「日本の美術及び衣服」
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時事新報に掲載された「日本の美術及び衣服」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
(前號の續き)
衣服其他、人の形體を飾るべき品は裝飾術と稱ふる美術の部に屬するものなり美術の心あ
り嗜みある人民は其衣服の制に於ても亦必ず美術の神を現はすは全く此理にして地柄色合
の取合せより裁縫の法、着用の風に至るまで皆美術を應用せざる所なり歐洲の中にて最も
風韻高きは佛國の人民にして其服制の完美以て他國人の模範たるものは巴里に於て見る可
く就中婦人の衣裳を以て然りとす左ればこそ日本人民の世を驚かすに足るべき美術の心と
嗜みとは遂に婦人の服に現はれて美麗巧妙得て名状す可らざるほどに發達したるこれ然れ
ども日本衣服の制は佛國の制に異なる固より言を俟たずして猶ほ絵畫の法に雙方異同ある
が如し畫法の佛に同じからざるの故を以て美術の美たるを病ましむる能はざれば服制異な
りと雖も美術の點より評を下すときは日本婦人の服制は决して其美を佛制に讓ることなし
と云ふて可なり然るに今、日本の婦人が自ら固有の制を棄てゝ佛國風の衣服に倣ふの心は
即ち其むかし日本の畫工が自家の法を措いて彼の筆法を學びたると同樣の心にして此外に
理由ある可らず繪の事に付ては余が前に一言したる通り今正に前日の非を悟り只外國の風
に非ざるの故を以て早計にも遽かに舊物を改めたるは思はざるの甚しきことたるを知るに
至りたれば丁度此順にて服制變更の過を見出すも亦甚だ近きに在りと思はるゝなり
日本の服制は其風韻の高き美術の神を寫したるものなれば頗る美麗なれども外國の服を裝
ふては様々の譯にて見苦しきものなりとは一般外國人の意見なるに由り外國の人にして我
眞意を語る人ならんには心力を盡して他の惑を解き誤を正して一日も早く其本に反らしめ
んことを祈らざるものなし現に外人の言に日本婦人の我々を訪ふときには願くば外國の服
を裝ふ勿れ固有の服を着たる方、却て美容を呈するなりとは余の屡々聞く所にして間々此
事を然りとせざるものなきに非ざれども此輩おおくは敎師として日本人に雇はれ居るか或
は其夫の職任ある者なれば若しも我思ふ所を丸出しに口外して服制を變ふるの非を擧ると
きは月給を渡す主人の旨に忤〈たが〉ふて或は衣食の道を危ふするの恐れあるが故に枉げ
て日本婦人の意を迎ふるのみ其洋裝を褒むるは外國人の眞面目に非ざるなり凡ろ婦人たる
ものは美術として我身を飾るを以て仕事の一となし裝飾に妙を得たることなれば今、自家
固有の服制を措いて衣馴れぬ洋服を裝ふに當りては裝飾の技倆を現はすの樂みなきのみな
らず始より愉快を取らざるや明かなり盖し洋服を着て形體を飾るときは常に美術の法を破
り色合宜しきを失ひ地柄の擇びを誤る等衣服は遂に裝飾の具たらざるに至り洋服を裝ふた
るが爲めに却て奇態異形の醜を呈するに至らんとは獨り外人一體の説に止らず日本の婦人
達も亦自ら言ふ所なり、之を聞く曾て或る外國人が日本の貴顯某氏に向ひ當國の婦人は其
固有の衣裳を裝ひたるこそ却て美麗なれと云ひしに貴顯は之に答へて左ればなり君が日本
婦人の日本服したるを美なりと云ふは恰もガラス戸の棚に飾付けたる日本製の陶器銅器を
見る如く唯その奇なる處を稱するならんと言ひし由なれども言の當るものにあらず外國人
も日本に居ること日既に久しく漸く日本服を見馴れて今は之を奇とするあるなし余が前に
も證明したる如く日本人民の風韻高き、婦人の服は眞に美術の旨に恊ひ、見て美麗なるの
みならず其風俗の高尚優美にして文明開化の頂上に達したる國人の如き趣ある日本人民の
形體には又誠に相應せるものなれば决して外國の風を學ぶに及ばざるなり固より余は悉く
日本人の外國に模倣するを非難するには非ずして苟も資て以て改良を助け實地要用にして
經濟なるものは亦進んで彼の制を學ぶべしと勸る者なれども唯その取舎の間に是非利害の
辨別あらんこととを祈るのみ (未完)