「職工の賃銀と教育との關係」
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時事新報に掲載された「職工の賃銀と教育との關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
職工の賃銀と教育との關係
左の一編は米國新聞紙の譯文にして其立論或は偏する所もあるが如くなれども賃銀以下の
諸項を數に表して示したるは參考として見る可きものなり依て掲げて本日の社説に代ふ
我輩の茲に云ふ教育とは單に學校教育の事のみにあらずして總て人間の材能の發達と殊に
人權の伸張とを併せたる意味と知るべし盖し今の歐米諸國中統計上にて下等人民の多數に
教育の能く行屆きたる國は獨逸列國に及ぶものなし然れども一たび其人民に親接したる者
は其知識の程度、案外に低くして獨逸人民の所謂教育なるものは唯文字を知るの外、他能
なきものたるを知るならん抑も人間の教育なるものは寧ろ世路經歴の間に受け得るもの多
くして學校の教育は唯人間の材能を開達するの基礎をなすに過ぎざるものなり然るに不幸
にも獨逸の政府は下等人民の間に其基礎を置く注意の行届きたるにも似ず更に進んで其上
の建築を企つるの恩惠をば與へずして人民が既に學校を卒業し正に其心智を錬磨せんとす
る肝腎の時に際し政府は其職業を奪ひ之に教ゆるに人を殺すの術(兵役を云ふ)を以てせ
り獨逸の強迫教育の結果は猶ほ園丁が薔薇の培養に從事しながら自ら其芽を摘んで花の發
生を妨ぐるものと一般なりと云ふべし
右に反して米國にては人民教育の法、完備せるのみならず政權私權とも十分の發達をなし
て遺憾あることなし世界諸國中教育自由の程度、米國の次に位するものを英國なりとす而
して廣く各國の事情を察するに其職工の賃銀は恰も其國の教育の程度と其人民の權利の屈
伸とに平行の觀を呈するものは豈に亦一奇ならずや試みに左の計算を看るべし
各國職工平均一日の賃銀
米國 二弗
英國 九十一仙
獨逸 七十二仙
佛國 八十仙
伊太利 六十五仙
露國 三十三仙半
右の表に據れば露國の賃金は果して最下底に位し伊太利は其賃銀相應に高く而して獨逸は
佛國の下にあるを見るべし
今賃銀と教育との關係を論ずるに當り英米兩國が新聞紙の〓〓と郵便の擴張とに格別の注
意をなすことを記せざるべからず千八百八十年の調べに獨逸にては新聞紙〓〓の數人口一
千に就き五十四枚米國にては同く七十枚昨千八百八十七年の調べに獨逸にては五十八枚米
國にては九十三枚なりと云ふ數の比較に於て其相違既に此の如しと雖も猶ほ其上に獨逸に
ては新聞の檢(手偏)閲頗る嚴密にして言論甚だ自由ならざるに米國にては人民の自由圓
滿にして全く左る煩ひのなき事實を參考するときは獨逸は統計上に於て其人民に文字を知
る者の多きに誇るにも拘らず其心事の活溌なるに至ては米國人民に比して三舎を避くるも
のたるを知るべきなり
更に眼を轉じて露國の有樣如何を見るに千八百八十年の調べに人口一千に就き新聞紙の數
僅かに五枚なりと云ふ即ち米國の十五分の一に過ぎざる割合なり盖し露國にて新聞紙配賦
の數、かくまでに少なきものは其條例の嚴酷なるに由るものならん伊太利は新聞紙配賦の
數露國よりも多く米國の四分の一に當る割合なるが同國にては新聞紙の發行に檢(手偏)
束なく隨て原稿檢(手偏)閲の事も甚だ稀れなりと云ふ
又郵便信書の數は不思議にも各國とも新聞紙配賦の數と殆んど同額なりとす即ち露國の郵
便局にて取扱ふ信書の數は矢張り千人の割合に就き米國の二十分の一未滿、伊太利は同く
三分の一未滿、獨逸は同く二分の一未滿、佛國は同く三分の二少餘なりと云ふ英國は近年
に至るまで郵便信書の割合米國よりも多かりしが最近十箇月間の郵便信書に係る兩國政府
の報告を案ずるに米國の方、却て其多きを見る今もし電信並に電話機の通信數をも合算す
るときは米國信書の數は英國に比して凡そ二倍の多きに上ることならん
今以上の數を表に作り各國賃銀の割合、新聞紙配賦の高、郵便信書の數及び全體の富額を
比較するれば左の如しと云ふ但表中の數字は此諸國を比較して其等級を示したるものと知
るべし
國 名 米國 英國 佛國 獨逸 伊太利 露國
賃 銀 1 2 3 4 5 6
新 聞 1 2 3 4 5 6
郵 便 1 2 3 4 5 6
富 額 1 2 3 4 6 5 (罫線略)
右の表を見るときは一國の賃銀と人民の智能とは精密に相關係するものたるを知るべし