「日本の美術及び衣服」
このページについて
時事新報に掲載された「日本の美術及び衣服」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
日本の美術及び衣服
ドクトルセメンズ原文の翻譯
日本人民に備はる美術の心と嗜は世界に雙び少なき高等のものなりとは今日文明諸國人の
共に許す所にして開化の進歩に於て日本の人を東洋人種の上に推したるも畢竟唯この一事
に外ならず凡そ美術の美を知りて之を好むのみか又た手づから模造製作して天然の物に由
り一種巧妙の品を作り出すべきほどに風韻の高き人民は野蠻の域を去ること甚だ遠きもの
なり此種の人民は其風俗必ず優美にして隣人に接するに禮儀厚く朋友に交るに情誼深くし
て其社會を成すや秩序の齊整せざるなし是れ即ち日本出色の性質にして文明の人と未開の
民とを區別するに著しきものは正に此邊の如何に在て存し此の如き人民を稱して文明と云
ふ其文明は所謂欧洲の文明に比して種類こそ異なれども精神に於て讓る所なきのみならず
却て上品なるものなりと云ふ可し西洋の文明は專ら盗賊の働きを示し弱肉強食を常となし
傍近の小國を征服して獸慾を逞ふし其目的は我地を廣め我富を増すに在ることなれば一人
若しくは小勢にては追剥切取と呼ばるゝ處のものを唯仕掛を大にしたるに過ぎざるのみ日
本の文明は全く之に異なり極めて優美殊勝なるものにして其人民の美術の心と嗜の高き若
し證據はとあらば隨分事實の徴すべきなきに非ず抑も日本人民の手に成りたる美術の品な
りと云へば文明世界にて頗る珍重せられ歐洲にても米國にても多少資〓ある良家には其室
内を飾るに日本出來の美術品を用ゐざるものは幾んど稀にして許多の人民は其家の裝飾に
日本美術の風を學ばんとするもの許りなる其中にて猶ほも一層驚くべきは西洋の文明國に
て博物館或は美術會には到る處日本美術の品を陳列せざるはなく其これを陳列すれば必ず
會塲の最も目立つ處を撰び普く衆人の縦覽に供して模範を示すの一事にして日本出來の美
術品に模倣するの勢は年々歩を進むることなれども其擬製したる者は常に本元なる日本の
良品に劣るほどなれば日本は美術中心の一として普く文明世界の人民の美術を支配し其心
と嗜の上に容易ならざる勢力を與へて末流の美術國人を薫陶しつゝありとは皆人の許して
疑はざる所なり然るに歐米の人の一たび日本に來〓して其文明開化の實を知らんとすれば
豈に計らん日本人の多くは皆自から稱して未開なり野蠻なりと云ひ尚ほ其上に文明世界の
本國に居りては啻に稱賛するのみならず手を變へ品を變へて一圖に模倣なし居る所の美術
の品は悉く之を放棄して頗るなきを見ては喫驚の外ある可らず甚しきに及んでは家内裝飾
の爲めにとて西洋人の拙き細工に成りたる劣等の品に千金を投じて買求むるものさへあれ
ば皆其意外の事に驚かざるはなし然れども今日となりては幾分か迷霧を排きて發明する所
あるが如く今まで外人に賣りて西洋諸國に送り出したる其手を扣へて最も名作なる美術の
品を保存し殊に古代諸家の繪畫を惜むに至りたるは余の知る所なれども此事さへ躬自から
發心せしには非ず外客其人の盡力と助言とに出でたるこそ可笑しけれ先きに日本人民が自
から我に美術の美なるものあるを知らず只管外國の美術を慕ひ善きも惡しきも要用なりや
經濟なりや其邊の考は一切不問に措くが如きは餘り目のなき所爲にして殆んど兒戯に類せ
るは誠に氣の毒なりとて外人より注意したるに茲に始めて其美術の世に比類少なきものな
ることを知り得たるなる可しと思はるゝなり(未完)