「 今の經濟社會の有樣は變態にあらざるか 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 今の經濟社會の有樣は變態にあらざるか 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 今の經濟社會の有樣は變態にあらざるか 

東京は日本の首府にして獨り政治上の中心のみならず兼て商賣上の中心たるが故に人民の輻輳、百貨の來集その繁華昌盛自ら全國第一の地位を占るは固より其所にして毫も

怪しむに足らざる次第なれども近年來の有樣を見るに四方各地より都下に群集する人口は年々其數を増加するのみならず都民日常の生活交際に益益贅澤を極むるの状は頃日に於て特に驚くべきものあるが如し諸官署諸官宅の新築を始めとして官邊に關する建築工事の壯大なると上流官吏の間に行はるゝ宴會饗應の華美なる有樣とは暫く之を例外とするも都下にて所謂諸會社の役員社員など稱する輩が居家處世兩樣の豪奢も亦中々盛なるものにして内には居宅別莊の構に數奇を盡し外に出づるには肥馬輕車を飛ばし一夕の飲食に數百圓を費して顧みざるなど實に人の耳目を驚かすに足るもの多し此情態は獨り東京府下に止まらずして大坂、名古屋、仙薹など云ふ如き其地方地方にて大都會と稱する塲所にも人口年々に増加して隨て其都人士が頻りに外面の豪奢に趨るの勢は各地何れも同樣なりと云ふ斯く都會の地の日にまし繁盛の觀を呈して其住民の生活贅澤に赴くは日本全國繁盛の實力、其光を各都會の地に發して斯る現象を現はすものなるやと云ふに我輩は斷然、然りと答ふる能はざるなり日本開國以來三十年西洋の文化大に國内に流行して其面目を改めたるもの少なからずと雖も實業社會は獨り其澤を蒙らずして殖産興業に大に實益を收めたるの談は我輩の未だ曾て聞かざる所なり果して然らば我國には開國以來更に新に富源を開きたることなくして經濟社會を支配し國力の源を爲すものは今尚を開國以前に同じく單に農業に在るの事實亦疑ふ可らずと雖も其農業は千百年來依然たる農業にして僅に絹絲製茶の利を除くの外は近來更に大に改良進歩したるものなし農事振はずして利益薄ければ工商も亦その運命を共にせざるを得ず從來我國にて商賣の廣大なるものは直接間接に農家を相手にすることにして穀物の收穫豐にして農業の購賣力盛なるときは商工の景氣これが爲めに引立ち然らざるときは之に反す即ち日本國内の景氣不景氣とは取りも直さず農家購賣力の強弱に在るものにして古人が=を以て國の本なりと云ひしも今日の實際に違ふなきと見る可し左れば今政治上社會上の日本こそ文明新鮮の空氣に呼吸すれども經濟上の日本は依然舊に依て米穀に生命を繋ぐものと云ふ可きのみ然るに實際に其農家の情態如何を尋れば生産力の増さゞるのみか近來は頻年米價の廉なるが爲め所産は以て所労を償ふに足らず歳豐にして妻子饑寒の患を免れずとは實に農家今日の有樣にして其慘状、時として聞くに忍びざるものあり其は隨時本紙上にも記したる所なれば讀者は之を紙上にても知り又實際に見聞したる事もあらん甚しきは農事必要の肥料を買入るゝさへ心に任せずして之を減少するの傾きありと云ふ各地方の疾苦は斯の如くにして年々その甚しきを加ふるの最中、憂を知らざるものは都會の士人にして其榮華豪奢年を逐ふて盛觀を呈し都鄙の苦樂恰も天堂地獄の相違と云ふも過言にあらざるが如し之を人身として其容體を診察すれば四肢厥冷して腦に充血するものに異ならず其顔色の紅を帶びて旺盛なるは全身の血液上部に鬱積するの兆にして遂に衰弱に陷る可きは病理の爭ふ可らざる所なれば國の腦部たる都會の繁榮も目下このまゝの容體にては早晩必ず衰弱の日ある可きこと經濟の理に於て爭ふ可らず盖し其 理は都人士が敢て自から明言せざれども亦時として之を心に了解する其證據には今試に此輩に向ひ君等の今日に得意なるは甚だ好し然れども年々歳々花相似て歳々年々貧富同じからず明年も亦此の如き快樂を得るや否やと問はゞ恐らくは一人として確に答ふるものなかる可し其答へざるは何ぞや人々身躬から今年あるを知て明年を豫算すること能はざればなり即ち今日都會の繁盛は唯是れ經濟社會の變態、寸時も頼むに足らさるの兆候にして其有樣は風帆船の帆に風を孕みて海を渡るが如し今日唯今は幸に順風にして得意なれども此風は何時間を持續して明日までも相替らず追手なる可きやと尋れば船客は勿論、船頭と雖も確に之に答ること能はざる可し左れば今日經濟の海を走りて幸に順風なる者もあらんと雖も今年の風に意を得て明年の日和を卜す可らず何時如何なる逆風に逢ふて如何なる厄運も圖られず我輩は天下經濟の確實なること汽船の航海發着を誤らざるが如くならんを祈り兼て今の風帆船に乘りて得々たる客人に將來を警しむるものなり