁雜〓迷ひ舊夢未だ全く醒めずして猶
ほ朦朧有無の間に徘徊し唯昔しの年貢が今の租税と改まり昔しの庄屋が今の戸長と替りた
るを知るのみ今この古人民に向て自治の事を談したれば彼等は如何なる感覺をなすべきや
唯その意外の新奇に驚くの外なからん其驚き漸く定まり、所謂自治なるものは町村内の事
を其町村内の者共が勝手に始末するの故にして昔しの庄屋、名主、村役樣の者も出來、町
村中の物識、口利と相談して事を取扱ふものなりと聞き扨は町村の自治なるものは封建時
代の町村内の取極めと差して變りのなきものならめと早呑込みに合點(、が下に)して始
めて安心することならん而して其安心の結果は如何と云ふに古來曾て私權などの考なき仙
源の人民が唯其形ちの舊時の有樣に立返りたるを喜ぶのみにして所謂地方自治なる者は矢
張封建時代庄屋政治の昔しに還元せらるゝの奇觀なかるべきか昔年曾て或る地方にては一
村の利害に關係する事に就き村内一同の連署を以て請願書を縣廳に差出したる事あり掛官
は之を請取りて其印形の處を檢(てへん)するに幾十名の姓名の下に唯數個の印形を縱横
上下に位置を替へ捺印したる者なりければ大に驚き人民を召んで之を詰りたるに同村にて
は豫てより村中銘々の印形を戸長の手許に預け置くの習慣なるより斯る事の出來したると
分り掛官は其不心得を諭したるに印形なる者は元來庄屋の手許に預け置くべき者と心得居
たるに扨ては左樣のものなるかとて人民は却て其説諭の奇なるに驚きたりと云ふ是れは十
數年前或る地方の實事談なるが今日に於ても亦僻隅の地には尚ほ其流なきを期す可らず斯
る質朴簡易なる人民に町村の自治を任したりとせば其結果の完美なること西洋諸國に行は
るゝ自治の制度の如くなるを得べきか我輩の甚だ不安心に思ふ所なり盖し西洋諸國にて自
治制度の發達は人民が其私權を守るの精神より起りてその由來する所久しく始めて今日の
完全鞏固を致したるものにして自治の制度は人民が其私權を守るの精神、旺盛なる處にし
て始めて其完美を見る可きのみ今日の日本は政治上交際上の外部に於ては著るしき進歩を
見るべしと雖も人々私權を守るの精神は至て薄弱にして質朴簡易なる人民は寧ろ文明の繁
文を厭ふて其私權を顧みざるの有樣なる其處に如何に立派なる自治の制度を施したればと
て其結果の完美なるものを見ん事は頗る困難の事にして我輩は其法の精神に於ては毫も間
然する所なきのみならず一日も早く其實行を見んことを欲するものなれども又顧みて人民
の情態を察すれば無懷氏の民に向て刑名の學を講するが如き觀なきやと窃かに心配する者
なり