「國會は萬能の府にあらず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國會は萬能の府にあらず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國會は萬能の府にあらず

明治二十三年國會開設の期は近く二年の後に迫り憲法の草案も既に成りて樞密院の議に附

せられ且つ其名をば帝國議會と稱し上下二院の設けさへあること今は世に隱れなき事實と

なりぬ顧ふに國會論の始めて世に出でたるは明治七年前參議諸氏が民選議院設立の建白を

始めとして今を去ること十數年、尋で二十三年國會開設云々の公布ありたるは明治十四年

にして當時より指折り數ふれば其期限は實に八年後の遠きにあり心早き年少輩の中には隨

分待遠しく思ひたる人々もありしならんに光陰は思ひの外に疾くして六年の歳月は何時の

間にか過ぎ去り今は愈々二年の後に其開設を見るに至るべしとは智者も愚者も何か喜ばし

く思ふ所ならんと雖も何を申すも二十三年の國會は我國創造の事たるのみならず其議論の

世に現はれたるさへ僅か十年内外の思付にして開設の日に至りて萬事意の如く行はる可ら

ざるは固より論を俟たず之を彼の西洋諸國の國會の如く數百十年來の經驗沿革を閲して始

めて今日の體をなしたるものと相對して慚色なからしめんと期するが如きは到底望むべか

らざることなれば我輩は何は兎もあれ今日の處にては其形の世に生れたるを以て先づ目出

度しとなし世人と共に之を賀せんと欲する者なり

凡そ物の始めて生するや唯その形を成すに止まるものなれば固より完全を望むべからずし

て是時に於て專ら注意す可きは唯その成長を妨げずして他日の發達を期するにあるのみ或

は建築の事にて云へば先づ其基礎を固め以て他日堂構の工事に差支なからしむるに在り初

めその基礎を堅牢にせずしてその上に立派なる殿堂を建築し却て墜頽の患を招くが如きは

之を智者の事と稱すべからず我輩の宿論として創造の國會には土地の所有者より議員を出

し專ら土地を守るを以て精神となし其目的を私權自衛の一點に專らにして他の政治談の如

きは暫く論及せざるも可なりと云ひしも其意盖し茲に存するなり我輩敢て政治を談ずるを

好まざるにあらず又國會に壯快なる議事を聞くを喜ばざるにあらずと雖も初生創造の國會

に向て多きを望むは寧ろ好ましからぬ事にして却て事を破るの恐れなきにあらざれば先づ

私權自衛を目的となして其基礎を固め人民の私權城を盤石不動のものと爲し此堅城に據り

て以て徐々に進取を謀らんとするものなり

然るに世間の廣き中には二十三ん年の國會に向て過分の望を屬するもの亦なきにあらざる

が如し先づ今日世人の談ずる所を聞くに時事の問題の少しく入込みたるものに亘り例ば財

政困難政費節減云々の事に及べば國會の開設を待て之を公議に付す可しと云ひ、民間の策

士中には國會の開設を待て滿胸の奇策を呈せんと期する者もあれば又は青雲の志ある者は

その曉を待て目的を達せんと望む者もあり商は不景氣の回復を之に期し農は租税の輕減を

之に望み又或は國會開設の其當日を以て内閣更迭政權授受の期と認むる政論家もあるなど

今日の人事にて容易に成し能はざる所のものをば總て之を國會開設の一擧に成功せしめん

と欲するものゝ如し世人が國會に望む所も亦多なりと云ふべし然れども元來國會なるもの

は尋常人民の集合して事を議するに過ぎざるものなれば固より奇想妙案の天外より來るべ

き筈もなく且つその事を决するや衆人の異論をなす者あるも衆論の塲にして一人の異論を

許さざるが故に折角の異論も衆人の衆議に蔽はれて止む可きのみ國家萬病の救治策を國會

開設の一擧に望むが如きは寧ろ無理なる注文とこそ云ふべけれ

前號に述べたる如く創造の國會に就て我輩の希望は先づ暫く私權自衛を以て目的となして

其基礎を固め以て漸次に歩を進むるに在り盖し草創の業にして官民ともに事に不慣なる塲

合には成る丈その範圍を狹くして其基礎を固くするこそ他日の生長發育に都合よきのみな

らず國會本來の目的より云ふも人民の私權を衛り他の侵食を防ぐこそ本分の職掌にして自

ら進んで積極の事を成すが如きは寧ろ其本色にあらずと云ふも不可なきが如し我輩の素論

敢て國會を輕視するにはあらずと雖も我國今日の塲合にては無事にその出現を見るさへ意

外の事にして未だ其成長の運命も定かならざるものを認めて以て萬能の府となし之に望む

に社會萬般の救治策を以てするは之を目して大早計と云はざるを得ず我輩は二年の後ろの

開設の日に至り今日属望の益々多なるに隨ひその失望の愈々大ならんことを恐るゝ者なり