「歐洲の不景氣は文明の利器の反働なりと云ふ」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲の不景氣は文明の利器の反働なりと云ふ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲の不景氣は文明の利器の反働なりと云ふ

文明の利器の作用は無用の人力を省くと與に省かれたる人力は用途なきに苦んで勞力者一

般不幸の地位に陥るの其次第は前日來屡々時事新報の紙上にも記載したる通りなるが其後

ち最近の便にて到來したる倫敦タイムスにライオン プレーフエール氏のこの事實を論議

したる演説を載せたり即ち曰ふ氏は本年一月十八日セテー リベラル倶楽部の集會に於て

英國を始め歐洲近來不景氣の原因を論じ去る千八百七十三年より引續き今日に至るまで製

造事業の次第に衰退して恢復の色なきは全く器械力の作用に依る者ならんと爲したり既徃

十數年間の歳月は短からざるに千八百八十年及び八十一年の兩年度に少し許り不景氣恢復

の色合顯はれたる其外は唯打續き製造業の沈滯を見る許りにして絶て活氣を呈せざる者の

如し抑も一盛一衰は百事の免れざる所にして商賣の事と雖も時に沈滯憂鬱の時限あるは數

に於て爭ふ可らず今十九世紀の始めよりして今日に至るまで商業不景氣の期凡そ十二段落

を以て算ふるを得べく十年目に一度の沈滯は兎角に免れざりし先例なれども一期限を經由

する度に景氣恢復の沙汰を聞くこと必然なりしに去る千八百七十三年以來は此景状一變し

諸般の商業ノベツに衰退の一方にして絶て生氣を顯はさざるは不可思議なりと云はざる可

らず例へば英國に就て之を言ふに近時海陸運輸の便著しく開けたるより國内に必要なる穀

物の供給も之を全世界に仰ふぐこと容易なりたれば英國農産上の商賣は新舊相對して根底

より其趣を殊にするに至りたるは勿論なれども利害損失の談に於ては英國全體の製造事業

が差引してこれが爲めに如何なる影響を蒙むりしや未だ孰れとも斷定す可らざるなり然れ

ども去る七十三年來引續ての不景氣の原因は主として英國農業の變動に基きたるに非ざる

は予輩の信ずる所にして器械力の作用寧ろこれが主因ならん其証據を如何にと云ふに去る

八十三年以後は不景氣の波も手工國即ち器械力を使用せずして專ら手細工を事とする國々

に及びたれども其以前七十三年より八十三年まで滿十箇年間の不景氣は器械國即ち製造事

業に新發明の利器を應用せる國々に限れるを見ても知る可し試に世界の人口に就て手工國

と器械國の人口は三億なり殘る十億を悉く手工國の國民として〓三億の人口を有する器械

國の運命を如何にと尋ぬるに商業不景氣の嘆聲は到る處に起らざるなく而かも累年引續て

〓〓なきの次第とは〓く〓き事に非ずや且つ國々の政略には保護貿易自由貿易の相違もあ

れども保護國なりとて不景氣の影響を免れたる譯ならず即ち器械國の人民は平等一樣に商

業沈滯の不幸を蒙むりたる次第にして其原因の重なる者は去る七十三年以來應用理學の進

歩最も著しくして文明の利器彌よ彌よ其働きを逞うしたるに在りと云はざる可らず事實に

據て之を證するに方今世界中の鐵道延長は凡そ三十萬英里以上これに徃來する列車馬力の

數を全世界の人口に割付くるに人一人に付一箇年中十二日間餘分に馬一頭づゝの助けを得

たる勘定なりと云へり又運賃に就て之を言ふに去る千八百六十五年には若干の貨物を一千

英里の遠地に運送するには製造元の元價五割八分を運賃に支拂ひたりしに今日に在りては

僅かに二割を以て足るの計算なる由なれば例へば爰に元價一萬圓の貨物ありとして二十年

以前には之を一千英里の地に送るに運賃に五千八百圓の多きに昇らざる可らず然るに今日

の運賃は二千圓にて足るの計算なれば賣値一萬二千圓、差引き三千八百圓は全く此二十ケ

年間に減じたる運賃なり次に汽船航海に至りては石炭を省き且つ馬力を徒費せしめずして

專ら節儉經濟を旨とするの發明特に著しければ隨て運賃の減じたること鐵道の比に非ざる

は論を竢たず或は靴製造の業に於ても器械を使用するの今日と成りては徃昔手工にて之を

造りたるの時に較べ六分の五の人力を省き得たれば假に爰に三千人の靴製造人ありしとし

て其中の二千五百人は全く器械力の爲めに職業を奪はれたるに相違なからん次に耕作の器

械に就て其趣を尋ぬるに去る千八百七十三年には廣漠なる若干の土地を耕すに二千百四十

五人を要したるに今日に在りては器械的の耕作法非常に進歩したるを以て六百人の人夫あ

れば同一の土地を耕耨すること容易なり又穀物を粉碎するの器械も二十年以前には百人の

人夫を役して運轉したりしに今日の新式器械は二十五人を以て昔日の百人に當ると云へば

粉穀器械の一事に於ても人力の七割五分は既に省かれたる者と稱す可きなり(未完)