「歐洲國際の關係」
このページについて
時事新報に掲載された「歐洲國際の關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
歐洲國際の關係
(前號の續き)
露國大蔵大臣ビシネグラズキー氏が此程露帝に進奏したる本年度千八百八十八年の財政豫
算表を見るに出入計各八億八千八百萬ルーブルこれを前年度に較ぶるに歳入に於て五千八
百五十萬ルーブルを增加したり尤も此中には本年度収支の償はざる所あらんことを察し昨
年の春を以て募集したる四朱利附公債一億ルーブルの内二千六百萬ルーブルを臨時歳出の
費用に充て出入収支過不足なきに至りたるは露國財政の紊乱したる以來數十年の歳月間に
於て本年實に其始めなりしと云へり隨て大藏大臣の豫算徒に紙上の空文たるに止まらずし
て實地此の如くなるを得ば財政の整理これよりして庶幾〈ねが〉ふを得可しとて世人漸く
望みを屬するの今日突然巴里の市塲に於て三億ルーブルの外債を起さんとする露國政府の
考は何れの邊に在る者なりや疑はざるを得ざるなり倫敦タイムス或はエコノミスト等の説
に於ても露國が昨今別に臨時公債を募るの必要なきに俄に斯る計畫を爲す所以は戰爭準備
の爲めなることなかる可きやと皆不審を挾まざるなし特に露國が露領、ポーランドの守兵
を增し昨年の十二月前後より巖寒積雪をも顧みずして兵舎陣榮の建築を急にすること甚し
く陸軍省に於ても無數の軍馬を購買し其他軍器彈藥の準備にも怠りなしなど云ふ諸般の警
報一として人の視聽を牽かざるなき其中にも露國の兵師中最も精練にして且つ最も勇猛の
聞あるカウカシアン軍隊(其數五萬餘人)は特命に依り墺地利の境界に進發を命ぜられた
りとの一事驚く可き者の如し左れば露國も萬已むを得ざるの事情に會し斷然干戈に訴へん
とするの决心たること明白なりと雖も爰に又た露國の爲めに恕すべきの次第ありと申すは
外ならず獨墺佛伊の諸國に在りては鐵道の便東西に相通じ出師準備を爲すに於ても一たび
號令を傳ふれば一週日を期して兵師を戰塲に送ること難からず軍制の整頓此の如くなるが
故に縱令へ窃に開戰の覺悟あるにもせよ表面には故さらに無事太平を裝飾し優悠爲す所な
きを示すを得可しと雖も露國は之に反對して國内鐵道の便も他の列國に及ばざるは勿論、
出師準備の規模すらも未だ全く整はざるの今日なれば假りに一隊を動し一營を造るの小事
にても直ちに外間に洩れ易く曰くワルサウ地方に兵舎を建築したり曰くガリシヤの境に何
千の精兵を派出したりと一擧手一投足悉く獨墺諸邦の耳に傳はり新聞紙上、大袈裟に之を
吹聽して露國は明日にも開戰を布告せんとするの形迹なりと左も事實らしげに見ゆれども
露國は開戰の决意如何んに係はらず豫め早く出師準備を爲し置かざれば突然獨墺の諸邦よ
り戰爭を挑まるゝの期に迫り倉皇狼狽の憂へあるが故に數月前より徐々に兵を南彊に送り
其不虞に備ふるは抑も抑も勢いの已むを得ざる者なりと云はざる可らず世人の言に歐洲戰
爭の張本は露の一國なり墺地利は自ら好んで危地に近く者に非ず獨逸とても故なきに師を
興す気遣ひなければ歐洲の和戰は露國の擧動一ツにて定まる可しと云ふ者あり一應其理な
きに非ざれども然れども他の一方より考ふれば墺獨の諸邦徒らに時日を遷延せしめて姑息
の平和を買はんとする其間に露國は出師準備を完うし、事あるも驚かざるの地位に至るは
必然なり是れ獨墺諸邦の不利とする所にして一日も早く露國出師の準備整はざるに先ちて
其虚を衝くの得策なるは諸邦自ら悟らざるの謂はれなし再言するに戰爭を速むるは獨墺二
邦の利なれども之を遲々するは露國の利なるが故に爰に露國の爲めに其政略を畫くとすれ
ば務て表面に平和を裝ひバルガリヤも爭はず土耳古にも垂涎せず伯林條約を遵奉して聊か
も獨墺二邦の利益を犯さざるの形迹を公けにし傍ら窃に兵を聚めて人の意表に出るの計大
切なるは論を竢たず其他三億ルーブルの公債を巴里に募らんとするの點に於ても始めより
開戰の覺悟を示し軍費として之を募るの状を顯はすは得策ならず即ち露國が今日に於て出
來得る丈けの平和を飾るは金融市塲に信用を買ふの一手段なる可しとて歐洲の新聞紙は露
國外面の和親手段に信を置く者甚だ稀れなり且つ露國に於て内々軍費の支度あるに於ては
獨墺の二邦も劣らず其備を爲さざる可らずと云ふの决意か獨逸に於ては本年度陸軍豫算の
臨時支出に供せんが爲めに二億七千萬マルク(一マルクは金貨廿五錢)墺地利に於ても同
じく兵備擴張の目的を以て一億フロリン(一フロリンは金貨四十錢)の國債を議院に要求
するの議ある由なれば三國競爭して兵を張るの其結果は如何に成行く可き者なるか掛念に
堪へず (未完)