「眞成の政治思想を養成すべし」
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本文
眞成の政治思想を養成すべし
日本にては近年來政治の思想大に發達して人民政治に參せんとするの議論盛んに起り府縣
會も既に開けて來る明治二十三年には愈々國會の開設あるべしと云ふ實に盛んなる事にし
て官民の滿足この上なかるべしと雖も然れども若しも國會開設の後に至り人民が國會に於
て議したる事を政治上に實行する事ともならば取も直さず人民の智識を政治上に顯はすも
のにして其政治は恰も人民の智愚を代表することなれば國會後の人民たるものはその心懸、
容易ならざるものと覺悟せざるべからず扨て日本にて近來政治の思想發達したりと云ふそ
の思想は如何なるものなるか又人民が政治に參せんとするその本心は何れの邊にあるか若
しも今の人民が眞に一心發起して銘々の私權を守らんとするの精神より政權に參せんとす
るの决心ならば我輩に於て滿足の至りなれども今日民間に流行する所の政論の有樣を窺ふ
に左る深き因縁ありとも見えざる其次第は年來我國に政論の流行を始めたる其流れの源は
何れの方角より來りたるやと問ふに所謂世の政論家なる者の首唱に出でたるものにして扨
てその政論家なる者の素生を尋れば多くは舊藩士族の末流にして曾て一度は主治者の地位
に立たるか否らざるも自ら其遺風を帶びたる人々ならん抑も舊藩の士族なるものは取も直
さず時の主治者にして百姓町人を視ること奴隷の如く公けに又私しに之を輕蔑して一等下
りたる人種となし甚しきは之を虐げて其私權を犯したる人々なり既に人の私權を犯して顧
みざるものは私權の貴ぶべきを知らざるものなり私權の貴ぶべきを知らずして却て政權に
參せんとする其本心は如何と云ふに此流の人々の所謂政治思想なる者は元來特發のものに
はあらず祖先傳來のものゝ變形に過ぎざるが故に國會開設の曉には宿昔青雲の志を達し假
令へ閣上に〓(こう・自の下に三に縦棒+羽)翔して濟民の任に膺る能はざるも錦衣玉食
故郷の父老に誇るの功名心なきにあらず結局己れ自ら政治の壇上に現出して技倆を試みん
とするの念盛んにして私權云々の事に至ては却て心に關せざる者も多かる可し元來國會を
開て人民に參政せしむるの趣旨は長く政權を少數人の手に委して腐敗偏倚に陥るの弊を防
ぎ以て人々私權の安全鞏固を謀ることなるに實際の成績然るを得ざるに於ては國會の効能
も左まで頼母しきものにあらざるが如し然らば則ち國會に出席して政治に參する者は如何
なる人民にして始めて可なるやと云ふに從來私權を犯すの〓〓に在りしものよりも常に之
を守るの要用を感したる種族の中に就て之を求ること當然なる可し盖し私權を守るの念慮
は貧者に乏しくして富者に盛んなるが故に國會員には富豪の平民曾て私權を犯されんとし
て幾分か其防禦に苦しみたる者を擇び始めて政治上の權力に平均を得べければなり今人の
考に舊藩の時代には人民の私權全く蹂躙せられて無きが如き有樣なりしならんと思ふ可け
れども實際に於ては自から其中に踰ゆ可らざるの限界ありて事の甚だしきに至れば當時の
平民卑屈なりと雖も决して之を默々に附することなし例へば民財の一事に就て之を云はん
に舊藩の政廳にて何か事を生じて臨時の費用を要するときにも増税の事は容易に之を云は
ず先づ御借上げと稱して士族の定祿を削ること今の官員の減俸の如くして政廳自から節す
るの實を示し次は用達の町人より金を借用し尚ほ足らざる時に至りて始めて御用金に及ぶ
こともあれども増税などの沙汰は極めて稀なるの例なりき即ち當時の政廳と雖ども民財の
權利は妄りに犯すべからざるの勢あるを理解し人民も亦自から之を守るの精神に乏しから
ずして事の極端に至れば一揆騒動の事變さへ少なからざりしは封建の暴政必ずしも暴なる
を得ず其下民の卑屈必ずしも卑屈ならずして自から其間に守る所のものありしの實を見る
に足る可し左れば今日に至り愈々私權を守るの道理を明にして之を實際に施さんとて國民
參政の權を主張するの説は此種族の中より起るこそ相當の順序なれども若しも然らずして
實際に私權の思想なき武士の末流種族に限り却て參政論の盛んなるあるが如きは本末顛倒
したる奇觀と云ふべし國會の開設甚だ好し人民の政治思想須らく養成すべしと雖も我輩は
國家永遠の大問題に本末顛倒の説の行はるゝことを欲せざるものなれば更に其本に反りて
元來私權を守るの地位に在りし種屬の人々をして益々自身自家の權利を擴張し眞成の政治
思想を以て國の大事に參與せしめんこと冀望に堪へず之を再言すれば今度の國會員たる者
は官途社會の人物又は都下に出沒する士族書生流ならで純然たる地方の富豪紳士を擇ばん
ことを祈るものなり