「兵役税の實行を望む」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「兵役税の實行を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

兵役税の實行を望む

近年來我國にては民間凋弊の沙汰、喧しきを以て政府にても政費の節減に注意するやの風

聞世上に盛んなる折柄、本月十九日の官報を以て明治二十一年度の歳計豫算を公布したる

ものを見るに歳入歳出とも二十年度に比較して八十餘萬圓の増加なり世上或は之を見て案

外の思ひをなすものなきにあらざるべしと雖も今日文明多事の世界に國し内外に向て獨立

の體面を張らんとするには夫れ相應の入費を要するは勿論の事にして年月を逐ふて事の

益々繁多なるに隨ひ政費の益々増加するは勢の免れざる所なる可し唯この間に在りて我輩

の所望は事の緩急の別と國の貧富の度とを計り勉めて冗費を省いて政務の澁滯せざる樣に

注意せんことの一事のみ左れば今日政費の増加は勢の免れ難き所なれば一時に其節減を望

むも容易に行はれざることゝして扨て収税の要は其税の如何なる種類と如何なる形ちとを

問はず又その直税たると間税たるとに論なく唯天下の人心に戻らずして人民に不平少なき

を以て良しとすること勿論にして古今識者の議論も亦この旨に外ならざるが如し然るに今

我歳入を組立する所の税目を見るに地租を除くの外(海關税は例外となし)は概ね新設の

項目なるが故にとかく民心に慣れずして苦情多く就中昨年來始めて施行したる登記料及び

所得税の如きは最も新奇の目にして民心に不便を感ずるのみならず徴収の手數費用も中々

容易ならずと云ふ左れば今もし天下の人心に戻らず人民の不平を買はずして歳入を得るの

税源あらば誰れか此を捨て彼に從はざるものあらんや登記料所得税の如き廢す可きものな

らば斷然これを廢して可なり竊に我輩の所見を以てするに方今天下實に屈強の新税源あり

て然かも其収額の大なるは地租酒税の間に在るものを得たり即ちこの一種の税源とは我輩

の毎度論じたる兵役税を課すること是なり盖し兵役税の事に就ては去る明治十六年來時事

新報の紙上に數回その説を述べたれば讀者に於ても既に微意の所在を知諒せられたるなら

んと雖も事の序に聊か一言せんに現行の徴兵令に據れば戸主、官吏、學士、技術師等免疫

の特典に居る者その數、頗る多けれども設令へ戸主以下の者なればとて國民の義務たる兵

役は苟くも之を免すの理あるべからず我輩の所見にては兵役は全國兵の名の通り平等一切

何人にも特典を與へざるものとして扨て其代りに兵役税を納めて免疫せしむるの一法を設

け不具廢疾白痴狂癲にあらざるより以上は身を以て實役に服するか金を以て役に代ふるか

兩樣の中必ら其一方の義務を負擔せしめんと欲するものなり夫れ既に兵役は國民の義務に

して苟くも免るべからざるものなりと雖も今の人間の常として之を忌避するの情あるも亦

止むべからざる所なれば若しも身親ら其勞に役せずして其義務を果すの工風あらば實役に

服することを忌避するの人民は喜んで之に從ふことならん我輩は茲に人民が兵役を忌避す

る等の不詳なる語を用ふる事を欲せず即ち今の人民は喜んで兵役税を納めんとするものな

りと云ふのみ今この法によるときは一方に於て人民は兵役の義務を盡して遺憾なき其上に

一方にては天下の人心に戻らずして然かも莫大なる税源を開くものなれば國家の慶事これ

に過ぐるものあるべからず昨年來實行したる所得法、登記法の如きも畢竟は國の税源に乏

しきより人心を犯し手數と費用とを憚らずして止むを得ざるに徴収するものならんなれば

一方に斯くも便利にして莫大なる税源ありとすれば彼を捨て此に從ふ事に於て何の憚る所

あらんや抑も兵役税の議論に就ては我輩は既に其底薀を盡したりと信ずるを以て今更こゝ

に重複するを要せざるべしと考ふれども唯云々の税源ありといふのみにて其數を示さゞる

ときは論據の聊か空漠たる嫌ひあるに付試みに其概算を掲げんに明治十八年の調べに全國

にて二十歳に相當する壯丁の人員は總計三十四萬一千七百二十七人あり此内より現役人員

二萬二千三百七人と除役五萬二千八百五十八人(十八年度の除役は五萬二千八百五十八人

なれども前數年度の同人員を見るに一萬以上に過ぎたることは甚だ稀れにして十八年度の

如きは寧ろ例外とも云ふべきものなれば現役除役を差引の殘り人員は例年猶ほ多數なるも

のと見て可なり)を除き殘り二十六萬六千五百六十二人は即ち兵役に服すべき義務ありて

之に服せざるものなれば實役に服せざる代りに兵役税を拂ふものと見做し兵役税一人十五

圓とすれば三百九十九萬八千四百三十圓、三十圓とすれば七百九十九萬六千八百六十圓な

りその一人何圓を以て程度となすやは暫く別問題となし兎に角に其額は决して僅少のもの

にあらず况して前論の如く苟くも日本國民たるものは戸主官吏等たるに論なく總て兵役に

服するの義務あるものとするときは兵役に相當する壯丁の數も亦益々増加し隨て兵役税の

額も増加することならん今假りに前の計算により二十六萬六千五百六十二人の數に就き一

人に十五圓つゝの兵役税を課し其収額三百九十九萬八千四百三十圓は今の所得税の豫算百

一萬二千三百七十六圓と免許及手數料(之は重もに登記料の収額なりと知るべし)二百十

一萬五千七百六十九圓合せて三百十二萬八千百四十五圓に超過すること八十餘萬圓なり我

輩は今回廿一年度歳計豫算の公布あるを見て更に兵役税の宿説を反覆するものは政府が早

く此新税法を實行し民間にて不便とする所得税、登記法等は無論その他都て錯雜なる小税

目を全廢し以て官民の簡便を謀らんと欲するの微意のみ