「佛蘭西人の言借用す可し」
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時事新報に掲載された「佛蘭西人の言借用す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
本年三月二十三日時事新報の商話欄内に佛國商人の獨立と題して其文に曰く
コルベル氏は佛國有名の政治家にして曾てルヰ十四世に仕へ大藏大臣に任じ專ら佛國の 財政と整理改良したるの人なり氏が始めて財政管理の任に登りたる時、全國中の重なる 商人を呼び聚め之に親交を結び併て其信用を買はんと欲し「君等の爲に豫は如何なる事 を爲す可きや」ト尋ねたるに商人は異口同音に答へて曰く希くば閣下何事も爲す勿れ、 吾々は隨意に我事を行ふを望む者なり
讀者は此一話を通讀せられて如何の感を爲したるや事は遠き佛蘭西の話なれども商賣の利害は世界萬國一樣にして佛の商賣に利なることは日本の商賣にも亦利ある可し彼れに害あるものは我れにも亦害なるを得ず抑も政府の筋にて民間の商賣事業に干渉するは時として利益なきにあらず稀には其成跡の美なるものも見る可しと雖も一國の全體に眼を着けて其利害得失を差引勘定すれば妨害多くして利益少なきは蔽ふ可らざるの事實なるが故に政府たるものは寧ろ何事をも爲さずして商人の自由に任せ其私の隨意に運動せしむ可しとは文明諸國一定の主義にして佛蘭西の商人は即ち此主義を明言したる者なり我日本國にても維新以來政府より民業に干渉したるもの甚だ少なからず或は禁じ或は勸め或は資金を貸し或は勢力を附與し所謂御用商人御用會社の出沒興廢甚だ賑はしきことにて之が爲めに時としては事業の興りたるものもあり又大に富を致したる人もあり其局部を見れば成るほど美なるが如くなれども日本國を一家と見做し其一家の損益より考えれば得る所を以て失ふ所を償ふに足らず精密に計算したらば維新以來の所損は莫大の數なる可し今我輩の記臆に存して其利害の著しきものを擧れば第一三菱の郵便汽船會社が政府より毎年二十五萬圓の補助を受けて滯りなく業を營む折柄、政府は之に滿足せざりしにや更に共同運輸會社の創立に付き大に之に資金と勢力とを假して日本に汽船の二大會社を併立せしめ夫れより双方の競爭と爲り一轉して合併と爲り其際に金を費し人を勞したることは非常にして扨今日の日本郵船會社は如何なるものぞと尋れば其用辯は舊三菱會社に比して少しも〓〓〓〓〓のみか三菱の時代には香港への往復もあり〓〓〓〓上海までに限り而して政府より援る補助は〓〓〓の二十五萬圓を增して八十八萬圓と爲り差引毎年〓十三萬圓の國庫歳出を生じたるに過ぎず故に共同運輸〓〓の〓立は今日より是れに歳出を增すの〓介にして郵船會社の株主も左まで香しきにあらず唯彼の合併のときに運輸會社も三菱會社も其所有物を十分なる價に賣渡して意外の災難を免かれ又意外の幸福を得たることならんのみ第二は十州鹽田會の事にして是れも鹽業の利益ならんとて中國四國十州の鹽業者を同盟せしめ製鹽の時を一年中六箇月と定め品物の供給を減して價格を維持せんとの趣意にて其規約を公認して背く可らざるものを爲したりしが扨その實施に當り讚州地方の鹽民は迚も此規約に從ふを得ず枉げて之に從はんとすれば即日より衣食を失ふて生活の道なしとて苦情百出民情甚だ穩ならず其規約を破れば忽ち咎められて隨て破り隨て咎められ數萬の貧民は製鹽の手足を空ふして途方に暮るゝ折柄、去年の冬に至り其筋よりの内達に製鹽六箇月とあれども此營業期節制限を定るに未だ十分に調査せしものにあらざれば尚再〓までは云々とて其規約の實施は中止の姿となりたり然るに最初讚州の鹽民は規約に背きたりとて鹽田組合の本部より出訴に及び讚州鹽民の敗訴と爲りたるが故に被告の鹽民は原告たる本部に莫大なる償金を拂はざる可らず左なきだも正に飢寒に迫りたる小民が今日償金などゝは思ひも寄らぬ次第なれども法理は則ち法理にして誣ふることも叶はず實に當惑至極の有樣なり第三はブールスの一條とす一昨年來世にブールスの説起り今の日本の相場所は甚だ宜しからず西洋にはブールスてふものあるが故に其例に倣ふ可しとて喋々する折柄、政府にても現在の相場所を不完全なりと認めたるにや去年五月十四日取引條例を發布し其箇條多き中にも之を舊相場所の規則に照らして異なる所は從前の相場所は株主を以て組織したるに新條例は其名を改めて會員と爲し會員仲買各各其業務を異にして共に取引所内に賣買する事とし其賣買の方法に至りては大に現行相場所の取引法と相違して物品は必ず見本を以て賣買せしむる事、又その見本に就て賣買する所の物品は都て入札法、〓賣法及び相對賣買に限る事、曰く賣買契約の方法は諸書に記名調印す可し曰く轉賣は許すも買戻は否らず等何れも新舊大に異なるの諸點にて其條例の精神を問へば今の相場所たる其組織並に賣買の方法とも實品の取引を爲して正當の商賣を盛にするに不適當にして其弊たる投機一方に偏するとの意味より生じたるものゝ如し此事に付ては昨年中も我輩が毎度筆を勞したる如く相場所の氣風の高尚なると卑賤なるとは之を支配する法の精粗に在らずして之に出入する人物の品格に存するものなれば實法のまゝにても其足らざる所は徐々に改正を加へて人品自然の改進を待つ可し若しも然らざるに於ては假令へ新法の美なるあるも人の爲めに其法も行はれ難く成跡に至りては新舊差したる相違なきを見るならんなど論じたることもありしかども不幸にして鄙見も行はれず遂に前條の如く取引所條例の發布に及び昨年以來取引所創立委員なるもの所在に起り政府の筋に於て起草したる所謂取引所規約標準案を標準として從來取引の實際と新法に對照し種々討議したれども何分にも正面の新法の通りにては實際の取引覺束なしとて論議百出を越えて猶ほ創立を見ること能はず遂に此標準案に創立員の意見を附して其筋に提出したる者ありしに此頃農商務省にては大率ねその意見を採納して米穀に限り當分の内は銘柄に依ることを得、又た賣買法は更らに競賣買を爲すことを得せしむる等取引所の爲めには餘程便利を增したりと云ふ抑も今日相場所の取引方法に首要の點を數ふれば米穀に所謂建物なるものを定め、立會法を以て其賣買を約し之れを庭帳に記して賣埋又は買戻等日々十數回の多きに登り、其損益決算は時々會所に於て行ふ、の四要點のみなるに新條例は之れに反して全く此四者を許さず、許さゞるを以て荏苒今日に至るまで猶ほ創立を見るに苦みしものなる可し然るに彼の取引所創立委員より提出したる所の取引所規約標準案意見に對する農商務省の指令は右等の要點に就き漸く寬大を致して多少の餘地あるが故に今後尚ほ又實際の要用に迫られて次第次第に其餘地を擴むるときは新法の精神も漸く趣を變して商人等は新法の表面に從ひながら隨分舊來の取引を行ふに差支なきの奇相を見ることもある可し若しも然るに於ては新取引出來したりと云ふまでにて其實は第二の相場所を作り株主變じて會員たるに過ぎず唯此際に意外の災厄被りて倒産する者は舊株主仲買の一類にして其餘波の及ぶ所甚だ廣く以て商賣社會の變動を生ずるに足る可きのみ
曩には三菱共同兩汽船會社廢して日本郵船會社起り、十州鹽業者の同盟中止して一大訴訟と爲り、今亦從來の相場所倒れて新相場所起らんとす、汽船會社の興亡、十州鹽田組合の存廢に就ては其利と不利と世間衆人の明知する所にして我輩は今更過去に遡りて無益の詮議を爲すを好ずと雖も獨り取引所は今日未だかの實見ずして恰も興亡存廢の中途に徘徊するものなれば進退〓後ともにその意の向ふところの儘なる可し進みて新取引所に達するも退て舊相場所に歸るも異名同事かの賣買の方法に至りては前節に記述するが如しとすれば其名を戀ふて其實を忘るゝ事なく進退運動暫らく商人の自由に任せ爰に佛蘭西商人の言を借用して閣下何事も爲す事なく先づ從來のまゝに差置き彼より薄るの時を待つこか我輩の切に當局者に希望して措かざる所なり