「日本の工商業家に告ぐ」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「日本の工商業家に告ぐ」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

在英國 高橋達

(前號の續き)

第四何をか將來事業の見込みと云ふや曰く鄙見を以てすれば日本人の事を爲す唯單に目的

あるを知て之を達するの方便に不注意なるは驚くに堪へざる者なり就中新規の事業を起す

に當り利益の厚薄、後ちに至り如何なる可きや漠然として豫算なく唯漫に時潮を逐ふのみ

にして我より機軸を出すの覺悟を有せざるは言語道斷と云はざる可らず例へば紡績の例に

就て之を言ふに方今英國ランカシヤア州の製造盛んにして其利益の大なるは論を竢たず將

た其規模は至小にして比較に足らざるならんなれども五六年前予の大坂に在りし際同所八

軒家紡績會社の實况を質したるに當時既に幾多の困難を經過し來り利益爰に始めて生じ配

當の利子毎季に多く隨て其株券騰貴したりとの事なりしが今日に至りては全國所々に紡績

會社興起し各巨額の資本を募り新に其器械を海外に注文し或は人を派して歐米諸國の紡績

業を巡覽せしめ其間、日本に在りては工塲の新築、職工の詮議實に以て多忙なるの趣は兎

も角も今後、外にしてはランカシヤア州の競爭も恐れざる可らず又内にしては在進相斃ふ

るゝの弊も慮る可き者とすれば紡績事業の將來は彼の大坂八軒家一社の例を以て推す能は

ざるの事情なるにも拘はらず社の發企人若くは株主たる者は殆んど此等の識別なく五里霧

中に茫然たるに特り敏捷なる輩は株式狂熱の其間に自家の持株を抜賣りして奇利を貪るの

觀少からざる者の如し是れ亦憂慮す可きの一なり

第五に日本工商業の目的は現今主として輸入品を自製し多年西洋商人の占め來りたる其利

益を日本商人自身に之を奪はんとするに在るが如し果して然らば今日まで日本を第一の得

意市塲となしたる西洋の商人も自家の損失を防がんが爲め其品物の價を廉にし日本商人と

競爭の手段に出るやも知る可らず特に商業上の熟練技倆に至りては日本商人は遠く西洋商

人に及ばざるの次第もあれば今後内地に於て製造事業の起るに隨ひ外國商人と競爭の針路

如何に成行くかは今に及んで豫じめ注意ある可きことなり

第六仔産物とは何ぞや例へば米を作りて藁を得、瓦斯を製してコークを得るが如き者なり

藁とコークとは米と瓦斯の正産物に對して幾何か製作の費用を埋め其價を廉にするの働き

あるは論を竢たず、仔荷物亦然り英國に就て之を言ふに生毛の價騰貴すれば錫の價下落し、

鐵器の輸出盛んにして輕量玩弄物の販路擴まるの類一にして足らず其由來する所を尋ぬる

に生毛は專ら南洋諸嶋に取る者なれども遠洋の航海に滿船獨り毛を積む能はず是に於て南

洋所産の錫を搭して船足と爲し之を英國に送るが故に倫敦に於ける錫の相塲は生毛の輸入

と與に下落せざるを得ず然り而して生毛は之に依て幾何か其運賃を助けられ錫商も生毛の

輸入あるが爲めに其澤を蒙むるの趣は日本に於て雜貨製茶の輸出に當り銅地金を仔荷物と

して搭載し去る者に殊ならず外國貿易に從事する者は言ふに及ばず今後日本の工商業を盛

んにし致富の道を求めんとするの人に取りては仔産物並に仔荷物を作るの考へ大切なりと

云はざる可らず

第七には東西資本流通の相違如何んを研究せざる可らず即ち爰に英人が紡績會社を起すと

すれば器械製造元に對しても種々の約束を結び其代金を一時に支與せざるか或は又製造元

を株主仲間に加へ其儘合本會社とするの工夫も就く可く其他細微の事に至るまで言ふに言

はれざる利便あるは同國人の好殊に信用の點に於て日本人の企及し難き者なること論を竢

たず又生綿の如きも英國その資本を印度に投じたる利息として廉価に之を得るの利益ある

のみならず更に製造して再び東洋に輸送するにも自國に船舶の便あれば其費用の少きこと

推知す可し然るに之に相反して日本を見れば器械の代は悉皆現金にて之を外國に拂はざる

可らず遠路運送の費用亦遙に高價ならざる可らず加ふるに融通金利貴くして流動資本甚だ

乏しく、其原料を印度に仰ふぐにも我は英國如き特別の關係を存せざるのみならず其運搬

にも悉く外船を煩はす者なりとすれば前途事業の困難大なりと云はざる可らず此事たる獨

り紡績のみ然るに非ず諸般工商の事業間接に直接に西洋を相手にして計畫を爲すの决心な

らば豫め戒心して輕々敗を取るの笑ひを招くなきを要するなり

是に至り予輩特に日本工商業家の爲めに互に能く共同連合して其利益を計るの工夫要用な

るを感じたれども一方には日本人に斯る性質なきのみならず同業者間、猜忌の情最も甚し

く人を排し己れを私し小利に戀々して大慾を知らざるの愚を發見し再び失望の思ひを爲し

たり爰に其一證を擧げんに昨年の冬、銅の價非常に騰貴し歐洲商人其手の屆く限り俄に之

を買締めたるが爲め世界の相塲に變動を來したり其中にも日本の銅商人等は唯其氣配の少

しく上進したるに際し我れを競ふて互に外商に賣込み多少の益を得たるには相違なからん

なれども銅價騰貴の割合には其澤を蒙むらずして他は悉く外商の私に歸したり事に不案内

なる日本商人なれば何故に銅價の斯く騰貴したるやを審にせざりしは怪むに足らずとする

も若し銅商人の其間に連絡ありて海外各地にも電信往復を開き居たらば當時一層利益を得

るの途も容易なりしに事爰に出でずして空しく商機を誤まりたるは日本工商業家に結合な

きの故ならずや、實業者乞ふ其れ撰ぶ所を知れ    (完)