「醫説」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「醫説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

醫  説

一部の傷寒論を楯にして草根木皮に依頼し時として治療を誤ることあるは漢醫家の免かれざる所なれども

治療を誤るの一事は必ずしも漢家に限らず西洋醫流にも甚だ多し其一二を擧れば今を去ること二三十年

前刺絡流行の時の西洋家は病人さへ見れば絡を刺して血を取り熱病にも肺病にも眼病にも苟も〓衝の徴

候を認れば此法を施さゞるはなし甚だしきは酒客の宿醒を醒ますとて刺絡する者さへありし程なるに今は全

く之に反して血を愛しむこと甚だしく極々稀有なる病症を除くの外は一切刺絡を禁じ水蛭を用るさへ用心す

るの風とはなりたり三十年の前後人身相同ふして其治法を異にす前後孰れか誤なきを得ず又今日の西洋

家の中に庸醫は甚だ少なからず青年の醫生初めて業を卒り之に授るに有效の良藥を以てす診察の當ると當

らざるとに由て良藥忽ち變侵じて毒藥たる可きは論を竢たず世間の實際に往々見聞する所にして恐る可きものな

り左礼ば漢醫流と西洋醫流とを比較して其優劣如何を評論するには患者に對する過誤失策の多少を以て標準

に定む可らず須らく其醫術の根本に就き事の眞理原則より出るか或は偶然の熟練に由來するかを糺して

始めて判斷の穩なるものを見る可し眞理原則に基くものは次第に改良進歩して新知識を開き昔年の是とする

所今年の非と爲り歩一歩を進めて退くことなく以て醫學の城郭を堅くして容易に之を破る者ある可らずと

雖も物理の根據なくして單に偶然の熟練に依頼する者は時として大に當ることありと雖も又時として大に

當らざることあり之を喩へば大洋を航るに經緯度の測量を知らず晴雨を卜するにバロメートルなきものゝ如

し日本船の船頭が大凡そ遠山の色潮の流れを見て船の方位を断定し老農夫が山の端の雲行日の入りの模

様を〓めて明日の天氣を豫言するが如き誠に能く中りて其不思議なること一種神通力を得たるものかと疑はる 

程のものおりと雖も扨その中るや百發百中なるかと云ふに決して然るを得ず時としては大に外れて事を誤

るの例少なからず然かのみならず彼の船頭農夫の神通力即ち其判定豫言は數百千年の古代より同一樣にし

て更に一歩を進めたるを聞かず其然る由縁は何ぞや根據とする所眞理原則に出でずして偶然の熟練に由

來し其熟練は其人の一生涯に消滅して第二世に傅るを得ず世々新に熟練を得るのみにして之を數世の長歳

月に養成すること能はざればなり漢家の醫術も尚ほ斯の如く單に醫師その人の熟練に依頼するものなるが故

に老醫の診断處方時として不思議に中るものなきにあらずと雖も本來動かす可らざるの眞理原則に出でた

るに非ざれば其これに依頼す可らざるは彼の大洋を航り晴雨を卜するに日本の船頭農夫の言に任ず可らざる

が如し況んや社會全體の利益の爲めに醫學の進歩を謀るに當り造化の原理を外にして他に求む可きに非ざれ

ば我輩の願ふ所は漢醫流の人々も其心事を轉じて原理の門に入り多年身に得たる熟練をば其まゝに保存しな

がら原理に根據して熟練を利用するの一事に在り左れば昨日の時事新報の雑報に或る西洋醫家の所説なりと

て漢法醫の治術は西洋流に及ばず時として害もありと云ひしは治療上の過誤を攻撃することならんと雖も

我輩は之を取らず何となれば單に過誤のみに就て評を下だすときは西洋醫流にも過誤は澤山なればなり唯

我輩は眞理原則より立言して國の爲めに漢法を轉じて西洋の醫學流に歸せんことを祈るのみ

又我輩が日本の醫學に望む所は漢醫流に行はるゝ彼の草根木皮の性質を吟味する事なり一概に草の根木

の皮と云へば無毒無效あれどもなきに等しきやうに思はるれども苟も薬品として數千百年來治病に用ひた

りとすれば多少その實效なきを得ず左れば今この藥品を學問上に審査して有效無效を區別し其無效を棄

てゝ有效を取り其用法を明にして廣く國中の醫師社會に報ずるは必要のことなる可し或は今日の醫療に漢藥

を用ひずとも更に不自由を覺えざるのみならず洋藥こそ純精にして效力大なりと云ふ者もある可し我輩に

於ても固より之を知ると雖も經濟の一點より観察を下だして等閑にす可らざるものあるを如何せん洋藥美な

りと雖も其價貴くして全國普通に之を用ふ可らず僻遠寒村の小民は日常の食物に足らざる者さへあり假令へ

夫れ程にまで至らざるも國中を平均すれば貧者こそ多數なれば日本國人にして病に洋藥を服する者は其數甚

だ少なきを知る可し故に今この種の多數貧民の爲めに謀れば藥品の精製善美は問ふに遑あらず草根にても

木皮にても苟も有效なりと云へば之を用ひざる可らず然るに爰に學問上の審査を經て學問上に之を用るの道を

開くときは其功コの大なる辨を俟たずして明なり即ち醫政の經濟にして最も大切なるものなり此一事を

行ふにも今の漢法醫は速に舊套を脱して學理の門に入るの要を發明するに足る可し或は漢家の助を假らず醫

術化學の力を以て審査の事を成すに難からずと云ふ者もあらんなれども多年其藥品を病床に用ひたる實驗に參

考するの便利は必ず大なる可し是亦我輩が漢家に向て望か所のものなり         〔六月十二日〕