「 獨立の精神 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 獨立の精神 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 獨立の精神 

人間は孤立離生の動物にあらず互に相依り相輔くるの性あるを以て人生社會の交際なき能はず即ち世渡りの道にして之を處世の法と云ふ人間處世の法、一にして足らずと雖も能く己れの地位を保ち又人の怒りを犯さずして巧みに世を渡るを以てその法を得たるものとす此一點より見るときは人間處世の法は唯その時の社會に行はるゝ風俗氣習に雷同し苟めにも奇異の擧動をなし他の耳目を驚かさゞるを以て其極意を得たるものとなすことならんなれども又一方より見るときは人間の腦膸中には自ら一個獨立の精神あり此精神は人生智徳の發達と共に發達するものにて高尚なる知字解理の士人中に最もその盛なるを見るべし盖し獨立の精神なるものは世間流俗の顰に傚はず別に自ら一局面を開かんとするものにして其極度を云へば世情に遠かり人生に迂なるの譏なきにあらざれども若しも社會に一個獨立の精神存せずして萬事流俗の流行に任せたらば人生は全く社會の俗塵に俗了せられ世に學者學問の獨立を見る能はざるのみならず之を大にしては一國の獨立も亦覺束なきことならん何となれば學者學問の獨立と云ひ又一國の獨立と云ひ畢竟人々獨立の精神の發達したるものに外ならざればなり故に一國文明の爲め又その獨立の爲めには社會に獨立の精神を養成すること必要にして即ち今の人間社會には處世の法と獨立の精神と共に兩立して互にその短處を補ふこそ最も望ましき事なれども世事はとかく注文の如くならずして實際に於て所謂文明流の交際流行する處には社交の効力獨立の精神を抑へて其働を逞ふせしめざるの弊は世界東西の免れざる所にして西洋諸國中にても現に佛國の如きは社交の力量も盛にして上流の交際社會に於て獨立創造など云ふことは野鄙、驕慢もしくは粗暴等と同意味のものとなして痛く之を嫌ひ只管世間普通の流行を貴ぶの風行はるゝよしにて此流行が佛國の將來に如何なる影響を及ぼす可きやとは方今同國學者中にて頻りに憂慮する所なりと云ふ扨顧みて日本社會の有樣は如何と云ふに往昔封建の時代には各藩の制度何れも均一にして加ふるに武斷の政略を以てし人々個々獨立の精神は至て微弱なるが如くなりしも實際は然らずして武斷壓制の威力は其及ぶ所唯社會の表面に止まり當時士流の間に行はれたる武士道の精神は自ら社會の間に一種高尚の氣象を養成し世外に秀でゝ自ら適するもの又は終身處士を以て王侯に驕るもの三百年間その人に乏しからず今日文明流の眼を以て之を見れば其粗野の状は笑ふべきが如くなるも其中自ら獨心の尊ぶ可きものなりしを見るべし維新以來西洋文明の流行するに從ひ社會の面目を一新して只管模倣改良に鋭意なるの餘り社交の趣も亦自ら一種の風を生じ獨立の精神は却て其間に退却したるやの感なきにあらず今暫く學問社會の例に就て之を言はんに學者なるものは社會に在て最も其獨立を要するの地位にあるべき筈なるに今日の實際に於ては然らずして却て其反對の例を見ること多きが如し凡そ日本國中に名を知られたる學者にして能く自立の生計を營む者とては甚だ稀にして何々先生も何々大人も其衣食の由て來る所を尋れば官途の俸給ならざるはなし啻に衣食の獨立なきのみならず其人の名も學識を以て知らるゝより寧ろ爵位官等の光明に依頼して輝くものにそ多數なる可し或は數年間海外に留學卒業したる學士輩が歸朝早々は只管日本の學問社會を愍笑し自由獨立の講釋など喋々して頗る痛快の論を發し以て人を驚かすことなきにあらざれども少しく故國の風に染むれば何時しか其説を變じて尋常一樣の俗流に混じ小官を卑しとせず薄給を少しとせず伯夷忽ち装を改めて柳下惠と爲り自ら官府の門に屈して却て世上に向て得々たる者あり又何々社中何々協會など稱する學術上の結社にも常に貴族を戴て以て總裁若しくは社長と仰ぐも近來の流行なるが如し又世間に數限りもなき著書譯書の類を見るに何公の序文何爵の題字などを冠するもの甚だ多くして而して其何公何爵は必ずしも學問の事に縁ある人物とも思はれず本來學者を以て自ら居る著譯者は此序文題字を拝領して自身の榮とするか但しは賣書博利の手段に利用するものか何れにしても自ら欺くに非ざれば世人を瞞着するものにして獨立の學者には聊か不似合なるが如し其他時々社會に跋扈する流行説など其始め一人の有力者がこれを首唱すれば萬口忽ち之に和し學者社會に反對の説あるを聞かず或は之を評して日本人の性質は流行に敏にして開進に易しとて竊に誇る者なきに非ざれども鄙見を以てすれば獨立心に乏しき者なりと云はざるを得ず試に見る可し三五年前より社會改良の論流行すれば半白の故老先生までも少年子女の仲間入りして舞蹈の稽古を奬勵し道徳復古の説世に出づれば少小西洋流の主義に教育されたる學者輩が世上の俗流に雷同して時としては儒教古學流の事を唱ふるなど如何に日本人が流行好きとは云へ之を其本心とは見るべからず畢竟この輩は社交の風潮に漂流し世渡りの楫を操るに汲々たる者にして漢學者流の口氣を以て之を責め人間に羞恥の心なき者と云ふも過酷にはあらざる可し世間或は獨立の精神を以て今の文明社會に不要なりとするものあり其言に曰く一個獨立の人果して何事をなすか唯奇癖の名を世上に賣りて自ら快しとするに過きず今日獨立云々の迂説を談ずるものは古儒者流の陳套を襲ふものなりなどゝて自ら其醜迹を蔽はんとする者なきにあらず盖し古來獨立の士人にして世俗に容られず又自ら容らるゝことを屑しとせずして塵外に峭立し社交と相疎隔する者あり俗眼より之を見るときは如何にも迂拙にして世に益なきが如くなれども世俗の流行、時に情に任せて奔放止まる所を知らず世を擧て將さに不測の淵に陷らんとする其時に傍より大聲疾呼、他の危難を止むるものは社交處世の人に在らずして常に獨立の士人に在り且つ又一世の人皆な流行に醉ふも其本心未だ全く=(ルビ・ま)痺せずして正に半醉半醒の間に當り仰て清節孤幹汚塵に汚れず流俗に流れず亭々直立する者あるを見れば心に羞て自ら其本に反るものなきにあらず即ち是れ獨立の士人が能く社會の腐敗を防ぎ又一世の氣風を維持する所以のものにして其例古今の史上に少なからず社會現在の有樣を保守して其退却を防くに於ても獨立の精神の必要なるを見るべし何ぞ况や更に進んで國の文明獨立を謀らんとするに於てをや益々その精神の發達を期せざるべからず斯く云へばとて我輩は今代の士人に向て孤立猬介獨り塵外に逍遥して世と相遠かることを勸告せんとにはあらず苟くも其心を以てすれば濁世の中に和して流れず以て獨立男児の事を行ふ可し我輩は特に此一義を以て世の知字解理の士人に望む者なり