「新聞紙取締法」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「新聞紙取締法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

新聞紙取締法

一國の政府として廣く治安の點より考ふれば民間の新聞紙が時に過激の議論を吐て人心に

變動を與ふるの危險少小にあらざる可し是に於て一種の法を設け新聞紙取締を嚴にするの

其手段は現時西洋一二の國にも行はるゝ所にして露國の如き獨逸の如き即ち其例なれども

之に反して英米佛の諸國に於て取締の法甚だ寛大にして或は全く檢(手偏)束を加へざる

所以の者は多少其國政治の寛嚴如何んにも由ると同時に實は内外施政の方針に於て實際檢

(手偏)束の勞を取るに足らざるの事情ありて然るものならん獨逸に就て之を言へば去る

千八百六十六年始めて北日耳曼の同盟を設け越て同七十一年漸く帝國の基礎を固めたるの

外ならざれば新造草昧社會の秩序動もすれば紊れ易きは當時に於て免る可き所に非ず而し

て此際外に在ては四隣圍むに強國を以てして敵憂外患絶ゆる間なく内に於ては二十六の小

國尚ほ今に分裂して未だ中央の治下に統轄せられざる傍らに社會黨共和黨は數十年來(今

を距る四十年前即ち千八百四十八年普漏西の革命は共和黨が君主政府を仆ふさんとして亂

を興し事成らずして政府との折合着き國王始めて國會を開きたるの次第にして爾來今日に

至るまで共和黨の氣〓(焔の右側+炎)熄む可きの勢ひなく多々倍々猖獗を逞うするは人

の知る所なり)一日も政帶變革の企てを廢せざるの有樣なれば斯る塲合に中央政府が新聞

紙の檢(手偏)束を嚴にし以て反對者の氣〓(えん・同上)を制するの手段を取るは獨り

已むを得ざるのみならず國安維持に缺く可らざるの法と云ふ可し露國と雖も之に均しく虚

無黨の一族頻に過激の手段を講じ現政府を斃して併せて之を皇室にまで及ぼさんとする兇

惡虐謀限りなければ政府は其鋒を避けんが爲め新聞紙上に言論の自由を檢(手偏)束する

こと是亦治安に必要の政策と云ふ可し

右は西洋の話しなれども近來政府の筋に於ては郵便條例の改正あると同時に獨逸國の法に

傚らひ新聞紙は發行地内三里の外、一切私の配達を禁じて官府の手に之を全収するの議論

あるやに聞けり其由來する所を尋ぬるに一は政府の會計に収入を増すが爲めの手段なる可

しなど窃に相傳ふる者もあれども我輩に於ては此説を信する能はす何んとなるに今日、日

本の財政を假に口實を設けて如何に困難なりと云ふにもせよ常に人文の開發を助けて全國

に知識播布の一大機關たる新聞紙にまで課税して其不足を補ふの極に達したりと思はれざ

ればなり即ち改正の精神は毫も新聞紙に課税して官の収入を豐かにするの點に在らざる者

とすれば或は取締の一方に着眼し今の如く民間の私に配達の手段を設けて殆んど官の手を

離るゝの姿にては平時は兎も角も發行停止若くは新聞紙差押への塲合に臨み充分其手の徃

屆かざる恐れもあるが故に之を郵便局の專有に歸せしめたらば一號令を下して全國の取締

瞬間に辨じ得可しと云ふの考へに出でしやも知る可らず盖し新聞紙の配達に官の手を經由

せざるは取締上漏るゝ所あらんとの其恐れ一理あるに似たれども抑も實際に然らざる所以

のものは發行所三里外の地にても賣捌所を設くるの塲合には其都度各新聞社よりも將た又

賣捌所よりも各之を其筋に屆出て全國各所に幾何の支部あつて支部毎に又幾何の紙數を發

賣配布するやの事實まで警察の手に於ては平生分明なる可きが故に例へば發行停止の事あ

るに當りても其配達を差押るは甚だ容易ならんのみ假に道路の説の如く郵便局に於て新聞

紙地方配達の權を專有するに至るとするも行政司法の處分を以て其配達を禁止し若くは之

を押収するの其の命は別官衙の手に出でゝ郵便局は與り知らず唯其官衙の通知を受け後始

めて禁止押収を爲すまでに過ぐ可らず左れば其効力よりして論ずるに官命を以て一は官に

傳へ又一は民に傳ふるの相違こそあれ治安を妨害したる新聞紙の配達を禁止し若くは之を

押収するの實に於ては郵便局に令を下すも賣捌所に命を傳ふるも官の都合は同一樣なる可

きに強ひて之を官の手に収めて一切民間私設の配達法を禁止せんとするが如きは如何にし

ても我輩の信じ得ざる所なり又政府は新聞紙取締の點に於て配達事務を専ら官の手に収む

るの目的なりとすれば發行地三里以内に限りて特に私社の配達を許す所以は如何なる趣旨

ぞ一説に此法は獨逸現行の制度を模したる者にして彼國の新聞紙配達は發行地二リーグス

以外悉く官の手に於て之を施行し一切私の遞送を許さざる其筆法を寫したるの次第なりと

云ふと雖も更に我輩の聞く所を以てすれば獨逸政府が新聞紙取締の目的を以て最初其原案

を草するに當りては距離の遠近を問はず私社の新聞紙は一切私の遞送配達を禁止して洩ら

す所あらしむ可らずとの精神なりしも彼國には國會の設けありて其議、議塲に出るに及び

反對の論頻りに起り遂に雙方の折れ合ひにて然らば二リーグス(日本の三里)の範圍内は

從前の如く私社に配達の權を任す可しとて一方に反對者の論をも容れ傍ら又政府は二リー

グス外の占有權を収めたるの情實なりしと云へり然るに日本は之に反して未だ國會の開設

あるに非ざるが故に萬一政府が新聞紙取締の目的にて現行郵便法を改正する者なりとすれ

ば初めより退讓して三里内外の區別を設くる必要はある可らず斷然私の遞送配達を禁止し

中央政府に其權を収拾するも憚る所なくして可なるの道理なれども其手段爰に出でずして

尚ほ各私新聞社に三里以内配達の權を附與すると云ふの迹より見れば政府の趣旨は必ずし

も一意新聞紙の取締檢(手偏)束をのみ嚴にせんとするに非ざるにも似たり之に就て我輩

聊か所見もあれば次で記して輿論に質さんと欲するなり