「日本の美術及び衣服」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「日本の美術及び衣服」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

(前號の續き)

余が前段に於て日本の美術は文明世界に於て評判甚だ宜しき其例證として二三の事實を擧

げたるものは當國の人に日本の美術は殆んど全體の部を通じて耻づべき所なきのみか却て

天下に誇稱するに足るものたることと知らしめんが爲めなり日本にて家を飾り婦人の姿を

裝ふ所の風俗は皆此美術を本として應用の神を現はしたるものなるに今や固有の風俗を變

ぜざる可らずと云ふは抑も何の理由なるや更に其意を得ざるなり然れども凡そ婦人と申す

ものは世界何處も同じく流行に誘はれ易ければ日本が一朝國を開いて西洋の事物に逢ひ其

洪大壯麗に眩惑したる眼を以て自國の風を顧みれば一として非ならざるは既に彼れの美に

驚くときは衣服の制も亦これに倣はんと欲するは當然の順序にして西洋は文明開化と稱せ

らるゝ國なれば服制も亦文明なるべし日本の服制は西洋と異なれるが故に亦不開化ならざ

る可らずと考ふるも敢て怪むに足らざるが如くなれども餘事は扨置き此一事丈けは間違な

りと云はざるを得ず何となれば余が證明せし如く日本の衣服は西洋の何れの國にも劣らざ

る一種風韻高き美術に成りたるものなればなり然るに近來日本の婦人が外國の服制を模す

るの擧動あるは右の間違より出でたること亦疑ある可らざるなり

此邊の事情は外國人も能く解したりと雖も其解釋に苦しむは日本の半白老成人が心弱くも

斯る時流に流るゝの一事なり自家の妻女を強ひて日本婦人に似合はざる洋服を裝はしむる

のみならず甚だしきは或る女學校の生徒をして服制を改めしめたるものあり外國人は傍よ

り觀て默止するに堪へず何等の目的あれば斯る策に出づるやと常に疑問を發すれども曾て

道理ある滿足の返答を得たることなし若しもその士人の目的にして強て從來の服制を改め

外國の風に變ぜんとするにあらば心ある外國人は之を見て以て智者の事となさざるならん

盖し右等の人々と雖も固信してその事を行ふ以上は自ら之を正當なりと認むる所の理由な

かるべからず而して外國人の考を以てすれば其理由とする所の第一は洋服は日本在來の衣

服に比して經濟上の利ありと云ふことならんなれども事實决して然らざるは日本人も外國

人も共に一般に許す所なり第二の理由は洋服は日本服よりも衛生の道に適するものなりと

云はんか余は醫師たるの資格を以て否と答へんのみ日本の服制こそ種々の點に於て身體の

自然と健康とに適すること遙かに洋服に優れりと云ふべし第三の理由は洋服は日本婦人の

服裝として一層その風采の美を增すべしとの説あるべけれども余の既に説明したる如く日

本婦人の洋裝は年齢の老少に論なくその風采を增さざるのみならず日本の婦人は日本固有

の服裝をなすこそ却て見榮もよく且つ美麗にもあるべけれ又第四の理由は以上列擧したる

諸種の不便にも拘らず日本人は其婦人の服制を改むるを以て外國人の歡心を買ひ且つその

尊敬をも得べしと考へたるにあることならんが(余が此服制を論ずるに當り文中屡々外國

人と云ふ語を用ひたるは今の日本人の常として外國人の説とあらば何事に限らず善惡の詮

議に及ばずして耳を欹つるの風あるを以てなり)此最後の理由に對する余の答辨は既に前

にも記せし如く外國人は却て日本固有の服裝を喜ぶものにして日本婦人が無雅不粹なる西

洋服を着たるその風態は如何にも武骨殺風景に見えて外國人の餘所目にも常に不愉快に感

ずる所なるがこの不快の感は事實、外國人が日本の婦人を憐れむの情に出づるか否らざれ

ばその間違ひを嘲笑する兩樣の一つに外ならずして日本固有の服装したる日本の婦人に接

するこそ外國人の最も喜ぶ所なるべしと云ふにあらんのみ

然れども日本人の如き才智に乏しからざる人民にして何等の理由もなきに漫然服制の變更

を企つる筈もなく且つ全く他を模倣するが爲めならざるは勿論の事なるべけれど如何せん

外國人中一人もその深遠の理由を了解したるものあることなし卑竟我々外國人が不敏にし

て未だその眞因を知る能はざるが爲めならんなれば我々は大方に向てその無知の開導を祈

るものなり    (完)