「名を好むの熱慾を節す可し」
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時事新報に掲載された「名を好むの熱慾を節す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
名を好むの熱慾を節す可し
家康將軍曾て大坂に在りしとき一日その諸子を携へて城の天守閣に上り諸子に向ひ汝等の
中この閣の頂上より飛下るものあらば望みの品を遣はすべしと戯れけるに何れも愕然とし
て返答に當惑の折柄、末子某猶ほ幼年にして傍らに在りけるが某こそ唯今立派に飛下りて
御覧に入れ申すべし就て父上に一つの願ひは一日なりとも將軍職を不肖に御讓りありたし
との言に家康コハ面白し然れども今この頂上より飛下るときは一身韲粉になるべしといへ
ば夫は固より覺悟の前にて候、人間の命は百年にして將軍の名は萬代なり一日にても其名
を辱ふすることを得ば身の韲粉は顧みるに足らざる所に候と答へたりと云ふ某の一語は封
建武士の精神を直接に言ひ顯はしたるものにて古今史家の傳へて美談となす所なるが抑も
日本の武士には古來好名の念、甚だ盛んにして進退死生、一に名の爲めならざるはなく武
士一生の心懸は唯その名を汚さゞるにありて「命より名こそ惜けれ武士の道に代ふべき道
しなければ」の一首は恰も能く日本武士の精神を言明したるものと云ふべし盖し群雄四方
に割據して互に祖宗百戰の地を攻守し日々戰塲に相見るの日に當ては名を惜み死を潔ふす
るは武士道の當さに勉うべき處にして敢て間然する所なしと雖も我輩を以て之を見れば日
本武士が名を好むの念は時として名の爲めに實を忘るゝの極端に走るが如き弊はなかりし
かと思はるゝ其次第は例へば歴史上に武士の鑑たる新田楠諸氏の如き人々さへも酷評する
ときは或は名の爲めに一身の死を潔ふし却て天下の重きに任ぜざるやの嫌ひなきにあらず
我輩は固より今日に居て漫に古人の行爲を非難せんとするものにあらず古の武士が國の爲
め君の爲め其生命を惜まずして身は吉野の花と共に散るも潔き名を後の世に留めたる其芳
蹤は歴史上の偉觀として今に欽慕、措く能はざる所のものなれども唯その好名の念が後の
士人の腦髄中に遺傳して今の文明世界にその躅を發するに至ては聊か一言なき能はざるな
り竊に案ずるに今代讀書士人の多數は所謂武士の末流なるを以てその遺傳教育の然らしむ
る所か好名の名殘りとかく懷に忘れ難く時としては虚名に泥みて實利を後にするの迂談な
きにあらず二三の朋友相會し談論漸く熱して事、朝鮮の關係に及べば忽ち扼腕切齒して鴨
緑江横絶すべしと放言し隣國の交〓を説けば輙ち曰く露國討つべし、支那征すべしと而し
て其〓力の如何と内治の如何とは措て問はざるもの多きが如きは畢竟名を好みて身を惜ま
ざるの精神に外ならず其他國會の請願と云ひ政黨の團結と云ひ漫に狂奔熱走して却て衣食
の計を忘るゝの類、結局何の爲めなりやと云ふに多くは名を好むの一點に外ならずして一
時は客氣甚だ盛んなるも漸く火の手の衰ふるに及べば忽ち秋風の身に切なるを覺え氣力な
きものは衣食の計に盡きて膝を斗升の俸給に屈し粗豪なる者は激して詭變の徑に陥り以て
其身を誤るもの少なからず昔しの武士は名の爲めに死して芳を史上に留め今の志士は名の
爲めに貧して臭を世間に流すものと云ふべし但その好名の害をして其人一身の失敗に終ら
しむれば文明世界の奇觀として一笑するも可なりと雖もその氣風既に一世の好尚を成すに
至ては害の及ぶ所决して少々ならず今日、日本に於て實業の振はざるは識者の患ふる所に
して其原因は種々樣々なる中にも士人の輩が虚名を好みて實利を後にするの氣風、重もな
る原因のその一に居ることなればこの氣風を一變することは今日の急務にして教育の組織
を改むる等その工風一にして足らざるべしと雖も第一には士人自ら反正の念を起して假令
へ名を好むの心を斷たざるも之を節することは肝要なる可し斯く云へばとて我輩は好名を
非とするものにあらず時としては名を好んで實を得ることなきにあらず况して商賣の事な
どに於ては名を知らるゝこと亦大切にして新聞紙廣告の必要なるも名を知らるゝが爲めな
り好名の事、决して輕視すべきにあらずと雖も文明流の好名は實を欲するが爲めにして徒
らに實なきの名を好むものにあらざるに然るに昔しの武士の子孫たる今の士人の好む所は
之に異にして實なきの虚名なるが故に我輩の勸告を要する所以なり昔しの淡泊なる武士の
行爲すら今日より之を見れば唯名の爲めに身を潔ふし却て天下の重きに任せざるやの憾な
きにあらざるに何ぞ况んや今の多事繁劇なる文明世界に於て虚名の爲めに其身を驅らんと
するに於てをや我輩の傍觀に堪へざる所なり試みに問はん文明の世界に於て一日の虚名と
百年の實利と孰れか貴重なる我輩は天守閣を飛下るの勇氣を轉じて百年の利益を収めんこ
とを勸告するものなり