「女子教育の氣風」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「女子教育の氣風」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

女子教育の氣風

近年來我國にて女子の教育一世の風となし都鄙到る處女學校設立の談を聞かざるはなし其

最も盛んなるは東京府下にして政府官立の高等師範學校高等女學校等を始めとして民間公

私立のものに至ても其規模の宏大なるもの少なからず又近頃府下の貴顯紳士の恊立に成る

女子教育奬勵會にても盛大なる學校を起すの計畫中なるよしにて其他同樣の目的を以て設

立したる學校は其數枚擧に遑あらず誠に喜ばしき事にして今後益々その盛んなるこそ願は

しき所なれども我輩は一方に之を喜ぶと同時に又一方に顧み今の女子教育の氣風は如何な

る方向に在るか、其氣風は果して今の日本社會の生活の實際に適應するものなるや否やを

探究するの要を見る者なり抑も女教の事に關しては從來學者の議論も多く女子の教育は男

子と其科目程度を同一にす可きや否や即ち女子の心身の働は男子と同一視するを得べきや、

若し同一視する能はざるものとすれば其男子と異なる點は何れに在る可きや等の議論は緊

要の問題にして女子教育の事を論ずるには先づこの問題を調査すること必要なりと雖も是

れは心理生理に關する深遠の理論なるが故に暫く之に觸るゝことを止め唯現今日本に行は

るゝ女子の教風は今の日本社會の實際に適應して不都合なきや否やは我々の尤も觀察せざ

る可らざる所の問題なりとす顧ふに維新以來我國教育の組織一變してより女子教育の事は

徃々學者間の問題となりて世上の注意を惹きたること少なからざりしと雖も其社會に勢力

を得て實行の盛んなるを見るに至りたるは實に兩三年來に在るものゝ如し盖し時運の然ら

しむ所ならんと雖も竊に鄙見を以てすれば其遽に盛状を呈したるは單に時節到來とのみ云

ふ可らずして別に一種の原因ありと斷定せざるを得ず其原因とは何ぞや社會改良の議論即

ち是れなり抑も社會改良論の我朝野に行はれて勢力を博したるは兩三年來の事にして其起

源を尋れば當時條約の改正首尾よく行はれ外人に内地雜居を許可す可しとの説ありて其説

一時日本の全社會を動かし人々其身構に心忙はしかりし中にも最も影響を蒙りたるは上流

の交際社會にして其言に曰く外人内地に雜居して互に徃來交際するに至らんか日本社會萬

般の事物今日の有樣にては外人に對して不外聞なり先づ差當り日本風の衣食、日本流の家

屋は外人との交際に不都合なれば悉皆これを改めて西洋風にしたる處にて之にても猶不足

なるものは西洋にては男女の交際最も親密にして夜會宴會等の席は必ず婦人と共にするの

例なれば日本にても此風に倣はざる可らず男女の交際必要なりとして扨こゝに第一の困難

は日本の婦人に教育の乏しき一事なり衣服飲食家屋等の如きは錢を以て買ふ可しと雖も西

洋の婦人が善く語り善く笑ひ善く歌ひ能善く舞ひ善く宴席の間に周旋してその風采態度の

輕快優美なる其上に風流の餘談時に美術の妙に入り眼前の品評、説て古今の事物に及ぶが

如き其知識の高尚なるは迚も今の日本婦人の企て及ぶ所にあらず斯くては不都合なり云々

とて茲に遽かに女子教育の必要を感じて其説は社會の改良即ち外裝論と共に先づ上流社會

の間に勢力を占め終に延て一世の風をなし今日の實際に女學の隆盛を見るに至りたるも

のゝし如し左れば今の女子教育は人生居家の要用家風團欒の幸福云々の點より發したるに

非ずして社會交際の急に迫られ恰かも速成に製造したるものなれば自から一種の氣風を帶

びざるを得ず千年の習慣、家の内に蟄居したる女子をして宛然たる倫敦、巴里の交際婦人

たらしめんとの注文なるが故に錢を愛しまざれば其外面丈けは得べからざるに非ずと雖も

苟も經濟の眼を以て見るときは到底我日本社會に行はる可き事柄にあらざるは識者の斷言

して疑はざる所なり故に此教風をして獨り有錢の上流社會のみに止まらしめなば則ち可な

りと雖も上流の運動延て一般の女子教育に波及し以て一世の風尚を成すに至りては其利害

輕々看過す可らざるものあり(未完)