「支那の鐵道と日本の鐵道」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那の鐵道と日本の鐵道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

支那の鐵道と日本の鐵道

支那に於て鐵道敷設の計畫は多年來の噂なりしなれども緩慢なる支那人の常として事業容

易に捗取らず現に彼の北京天津間の鐵道の如きも未だ着手に至らずして實は測量も始まら

ざる由なるが是れより先き開平鑛山の石炭を天津若くは太沽地方は輸送せんが爲め太沽開

平の間一百英里の鐵道を敷設するの議に决し一切の起業工事をば私立の會社に許可し專ら

支那人中より株を募り李鴻章の手に於て其大體を監督し先頃より工事着手の運びに就ては

日本よりも枕木の賣込等にて本邦商人の彼地へ赴きたるものあるは世人の能く知る所なり

聞く所に據るに此鐵道は名は開平太沽の間と稱すと雖も實は太沽の對岸にして河上凡そ日

本程二里許りなる塘沽より更に白河の左岸に沿ひ天津に通ぜしむるの計畫なれども塘沽天

津の鐵道は未だ起工の運びに至らず又開平塘沽間の鐵道も全線悉く落成したるにあらずし

て塘沽より蘆台まで三十餘哩の所丈け竣功し昨今日々に列車の徃復もある由なり尤も開平

の鑛山には石炭運輸の目的を以て少距離の間に敷設したる鐵道あれども素より旅客の乘用

に供すべきなどの者にもあらず是れより先き十年以前、上海にて同所呉淞間に十英里の鐵

道を敷設したるは即ち支那鐵道の嚆矢なりしなれども當時種々の物情起り加ふるに例の風

水説の爲めに妨げられ一旦敷設したる鐵道を態と政府に於て買ひ上げ之れを取毀ち以て物

情を鎭めたるの始末にして爾来今日まで鐵道の計畫は支那に於て全く廢絶の姿と爲りたる

者なれば今回の工事は實に支那鐵道の第一着歩なりと稱するも不可なかるべし且つ同所既

成の線路には日々乘用の旅客も多き由にて流石の支那人も皆其利を感ぜざるなき勢ひなれ

ば今後是れを天津に延ばし或は通州に通ずるに至らば其便益如何なるべきやとて何れも其

延長を希望せざるはなしと云へり

開平塘沽間の鐵道は貨物運搬の營業よりも專ら開平の石炭を太沽若くは天津に送るを以て

目的とすること論を竢たず即ち太沽は北洋艦隊の首府にして北京の咽喉たるが故に陸海の

固を巖にするに當りては取敢へず石炭庫の設けなかるべからず塘沽は之に適する形勝の地

なれば同所を以て要害の倉庫に充てんと昨今續々同所へ石炭を送り居る由なり今該鐵道に

乘りたる人の説を聞くに工事の式樣より機關車列車の作りまで一切英國に則とり其工事は

最初より入札の方法を用ひジヤーヂンマデソン會社之れを引受け、督成したる者の由なり

殊に該地方は地勢平坦勾配さへ急激なる所なければ况してトンネルを穿ち山坂を上下する

の困難あるにも非ず從て工事上非常の便益を來したるは勿論なれども右の外に尚ほ支那の

爲めに一層の便利を得たる次第と云ふは十餘年前日本にて未だ西洋の事情にも通ぜざる折

柄東京橫濱間の鐵道を專ら英人の手に任せ非常の金を費したるの事情とは今日の時勢も違

ひ兼て經濟には抜目なき支那人なれば西洋商人に普く受負工事の見積り書を出ださしめ殊

に西洋諸國よりは英國、獨逸、佛蘭西、亞米利加各々其委員を出だし最初は少許の損失を

招くにもせよ今に及んで支那人の好意を買ひおき徃く徃くは全國の鐵道敷設を一手に受負

ふの計畫を爲すは初めに失して後に取るの手段なりと各々競ふて廉價に入札を爲したる中

にも英人は外交上商賣上兩つながら支那政府に密接の關係あるより其工事のジヤーゲンマ

デソン會社に渡りたるは是非なき次第なれども凡そ其建築費用の廉なること日本最初の鐵

道工事に比較して論に爲らざる程なりと又其工事の模樣の如きも、レールの敷設等充分の

念は入れたる由なれども停車塲の如きは建築至て疎末にして寧ろ停車塲の名さへも下し得

ざるの有樣なり即ち日本ならば美麗なる西洋風の家屋を建築すべき所も左る贅澤は一切之

れを略し唯周圍に土塀を築き監督の役人入口に立番して乘客に切手を賣渡し或は點檢(手

偏)するに過ぎざれば降雨の節など旅客の不便は左る事ながら單に鐵道交通の便利上より

視れば贅澤の費用を省きたる其手際は仲々に驚き入りたる者と云へり殊に該社は株にて募

りたる私設の會社なれば工事終りて後の營業にも常に利益の考へを離れずして無用の費を

省くは問はずして知る可し兎に角に今の偏僻半開の線路にても其収入は費用に引合ふべき

の見込なりと云ふより見れば更に數歩を進め之を天津通州にまで延すに至らば其社の利益

亦尠からざるべしとの事なり

日本の鐵道は屡々時事新報の紙上にも論ぜし如く狹軌道とて其の幅三尺六寸のレールを用

ひ昨年中政府の制定したる鐵道條例にも日本の軌條は彌よ彌よ狹軌道を以て制と爲すと定

まりたるは世上にも多少議論のある事にて例へば貨物の運送に其不便尠なきのみならず機

關車の作りも大なる能はずして從て本位軌道に較ぶれば運轉の速力遲緩なるは勢に於て免

れ難し或は運賃に就て言ふも仙臺より東京に馬を送るとして日本現在の荷車にては馬を橫

ざまに駢ぶる能はずして只縱にのみ積む者なれば無益に塲所を空ふして多くの馬數を輸送

し能はざること勿論なり即ち狹軌道の荷車にて仙臺より東京まで馬一頭を送るの賃金は凡

そ十四五圓内外を要する由なれ共若し本位軌道の事に依りて運送する者とせば一馬多くも

四五圓を越えずして濟むべしとの事なり然れ共日本の鐵道を狹軌道と定めたるは暫く措て

論ぜず唯今回支那に於て始めて敷設したる鐵道を如何にといふに全く日本に相反して本位

軌道を用ひ其幅四尺八寸にして現今英米其他文明の諸國に行はるゝ普通軌條の制を採用し

たるは平生交通の便は勿論、軍事の用に於ても日本の鐵道に勝ること萬々なるべしと云へ

り彼の開平塘沽間の鐵道は其用も十分ならざる可けれども今後此軌條を基本にして天津若

くは通州に及ぼし或は延いて南京上海より廣東に至らしめ支那全國の鐵道に本位軌條を用

ふるの覺悟なるや知るべし斯くて支那日本兩國の鐵道線路は各々全成する者と假定して日

本は狹軌條支那は廣軌條と其趣を別にせば交通徃來荷物運送より若くは軍事の用に於て日

本は支那に及ばざるの憂へなきか支那の事は兎も角もとして日本は今日に斷然狹軌條を廢

し本位軌條と爲すか或は九州の如き特種の地に先づ本位軌條を布かしめ他は漸を追ひ其制

を改むるか或は三百英里内外の敷設既に了りたるの今日なれば寧ろ改良の事は思ひ切り日

本は將來狹軌條の爲め如何なる不便を蒙むるも頓と懸念せずに置くべきや此疑問は今に及

んで大に明斷を要するの事件なるべし