「英米兩國間の平和條約」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「英米兩國間の平和條約」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

英米兩國間の平和條約

天下の奇觀とは西洋諸國今日の有樣なるべし歐洲の一方は戰爭の雲に蔽はれ露國は三十餘

萬の兵を墺地利の境に操出して將さに中原に事あらんとし墺國も之に應ずるの用意に猶豫

せず獨逸は陽に平和を唱ふるも頻りに軍備の擴張に鋭意し七十萬の増兵を一億の軍費支出

を議决し隱然墺國と相提撕して露國の強梁を制せんとする其傍に佛國は國敵深讐、寸時も

其怨を忘る能はずして獨逸の隙に乘ずるの機會を失はざれども其後に伊太利の新強國あり

所謂三國(獨、墺、伊)同盟の一にして一旦有事の日には佛國の後を追躡せんとするの勢

あり今日歐洲の有樣は實に危急切迫の秋にして識者の言に據るも戰爭は到底免る能はざる

べしと云へり斯く一方に於ては戰雲惨怛たる最中に當り我輩の落手したる最も喜ぶべき一

報は英米兩國間に平和條約の計畫ある事なり盖し平和條約とは兩國間に國際上の紛議起り

たる時に從來の如く其曲直を干戈に訴ふる事をなさず中裁法の手段に依頼し之を調停する

の工風にして年來學者の間に行はれたる宿説なり人或は今日の實際に於て其實行を疑ふ者

あるべしと雖も熟ら熟ら事の體を察するに北米合衆國は立國以來常に外國との干渉を避け

專ら國内の富安、榮盛を謀り偶ま偶ま國際上の紛議を生ずる事あるも仲和調停の法に依頼

して事端を開くに至らざるを常とせり又英國は歐洲中に在りと雖も其國際の關係、大陸諸

國と同一ならずして自ら一種特別の地位にある其上に米國とは貿易通商の關係、殊に繁多

にして且つ從來兩國間の紛議にして中裁法に依頼し無事に治まりたるの先例もある事なれ

ば今日兩國の間に平和條約の成立を見る事は决して望なきの望にあらざるなり近着の米國

ボストン府發兌の青年の友なる雜誌に左の一報を掲げたり

 英國の紳士數名は同國々會議員二百三十五人の總代として英米平和條約の事件に就き頃

日米國に到着したり總代員中には國會議員數名あり總代員長は曾て數回英國の内閣員に列

したるサー リーオン プレーフエーヤなり右の一行は華盛頓に於て大統領に面謁し國際

上の紛議に關する仲裁法を設け外交談判の調はざる時には仲裁法に依りて其紛議を調停す

べしとの意味なる意見書を呈しプレーフエーヤ氏は近代科學の進歩するに隨ひ殺人破産の

道具たる軍器の製造益々機巧を極め世界戰爭の體面將さに一變せんとする今日、仲裁法を

實行するは實に目下の急務なりとの意を陳述し猶ほ此十年來歐洲諸國にては軍費の支出、

從前の二割五分に増加したる適例をも擧げたり大統領は總代員に對して丁寧なる挨拶をな

し且つ右の仲裁法は他年一日世界各國一般に採用する事に致したしとの旨を答へたりと云

同雜誌は右の記事に就き論して曰く

斯る問題のアングロ サキソン人種の兩大國間に起り開明を以て稱せらるゝ兩國民が今の

諸強國間に終始その蹤を絶ざる國際の紛議を調停すべき平和の手段を講究せんと盡力する

は實に其處を得たるものにして其適例とも云ふべきは徃年右の兩國間に起りたるアヲバマ

事件にあり即ち兩國の一致を以て同事件の裁定を仲裁法に委し事の曲直は兩國何れにある

か、將た英國は米國に對して幾許の償金を拂ふべきかを判决せしむる事となし而して其仲

裁法廷は儼然たる一個の獨立政府の資格を以て判决をなすべき事を約したり抑も此アラバ

マ事件は久しく兩國間の爭點となり之が爲め戰爭に及ばんとしたる事も屡々なりしが茲に

到りて兩國ともに仲裁に委任する事に同意したるを以て各國の仲裁委員はゼネバに集會し

て審議の末、英國はアラバマ號及び其他の船舶が米國に加へたる損害の要償として一千五

百五十萬弗を米國に拂ふべしとの判决を下したるに雙方ともに其判决に承服し英國は異議

