「 新開地の免税期限 」
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時事新報に掲載された「 新開地の免税期限 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。
本文
新開地の免税期限
國の經濟と政府の經濟とは决して殊別のものに非ず蓋し政府は國を維持するの機關なれば既に國を富ます上は假令へ政府の收入を増加せざるも之に滿足せざる可らざるの理に等しく之を逆にして若しも國の貧弱を來すとありては政府の收入多しと雖も毫も目出度事相にならず例へば納税多しとて喜び、少なしとて憂るは政府部内の經濟に照らして喜憂することなれども一國の經濟上より見れば唯右より左に轉するまでの事にして左に増すは右に減するが故のみ納税の多少は實際に於て政府の喜憂とするに足らざるなり將た又人民の方より見るも同樣のことにして世間に國庫金の補助を得たりとて其有り難きに感佩するものあり其当局者の仕合には相違なしと雖も更に着眼の點を變して考ふれば國庫金は即ち是れ人民各自の資財にして其人民の手に入るは自ら出して自ら取るに異ならず國外より新たに來るものに非されば左まで喜ぶに足らざるを發明すべし即ち一國の富は政府の富なりと云ふべきのみ
以上の立言誤なしとして爰に我輩の所望せんとするは新開地の免税期限を延期するの一事なり例へば海面を埋立てゝ新地を開くには鍬下二十年間租税を免除するの約束なれども二十年間のみにては資本家の胸算疑はしき所あるが爲め容易に之に着手すること能はず目前に利益ありと知りつゝも空しく資本を抱いて海を=(目に永)むるの外なし中には海の模樣により實際工事も容易にして得失相償ふもある可けれども亦或は然らずして啻に工事の困難のみならず成工の後、尚を不時の天變も測り難き所に至ては前途の望、懸念に堪へざるものありて起業流行の今日と雖も敢て此危険を犯すもの少なきが如し盖し政府が新開地の免税に期限を定めたるは日本國中土地あれば爰に税ありとの主義に基することならん我輩とても敢て此主義に反せんとするには非ざれども前に云へる國利即ち官利なりとの趣意に重きを置き國の利益を起すが爲めには其利益の政府に到來する時節の遅速は問ふ可きに非ずと覺悟して右二十年の免税期限を五十年若くば六七十年とも爲さば政府は一錢==費さずして資本家は無限の保護を被りたるの思を爲し東西に新開を發起して事業の結果必ず疑ある可らず==者の常に竊に冀望する所のものなり我國の内海==に=ては海上遠淺にして埋立に適するの塲所甚だ多く爰に往來の成績に照らすも舊藩の頃中國筋にて新開したるものは今は既に既に熟して水平一面の美田渺茫として之を望めば尾花が末に白雲の懸るを見る所少なからず斯る有益なる事業をして唯免税期限の永からざるが爲め續々勃興するを得せしめず空しく無一物の蒼海として委棄するは誠に堪へ難き次第と云ふべし之を開けば美田となり之を捨つれば海水のみ滄桑の變何ぞ必ずしも天功を待たんや損得顯然として决して躊躇すべきに非ざるのみか年々人口の増加するに隨ひ限りある國土の内にては自ら活路に迷ふものなきを期す可らざれば此際海外の移住も亦要用なりと雖も耕地を増加して國富を興し以て之を支ふるの方便は至大なりと云はざる可らず左れば政府は成るべく之を優待して遽に急ぎ課税することを爲さず充分の餘裕を與ふるこそ得策なるべし且つ又我輩の所望とても未來永劫免税せよとの意味には非ずして唯競ふて之に着手するを得せしむる迄のことなれば他に對して毫も不公平の嫌ある可らず誠に一點の瑕瑾なきことなれども或は之を危ぶむものありて若しも鍬下五六十年を免税し利益餘りある樣の次第ともならば農民は皆舊來の田畑を棄てゝ新開地に走り新地の農事の盛なると共
に舊地は荒蕪に帰す可しとの説あれども元來新開の事たるや假令へ鍬下の年限長きにもせよ資本家が其起業に現金を投ずるには多少の危険なきを得ず既に此危険を犯して失敗すれば夫れまでのことなれども首尾能く功を奏して良田を得んか起業者の大利益にして獨り之を專にす可し即ち冒險の報酬なれば既成の新開地を人に賣るにも貸すにも其近傍普通の割合に從て特に會釋するに及ばず新地に限り鍬下の免税あれば其免税の見込を以て賣買し貸借す可きが故に他の農民より見るときは新地舊地の間に特に利不利の別ある可らず物價自然の妙機、新地開發の爲めに舊地を荒らすの憂なきは我輩の保證する所なれば其邊には毫も顧慮するを須ひず一國經濟の大計より鍬下免税の期を長くせんこと切に冀望する所なり