「敎育の經済」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「敎育の經済」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ドクトル、セメンズ原文の翻譯

貧民に學問なく富人に敎育ありと云ふ天下普通の事實は世間遂に無學を以て貧乏の本とな

し經濟の上より敎育の必要を説くに至れり之を別言すれば多數の人民は渡世の難きも敎育

に由て其難を救ひ字を知ること愈々深ければ世を渡ること愈々易く人の生活は其敎育の度

に比例するものなりと云ふが如し世の少年は此思想を抱き貧となく富となく貴賤共に敎育

を熱望し貧しき農夫職人は其子に敎育を與ふれば目下自身の有樣よりも一段安き生活を得

せしむ可しとの望を繋け其子の年頃は丁度仕事を習ふべき時なれども仕事を敎えるよりは

先づ學問を敎えんとて學校に出す爲めには出來る限り百時差繰を行ふの風にて資産あるも

のは又敎育は貧民社會の有樣を改良するものなりとの説に誘はれ大枚の金を出して學校に

寄附し政府は自由に人民の財を糜して大小の學校を作り或は強迫を以て子弟の就學を促す

の塲合あり敎科書は年々殖え行き隨て出づれば隨て變はり絶間なき改正の度毎に人民は逐

一購求して子供の需に應ぜざる可らず其間に立て重もなる利uを分つものは坊間の書林と

學校の役員なり

西洋諸國にて敎育に經濟上の價を附し學問を以て生活を買ふが如き虚空冐險の見込を立て

たるは殆んど五十年來のことにして其見込を行はんが爲めに公私大小の方便を用ること右

の如き次第にして思慮深き士人に至るまでも心を動かし敎育に經濟上の大利を求むるの理

論は實地に然るものなりやとて自から考へ又人にも問ひ人民は敎育なきが故に貧乏なりや、

貧乏なるが故に敎育なきや、無學は貧乏の本には非らざるかと種々吟味の末、扨其成跡は

上流にも下流にも社會全體に向て專門の敎育を經濟上に價あるものと爲し其評價實に過ぎ

て徒らに尊重することゝは爲れり即ち高等學校大學校の敎育の如き何れも此風にして其出

身の卒業生は西洋社會に充滿し志氣高くして經濟拙なく目に一丁字を識らざる大工左官が

日々収むべき賃銀すら儲くる能はざるの有樣なり百姓の子、鍛冶屋の弟が高等學校に修業

して家に歸るや文字には富み智識には長けたれども心身怠惰にしてコ行は既に腐れ父兄と

共に家業を執るの念なく、去りとて多年書物より學び得たる所のものを應用すべき方便を

見出す能はず勤勞少なくして給料多き好地位とては更に得らる可きにもあらざれば終生そ

の身の不運を訴へて怏々樂まざるの極、十の七八は無uの生を送りて一善をも爲す所なし

此種の人物は西洋社會に於て日に多きを加へ轉た社會堂虚無堂の勢焔を揩キのみ

米國今日の富を致して其繁昌に與りて力の大なる人物は决して高等敎育を受けたるものに

非ず限りある少し許りの學問を修め早年學校を去て細く商賣を始めたる人の手に成りしと

は奇妙に聞ゆるならんなれども事實は掩ふ可らず左れば多年の間、純粹なる專門敎育に身

を委ぬれば世情に遠かりて迂濶となるに隨ひ商賣の道に當て失敗を招くものなりとは誰れ

しも疑はざる格言にして米國にて仕上げたる實業家の多くは夙くに此不經濟なる事實を承

知せるが故に若し其子の商人となりて成功全からんことを祈望するときには必ず高等學校

の敎育を與へざるなり

敎育の經濟につき論述すること此の如し猶ほ進んで之を研究するには全體の人民を大別し

て二種となさゞる可らず

第一 人民の中にて勤勞を以て殖産工業に從事するもの、ちいさき農夫、職人、或は商

賣人等

第二 素封舊家の貴族、富豪なる農家商人或は製造家等

第一種の爲めに純粹なる專門敎育を經濟上に眞價ありとして其價の十中の九は唯自國の字

を讀み之を書くことゝ實地の運算を心得、少しく地理を知るに在るのみ第二に向ては敎育

の高を如何にすべきや甚だ言明し難し何となれば既に富有の人なれば經濟上の利uは左ま

で必要とも思はれざればなり

右の如くに一通り限界を定め二三の例外は固よりあらんと雖ども一般に考ふれば先づ以て

十分なる可し此區別の大切なることは一國の政府が其人民の爲めに敎育の方針を取るに當

り學問の度は何れに極め敎育の區域は何れに限り學問敎育の方法は如何にすべきやと計畫

するときに最も明白なる可し

余の一定したる如く專門敎育にして多數人民の爲に實用に適して經濟の上に必要なる處は

到底以上記したる簡單なる種類に外ならず此一義は必ず世に異論もなかる可し何人に限ら

ず、せめて此位ゐの敎育を受くるの機會なかる可らざることは疑ふまでもなき次第なれど

も人民の爲に此機會を與ふるは全く地方政府の職分にして中央政府は之に關して助言する

の外に干渉するは宜しからず其目的を達するには曾て時事新報の忠告したる如く寺院を以

て學校に充て僧侶を以て敎師に任ずるの得策たると知るなり     (以下次號)