「肥料論」
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時事新報に掲載された「肥料論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
肥料論
日本は氣候順和地味豐饒にして誠に天賦の農國なりと申せども其果して然るや否やは我輩
容易に斷言すること能はず或る地質學者の接によれば我國の作地は甚だ淺くして天然固有
の豐味はその薄きこと遠く米國などの比に非ずといふ其説の當否は暫く擱き建國以來二千
餘年專ら農業に從事して耕作の上にも耕作をなしたることなれば假令へ天賦の沃土なるに
もせよ漸くその沃味を消失すべきは固より自然の數にして唯その能く今日までも農産事業
の衰へざる所以のものは偏に是れ肥料の力に依頼するものと云ふて不可なきが如し蓋し我
國の百姓は頗ぶる忍耐勉強の資に富むものにして例へば十石の収穫ある土地に耕へすとき
は其地力の衰へたるにも拘はらず水利を圖り肥料を施こし手に手を盡して飽までも例年の
十石を収穫するに非ざれば决して已むを思はざるものなれば肥料の効力は特に最も著るし
きを見るべし然り而して其肥料を何れの邊に求むるやと尋ぬるに人糞を以て最上のものと
爲し聊かにても之を棄つることをなさず元來人糞を肥料に供することは之を經濟上に訴へ
衛生上に訴へ又學問上に訴へて最も其宜しきを得たるものにして而して西洋諸國は勿論東
洋の支那朝鮮等にても之を用ふることを知らず多くは其始末の困難に苦しむよしなれども
獨り我國は古來これに苦しまざるのみか却て之を利用して其利を利するの大なるは他年他
の文明國をして自から其人事に不注意なりしを悟らしむることある可し右の外我國にては
魚類海草等種々の海産物を肥料に供することも亦少なからず我日本國の地勢は長狹なる一
大群嶋の形をなし五畿七道の諸國海に瀕せざるところ幾んど希にして其海産物も亦頗る豐
富なれば此等は直ちに採て肥料と爲す可きのみならず其食物に供せらるゝものも間接に肥
料の用をなすことなれば海産人糞の二者恰も我國固有のものにして耕地の〓方を助け二千
餘年一日の如く日本をして農國の名を恣まゝにせしめたるは誠に幸中の至幸なりと申すべ
きのみ
〓るに從來我國農家の情况を聞けば生絲製茶業等を別にして單に田畑のみに依頼する地方
の或る部分に於ては之を所有するの地主も利益少なく、其配下に耕作するの小作人も引合
はず、雙方の立行ともに漸く困難にして富裕の者も次第に貧困に陥ゐり民間の疲弊實に容
易ならざるもの多しと云ふ斯る事の有樣にては農民は其出費を節減し儉約の上にも儉約し
て以て一家の生計を圖るは勿論のことなれども其これを節減するに當り直接に生活に必要
なるものを後にして先づ間接の方より着手するは人情の免かれざる所にして日三の食物を
減ずるか耕地の肥料を減ずるかと云へば節減の宣告を蒙るものは先づ肥料なる可し然るに
肥料は土地に豐味を資するものにして今年の肥料は今年を限りに全く消滅するに非ず年々
繼續して餘力を遺すものなるが故に偶々一兩年間肥料を弛めたればとて覿面即時に産力を
減ずるに非ざれば農夫も時として自から欺かるゝの事情ありと雖も欺く可らざるものは天
然の眞理原則にして數年の後に至れば一年は一年よりも地力を弱くして漸次に収穫を減ず
ると共に其産出の品質も亦次第に劣等と爲り収穫少なき上に聲價を落して農民の困難ます
ます困難なるの事情を見るに至る可し、前にも云へる如く我國々財の根本は農作物にして
其豐凶は實に國の盛衰に關係することなれば肥料を節減して農事を退縮せしむるは取りも
直さず立國の泉源を汲み減らすものに異ならず肥料の一事决して輕々看過すべからざるな
り或人の説に近來北海道の肥料は其販路漸く大にして皆是れ耕地を養ふものなれば肥料減
少云々の談は事實に於て杞憂に屬するものゝ如しと然れども年々人口の増加すると共に耕
地も隨て増加すべきは爭ふ可らざる所にして同時に肥料の需要を増加するも亦當然の次第
なり殊に蠶茶業の頻りに流行するより之に要するの肥料も亦廣大なるものなれば全體の〆
高より云へばその需要は實に増加したるに相違なしと雖も前陳の如き田畑のみに依頼する
地方の或る部分に至ては農民の立行容易ならずして漸く肥料を減省するに至りたるの事實
は决して掩ふ可らず前途を想像して誰れか憂慮せざる者あらんや國家永遠の爲め其根源に
溯りて救治の策を行ひ永く肥料を弛むるなからしめんこと偏に希望する所なり