「過度の敎育」

last updated: 2019-11-26

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時事新報に掲載された「過度の敎育」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ドクトル セメンズ原文飜譯

五十年來世界の文明諸國に於て各科の敎育何れも大に世人の注意する所と爲り且その進歩

をなせしことは歴史上に例を見ざる所なり早歳の兒童に萬種の知見を得せしめんとして之

に強ゆるに非常の勉強耐忍を以てし貧民の子も富人の子も之を敎るが爲めには書籍を授け

良敎師を雇ひ都て公費に依頼して其仕組備らざるはなし或る國にては其父母及び自身の諾

否如何に拘らず法を以て公立學校の入學を強迫し讀書上の知見を兒童の腦中に充滿せしむ

るは人間の道コ、身體、智識の程度を改良するの最好方便なりと信じて疑はさるものあり

斯くて年を經るに隨ひ兒童早年の學習に適當なる簡單、容易なる學科は次第に繁雜に赴き

其科目さへ次第に數多くなりて遂には兒童が早歳の數年間に修むべき科程も人間世界にあ

らゆる各科の知見を含有するに至りぬ世の中に敎育の眞意と其實價とを知る者の少なきは

實に驚くに堪へたる事共にして盖し世の父母たる者及び敎育家の考にては幼者の腦膸に學

問上の事理を注入することいよいよ多ければ後日一個人として義務責任を負ふの感覺いよ

いよ深きに至る可しと信するものゝ如し世間の言に我々は死に臨み一錢を子孫に遺す能は

ざるもこの敎育の事に於ては我々の能ふ所を盡したれば夫より以上の事に至ては子孫自ら

之を爲すべしとは往々我輩の聞く所にして世の父母たるものは子孫敎育の爲め終生勞役に

辛苦して自らその快樂を抑損するものある程なるに敎育の實際を見れば徒らに實用に迂濶

なる學問上の事理を兒童の腦裡に注入する事のみを務め既に其成蹟の疑はしきのみならず

却て有害の結果を見ること少なからず若しも茲に人ありて日夜絶えず飮食して胃腑を滿す

ものあらば其食物の過半は消化せずして胃病を引起すことならん即ちその食物が身體に榮

養を與へずして却て之を衰弱せしめたるによるのみ若し之に反し飮食の量を減じ且つその

度を節するときは胃中の食物悉く消化して其身の健康、疑ひなかるべし今の敎育法は豈に

之に類することなからんや兒童は早歳にして學校若しくは幼稚園に入り敎育と稱する知見

を得るの職業に就かしめらるゝ事なるが斯くの如くして腦裡に注入されたる知見の大半は

固より之れを消化するの力なく恰も過度の食物を滿したる胃腑と一般、一種の不消化病を

釀すに至るもの多し左れば強迫の敎育は人間の能力を強めずして却て之を弱ふするの結果

を見るものにして西洋諸國の實例によるに強迫敎育の下に成業したる優等の學生は却て實

地の働きに乏しくして後年に失敗する者こそ多けれ日本に於ても亦必ず同樣なるべし抑も

強迫敎育の仕組は獨り兒童の腦力を弱むるに止まらず身體をも害すること甚しきものにし

て盖し學生が永く空氣の流通あしき講堂に閉籠り運動をなすこと極めて少なく且つ飮食の

屡ば屡ば其度を失ふが如きは次第に健康を害するの原因となり卒業の證書を得る間もなく

肺勞の爲めに夭折するもの少なしとせず而して女子敎育の過急過度なるに至ては其健康を

害すること男子よりも甚しきものあり過度敎育の疑問は現に西洋諸國に於ても學者の苦慮

する所にして要するに過度過急の敎育を幼者の腦膸に注入するは大に誤れるものなりとの

説、學者の間に勢力を得るに至れり而して單に學問上の敎育のみを受けたる者は實業家た

る能はずとの説も亦一般の許す所にして若しも二十一乃至二十二歳に至るまで強迫注入の

法によりて學生を敎育することもあらば過半は實業家たるの性質を失ふに至るべし故に歐

米諸國にては其子の實業家たらん事を希望する者は其家の富めるにも拘はらず高等の敎育

を受けしめずして却て學者たるに縁の遠き實際上一般の知見を得せしむるに過ぎず女子の

敎育も之と同樣にして謂所高等敎育を受くる者は社會の上流に位する少數の女子に過ぎず

して從來の經驗によるに高等に學校を卒業したる女子は唯その健康を害するのみならず之

を簡易なる科程を修めたる者に比するに良妻賢母たるの資格に於ては却て欠くる所多しと

云ふ畢竟今の世界の敎育の局に當る者が子女の成後に關する實際の經驗を有せざるが爲め

にして彼等は精~の府にして且つ思想の源たる幼者の腦膸を見て以て鐵製の函となし幾多

の物質を其中に顛充せんとし腦髓なるものは唯、顯微鏡を以て見るべき極めて微細なる繊

維より成れる動物界中、最も微妙にして入込たるものにして之れを用ふること度に過ぐる

ときは猶ほ老朽したる護謨彈機の如く其彈力を失ひて遂に癈物に歸するものたるを知らざ

る者なり元來敎育上に心身の健康に關する事柄は實に肝要の問題にして各學校の管理は經

驗ある醫士社會の支配に歸し之に任するに學校の衛生及び健康法に關する一切の全權を以

てするも可なる程の次第にしてこの一事に就ては我輩は唯從來の醫士輩が定めたる空氣の

流通、身體運動の事のみを云ふにあらず猶ほ其上に精~の衛生法其他脳力の堪ふべき勉強

の度如何等を云ふものにして之を再言すれば學校課程の科目及び授業の時間等は全く經驗

堪能ある醫士の權内に任せんとするものなり然るに我輩の聞く所によれば今の學校に於て

この事の行はるゝは殆んど絶無の有樣にして現に東京に於ても幾多の經驗堪能なる醫士中、

精~衛生の事に關し敎育當局者の相談を受けたる者は曾て之なしと聞けり左れば現今の敎

育の仕組に於て日々幾千の兒童に計るべからざるの害を與ふることは明白にして經濟上よ

り之を考ふるも過半は實價なき學問上の事理を兒童の腦膸に注入するは有害無uの事と云

はざるを得ざるなり