「 英國の政黨事情 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 英國の政黨事情 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 英國の政黨事情 

英國の内閣が今の保守黨の手に渡りたるは一昨千八百八十六年八月の事にして是より先き自由黨の首領グラッドストーン氏が暫く政府に立ちしと雖も愛蘭自治案の爭にて保守黨の爲めに敗られソールズベリー侯の内閣と爲りてより爾來今日に至るまでに一箇年半を經過したり而して侯が其内閣を組織したる當時に在りては政府の基礎鞏固ならざるのみならず反對黨なるグラッドストーン氏の名望亦頗る熾にして政府も爲めに危きほどの勢なりき抑もクラッドストーン氏が政府を退きたるはハーチントン侯の率ひたる温和派及びチャンバリン氏の率ひたる過激派と其議相容れざりしより爲めに黨中に分離を來し兩派相合して保守黨に聯絡したるが爲めグラッドストーン氏も遂に多數を制する能はずして失敗したるに外ならず左れどもハーチントンと云ひチャンバリンと云ひ其主義とする所は自由改進に外ならず將た多年政治上の進退去就も皆亦グラッドストーンと共にしたる事なれば一旦其議の合はざるより政敵に變ずと雖も是は全く一時の不調和たるに止まり早晩和睦の運びにも就く可し本來彼の保守黨と聯合したるころ寧ろ奇異なれとて世人は却つて之を怪みたる次第なれば保守黨の内閣は内にして自身の基礎固からず、外にしてグラッドストーン氏の強敵あるが故に議院の多數を制する能はずして遠からぬ内に更迭を見るべしとは豫て吾人の期したる處なりしに實際の結果は全く之れに相反し獨り更迭辭職の沙汰なきのみならず政府の地盤頗る鞏固にしてグラッドストーン氏の強敵に對するも更に憚る所なきの事相を呈したるは意外なりと云はざる可らず

抑も昨年三月の交に在りて保守黨中の壯年政治家を=て=々の聞あるランドルフ チョーチル 侯が議の合はざるより政府を退きたるは實に同黨中に屈指の勇將を失ひたるに殊ならずして政府の權力も當時これが爲めに聊か減殺せられたるには相違もなき事實にして之に加ふるに其頃ソールズベリー侯とハーチントン侯との談合も=(ルビ・なめらか)ならず左りとてハーチントン侯を敵にして===黨の内閣成立ち得ざるが故に更にハーチントン侯を首相の位置に据ゑソールズベリー侯は其次位に班==て=党内閣を組織するならんかなど一時は=説も=====、且つや保守黨の政略はグラッドストーン氏の愛蘭自治案に反し飽くまでも鎮壓の手段を以て制御せんとの主義なれば其政蹟も亦自ら過激ならざるを得ず隨て自治黨中の重なる人士即パーネル、オブリエン等の諸氏は連りに之に反對し現内閣を倒さんと欲して百方之に攻撃を試み加ふるにグラッドストーン氏の黨は隱然これを助けて議院の爭論頗る穩かならず又古來保守黨の主義として内治の改良よりも寧ろ國威を外に輝すを以て其手段と爲したる事は既往の實迹に於て明なれば隨て今のソールズベリー侯も内國の紛擾を避けんが爲め故さらに事端を外國に構ふるの策に出るなかる可きやと平和を望むの英人中には竊に之を患ふる者も少なからず殊には兩三年來歐洲大陸の状勢も次第に危急の勢に迫り獨佛露澳の諸國互に兵を練り刀を研き戰爭の破裂其間に髮を容れざる有樣にして暗雲密々雨將さに降らんとして未だ降らざるの空合なれば此際英國が事を外國に起し一方には獨逸、澳地利に結んで露國を敵にし彼れが土耳其に埀涎したる多年の野心を挫かんとの其手段行はれ難きに非ざれば英國は必ず此方策に出づるならんとて歐洲列國も亦窃に待ち構へたる次第にて保守黨は内に外に其信用甚だ薄く而して在野黨なるグラッドストン氏も今は老境最期の思出に一たびは政權を己れの手に入れ彼の畢生の大事業と爲したる愛蘭自治案を行はんと老練の手段に依て反對を試み再びハーチントン、チャンバリンの二氏と合し一撃の下に保守黨内閣を倒すならんなど其取沙汰專らなれば世人も保守黨内閣今後の成行は如何ならんかと孰れも眉を顰めたるは恰も昨年の今頃なりし (未完)