なく右の金額を米國に拂ひ事濟となりたるなり然るに國際紛議は决定に仲裁法を用ひんと

する説に反對する重もなる〓論の一は各國何れも其國の體面に關する事件の〓〓〓〓〓を

仲裁法に委任する事を欲せずと云ふに在り盖し他國より汚辱を蒙りたるに當り之を雪くは

唯、血を流すの一法あるのみとの説は方今各國人の服膺する所の主義にして歐洲諸國が今

日國力を盡して戰備に汲々し政府の國庫、人民の嚢裡を拂ひ盡して顧みさる其重もなる原

因は畢竟各國の人民が此説を墨守するが爲めなりとは雖も然れども又一方に於て仲裁法の

爲めに最も勢力ある説は古來戰爭をなしたるが爲め戰ひの本たる爭論の决着したる例甚だ

稀れなりと云ふ事なり數千の人を殺し數萬の金を費し國土、爲めに割かれ工業商賣爲めに

衰ふ而して其結局如何といふに戰爭の種子は全く絶えざるのみか其怨恨は却て益々深きを

加ふるに至るのみ、見るべし二百年以前佛國は獨逸の州郡を略して之を己れの領地に併せ

たれども獨逸は失敗によりて其國土を失ひたるを甘んぜす千八百七十年に至り更に勃興し

兵力を以て其の州郡を回復したり然るに佛國も亦これを安すからぬ事に思ひ今日現に再び

其州郡を侵略するの機會を待ちつゝあるにあらずや其他猶ほ歴史に據りて之を徴するに古

來永年間續きたる大戰爭にして國際の紛議を决着するに寸分の効なかりし例類は甚だ少な

からずして却て外交の談判もしくは仲裁の方法に依りて裁定したる紛議は長く其痕を兩國

の間に絶ちて平和の結局に終りたるの例を見るべし左れば徃時一個人の面目を保つが爲め

に行ひたる决鬪の歐米諸國に於て殆んど其迹を絶ちたると同樣、國の體面を護る爲めの戰

爭も其迹を絶つに至らんこと敢て望み難きにあらざるなり若し夫れ世界各國一般に仲裁法

に依りて國際の紛議を調停するの方法を採用するに至らば世界人類の幸福擧て言ふべから

ざるは勿論、もし英米兩國が世界各國に先ち其方法を採用せば世界平和の先導者たる大名

は實に萬世不朽の者たるべし

右の論中にもある如く英米從來の關係より見るも兩國間に平和條約の成立を見るは敢て望

み難きにあらず而して猶ほ其所論の如く近來歐洲諸國の軍費年々増加して政府人民ともに

其負擔に苦しむの事情は各國同一樣にして目下の情勢永續する能はざるべしとは今日識者

の通論なりと云へり勿論、歐洲目下の形勢にては戰爭の變或は免れ難しとするも厄運一た

び去りて事局全く一變すれば或は仲裁平和の説その勢力を得るに至るやも亦未だ知るべか

らざる所なり兎に角に目下歐洲の戰雲、惨怛たる其最中よりこの喜ぶべき一報を得たれば

我輩は之を紙上に譯載して讀者諸君と天下の奇觀を共にせんと欲する者なり

 本文中アラバマ事件と稱するは千八百六十五年に起り千八百七十二年に終りたる英米兩

國間の有名なる紛議にして事の起りは米國にて彼の南北戰爭の最中、南方の同盟政府より

英國のビルケン ヘツトなるレーヤド會社に注文しアラバマと號する九百頓三百馬力の蒸

汽軍艦を製造せしめ千八百六十二年五月に落成したりしが英國政府にては右軍艦の性質に

就き法律上の疑問起り一先づ其解纜を差留めんとするに先だつこと一日同艦の艦長シンム

ス氏は七月二十八日メルセー港を發し其他の南軍の軍艦と共に米國の海岸に出歿して同國

の商船に非常の損害を及ぼしたりしが千八百六十四年の六月に至り遂に北軍の軍艦ケール

サルヂ號の爲めに打破られたり千八百六十五年に至りアラバマ號の損害要償の事に就き英

米兩國政府の間に談判を開き倫敦及び華盛頓の兩處に於て數回の談判ありたるも其議とか

く纒らざるを以て千八百七十一年十二月に始めて仲裁委員會をゼニーヴアに開き英米兩國

を始め伊太利、瑞西、ブラジル諸國の委員相會して其事を恊議したれども兩國の意見容易

に相合せずして動もすれば破裂に及ばんとする事屡々なりしが遂に千八百七十二年九月に

至り右仲裁委員の裁定にて落着を告げたるなり(時事新報記者)