「歐洲國際の關係」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「歐洲國際の關係」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

歐洲國際の關係

(前号の續き)

獨逸の政略は強ち墺國を疎んずると云ふに非ざれども去迚之が爲めに露國との戰端を開く

も亦拙策なりとの考へにや中立不偏の主義を執り獨墺兩國の間には既に秘密盟約の關係あ

るにも拘はらず露國に向てはバルガリヤに對するの要求を容れ以て其歡を買はんとするの

手段なること前號に於て粗ぼ其次第を述べたり左れども右の論たる局外者想像の鄙見なれ

ば或は事の實際の外るゝ處なかる可きやと聊か不審にも存したりしに最近の便に依りビス

マルクが二月六日兵備擴張の議案を提出するに當り議塲に於て自ら述べたる演説の筆記を

得、彌よ彌よ前想像の誤まらざるを確めたる想ひあり即ち其演説中バルガリヤ事件に關す

る一節に

 前略露國の新聞紙若くは又露國の公議輿論なる者概ね皆我獨逸に反對するの事實は兎も

角も吾人は之を怨みとして露國條約上の權利を認識するの務めを怠る可らず千八百七十八

年露國が伯林の會議に於てバルガリヤに對するの權利を獲たるは明白の事實にして去る八

十五年までは他の列國も露國に右の權利あるを認識したりしに非ずや予は始めより露國の

爲めに其權利を保護するに盡力し、現に伯林條約にまで記名したる一人なれども今に至り

露國權利の有無に關し彼れ是れ疑團を挾む可き所あるを覺えず抑も伯林會議の議决に於て

は露國が東ルウメリヤに對するの政略を放棄し之に分離を許したるの報酬にはバルガリヤ

に於ける首席の權力其手に歸す可きこと正當の順序なりとして衆論一致不同意なく其後千

八百八十五年に至るまでは露國自ら皇族中の近親者を擧げてバルガリヤの君主と爲したり

然り而して露國の爲めに擧げられたる君主其人が露國の政略を扶けずして却て他邦の爲め

に二心の擧動は實際に有られ得ざる話しなれば露國がバルガリヤに對するの權力は他の列

國に擢んでゝ苦しからぬ筈なり左れば其國の陸軍大臣をも自撰し且つ官吏の大半をも任免

し實際に於て露國のバルガリヤを支配したるは明々白々の事例なりしにバルガリヤ人中露

國の束縛に甘んぜずして事を企てたるより露國は兵力を以て強迫手段を施行するに至りし

なり(千八百八十五年バルガリヤと露國との粉擾を云ふ)偖又露國が當時に於て強暴の手

段を用ひたりしは我輩の决して嘉せざる所なれども然れども此一事を以て露國の伯林條約

に獲たる權利を動す可らざるは論を竢たず(中略)殊にバルガリヤはダニユーブ河とバル

カン山との中間に挾まりたる一小州土なるに斯る些末の爭ひにてモスコー府よりピレニー

山、北海よりパレルモアまで全歐洲の土壤をして修羅の戰塲たらしむるは實に實に惜む可

きの至ならずや小事の爲めに大事を誤まり惨毒言ふ可らざるの亂を釀して漸く其亂の鎭ま

る頃には列國初めて酔夢を醒し、茫然何故に無謀の戰を挑たるやを知らざるの奇談もあら

んなれば是に至りて予(ビスマルク自ら云ふ)は敢て公言すべし曰く我輩は露國の輿論就

中新聞紙の爲めに不信誼の待遇を蒙むりたれども一切之に頓着せず將た彼れ再びバルガリ

ヤに其威權を延ばさんとするの策に關し外交上如何なる手段を取るにもせよ我は又之に對

し外交上我援を假すことを拒まずと、即ち再言すれば露國がバルガリヤに對するの位地を

恢復せんが爲め公然我に後援を求むるの塲合には予は進んで我皇帝陛下に露國の請求を容

れ給ふの得策なる旨を上奏せんと欲するなり是れ我國が隣邦に對し條約上其信を守る可き

の必要手段にして特に歐洲社會の秩序若くは又立君の制度に反對する政敵を攘ふが爲めに

は兩國の親交を密にするの要用論を竢たず云々

ビスマルクが内心に懷く所の主義政略は姑らく問はず唯前條演説の旨趣に依て解するに露

國はバルガリヤに對して威力を伸ばすの權利ある者なり外交上の手段ならば伯林條約の精

神の許す限り何事にても獨逸は露國の爲めに後援するが故に早く公然其旨を我れに通知し

來る可しとて恰も其來談を促す者に似たり將た夫れのみならずバルガリヤは〓爾たるダニ

ユーブ河邊の一小土のみ斯る小土の爭ひより全歐洲を擧げて亂離の巷たらしむるは得失經

濟相償はざる話しなれば寧ろ之を放棄し露國の爲すが儘に任す可しとの底意なる如くにも

聞えて我輩の疑ひ彌よ彌よ深からざるを得ず畢竟獨逸がバルガリヤに對する利害の因縁少

きの致す所ならんなれども之に反して墺地利の首相カルノキー〓牙利の首相チザーの二氏

は徹頭徹尾露國の威力をバルガリヤに伸ばさしむ可らずと云ふの意見を有しフエルヂナン

ド公存廢の論に就ても始めより原被兩造の地位に立つ者は實に墺露の二國なること人の能

く知る所なり即ち墺國政治家の論ずる所は最初伯林の會議に於て全權委員多數の人はバル

ガリヤの新小國或は遂に露國の屬庸たるに至る可しと考へたるの相違なからんなれども後

ち露國は自家の失錯(千八百八十五年バルガリヤを併呑せんとして成らざりし事を云ふ)

にてバルガリヤに對する正當の權利を失ひたるの今日再び奸計を運らし其威力を恢復せん

と計るが如き、若し其事成るとすれば墺地利〓牙利の利益を害する之より甚しきはなかる

可し我輩は露國が一小州土に其威力を伸ばすを以て是なり非なりと爲す者に非ず只縱令へ

些細の事とは云へバルカン半嶋に露國の侵掠を許すの擧は苟めにも默視す可らずと斷言す

るなり彼れ今年バルガリヤを併せて明年又ルウメリヤに埀涎せば墺國は蕭牆に敵を受くる

の危險にも陷る者なるが故に露國の南侵を看〓す可らざるは勿論其他歐洲中如何なる國な

りともバルガリヤに專斷の威を振ふは爭亂の端を開くの始めなればバルカン半嶋の獨立實

に全歐平和の大本なりと云ふに在るなり是に依て之を見れば墺國が露國バルガリヤに對す

るの權利は今日既に消滅したりと云ふの説とビスマルクが、然らず、此一小事あるを以て

伯林條約の認許したる露國の權利を動す可らずと云ふの論とは今後互に撞着して二國の間

其政略を殊にするの端緒たるなかる可きや我輩の憂ふる所なり  (未完)