「無用の人を如何にすべきや」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「無用の人を如何にすべきや」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

無用の人を如何にすべきや

前日の紙上にも説きたる如く人事不完全の社會に在りては文明の利器の作用も多數の人に

福ひせず却て一部分の專有種族に私するより不平の徒相結んで破壞主義を唱へ專ら右の種

族を斃さんとするの計畫頻りなるは西洋現在の有樣なり之に反し東洋諸國は數千年來各自

分裂して互ひに桃源の春を眺め以て今日に至りしなれば彼の西洋に行はるゝ社會主義共産

主義の何物たるやは殆んど夢想にも浮ばざるの景状たりしなれども現世紀の中頃より東西

の通路頻りに繁く、有形貨物の貿易より遂に變じて無形の思想をも交換するに至りたれば

諸々西洋流の政論を與に共に破壞主義の臭氣の如きも自然流れて東洋に入る可きこと今後

の勢に於て其無きを期す可らず特に文明の利器の働は直接に勤勞者の職業を剥ぐに止まら

ず更に間接に消費者を苦むるの事相もあらば西洋傳來の破壞主義は自今東洋に東漸するの

掛念なかる可きや我輩當世の時事を論ずる者が多年の後を憂へて爰に之を先言するは早計

なるに似たれども少しく眼界を廣めて考ふれば數十年後の星霜も决して遠しと云ふ可らず

若し萬一にも破壞主義東漸の氣遣ひあらば早く豫防の手段を運らすは今日の務めなる可し

東洋の政對概して不完全とは申せども今日までの處に於て世に專有種族の起るを防ぎ、多

數の勞力者消費者に生活の安を得せしめたる働は少しと云ふ可らず例へば支那などにて地

方の豪族荘官なる者非常に土地を占領し其權勢熾んなるが如くなれども一方に地方官吏の

壓制亂暴甚しくして豪族の威を抑へたる偶然の結果は幸に小民をして其苦みを免れしめた

る者なり日本にても之に均しく舊藩々政の下に在りては豪農豪商共に跋扈を許されざるの

みならず財産均一の策に於て各藩ともに專有種族を斃すを以て主義としたれば小民は其庇

蔭に依て偶然に幸福を蒙りたること少からず畢竟は政體不完全にして國民に財産私有の權

なきの致す所なりと雖も之が爲めに豪族跋扈の弊を矯めて不平黨の蜂起を防禦したる功用

は東洋一種の特色なる可し抑も文明の世界は優勝劣敗の活劇塲なれば貧者倍々苦んで富者

彌よ彌よ贅澤に耽る等の事相あるも怪むに足らずとするも東洋古來の習慣は之に反し強を

制して弱を扶け豪族權門の威勢を挫て庶民の究苦を救ふことを政治上一種の徳風たりしが

故に優勝劣敗自然の作用も充分に行はれず以て今日に至りしなれども偖西洋との交通開け

て文明の利器次第に其力を延ばすときは東洋特色の貧富平均法は同時に破滅せられ優勝劣

敗の作用獨り盛んにして強弱の差際限なきに至るは明白の事實ならんか近來西洋諸國に於

て生産の過溢と唱へ貨物の供給其需要に超過して空しく市塲に堆積するの憂ひあるは世人

の知るが如くにして其原因は樣々なることならんと雖も就中器械の作用、貨物の生産を容

易ならしめたる者與りて力多かる可し米人の説に同國ニユーイングランド地方(東岸)の

靴製造器械を其力のあらん限りに運轉して六箇月間に及ぶとすれば合衆國四十州六千萬の

人民が一箇年間使用す可き其靴を供給するに尚ほ餘りあるの計算なりと即ちニユーイング

ランド地方の靴製造塲が充分其器械力を張の曉には合衆國内無數の靴職人は悉く其業を奪

はれて即日衣食に究するの始末なれども幸に今日は器械力未だ充分の働を延ばす能はすし

て米國内幾多の靴職人も辛くして運命を繋ぐことなれども文明の大勢に於ては優勝劣敗の

作用今後倍々自在なる可ければ將來米國靴職人の成行も如何ならんかと窃に憂慮する人々

あるを聞けり勿論右は事の極端を想像したる話しなれば幾年の後ち靴職人の運命必ず此の

如くなる者ならんと一定の斷案を下す可らざるは言を俟たざる所なれども兎に角に器械力

の作用は勞力者に福ひせざるの一事明白なりと云ふ可し經濟の法に於て供給不足して需要

に伴はざるは悦ぶ可きの事相に非ざれども之に反して需要充分ならざるの供給のみ獨り盛

んなるは尚ほ尚ほ不都合と言はざる可らず前條ニユーイングランドの靴製造に就て之を言

ふも充分に器械を運轉し合衆國全版圖の注文を一手に引受くる者とせば製造所の利益は實

に大なることなならんと雖も尚ほ且つ一年に六箇月間は休業して其器械力を空に歸せしめ

ざる可らず然るに米國今日の實際はニユーイングランドの製造所外に各州到る處無數の靴

職人あるより見ればニユーイングランドの器械力は半ばは愚か十分の七八乃至以上までは

全くの不用に屬し僅か十中一二の力を利用するに過ぎざる者と稱して可ならん十中一二の

力を運轉する今のニユーイングランドの製造塲にして尚且つ繁昌する者なりとせば更に之

を擴張し十中の三四或は五六まで其器械を活用する利益の一層大なるは勿論なれども之と

同時に米國爾餘の職人は臨時内國に其需要の増さゞる限りは忽ち其業を失ふを免れざる可

し靴製造の一事既に然り其他文明の利器の種類は千種萬樣にして數限りあらざるに皆な此

の如く勞力者を驅逐するの塲合とならば前途經濟社會の成行は如何なるべきや掛念に堪へ

ず(未完)